月曜日, 7月 22, 2013

少年講談:桂川力蔵より 「あをたけのちからだすき」のくだり



……花筏と善四郎は立つて行く。雲の戸は、入間川につれられてやつて来た離の瀧見山の部屋。見ると、正面に座蒲團を敷いて、大胡坐をかいてゐる瀧見山大八。年の頃は二十七八、色浅黒く、目のぎよろりとした、鼻の高い、口元のしまつた、青髭のあるりつぱな男。大分酒を飲んだと見えて、目が血走つてをります。

 「瀧見川、これが、かねて話をした雲の戸重右衛門、いま奥州から着いたばかりだ。ちよつとお前のところへ挨拶に出た。同じ部屋だから、仲よくしてやつてくれ。」

 「いや、これは/\――。今関取が着きなすつたと聞いたから、わしの方から挨拶に出ようと思つてゐたところです。――さあ、兄弟子、ずつとこつちへ通つてください。」

いつたが、自分は蒲團の上へ胡坐をかいたまゝです。親方と一しよにはいつて来たのに膝も直さず、正面に坐りこんでゐるとは、ひどい奴と、雲の戸も、むつとしたが、色にも出さず、

 「これは、瀧見山関ではございますか。わしは雲の戸重右衛門といつて、四年前に親方さんから勘當をされ、生れ故郷の奥州白石在へ引込んでをりましたところ、今度格別の思し召しをもって、勘当を許された帰り新参、この後とも、どうかよろしくお願い申します。」

 「いや、申しおくれました。わしは瀧見山大八という相撲。聞けば、あんたは、四年前まで関脇をとっていなすった大したお関取、親方さんの勘当をうけて、生れ故郷の白石在へ戻り、空に困って、馬方をしていなすったそうだが、そういえば、菜っ葉や大根ばかり食っていたせいか、肉は落ち目はくぼみ、その上、色が真っ黒け。それでいて瀧見山を向うに廻して相撲をとろうとは、大した度胸。いや兄弟子の心臓のには感心しました。」

酒が言わせる無礼の雑言。入間川が聞きかねて、

 「これこれ、瀧見山、何を言うのじゃ。雲の戸が丁寧に挨拶をしたら、お前も、これから先を願いますと言うておいたら済むものを、菜っ葉や大根ばかり食っていたの、馬方をしていたのと、余計なことを言うな。」

 「親方さん、とんだことが気に障ってお気の毒だが、馬方をしていたから、馬方相撲と言ったまでのこと。瀧見山大八は天下の力士、馬方相撲に手はつきませんぞ。」

雲の戸は、にっこりして、

 「親方さん、どうか黙っていて下さいまし。いかにも瀧関の言う通り、わしは在所で、食うに困って、馬方をしておりました。だが、まあ、瀧関、こんなものでも、同じ部屋じゃと思って、どうかこれから先、よろしくお願い申します。」

 「あはゝゝゝゝゝ、そう言われると、この大八も、ちっとばかり気の毒なような気もする。馬方関――ではない、昔の関脇雲の戸関、一つ行こうか。」

持っていた盃を、ずいと雲の戸の前へ突き出した。

「有難うございますが、わしは酒のために勘当を受けた身。あれ以来、一生酒をたちましたから――」

 「ふゝん、そうかい。酒でもたって、神仏に願かけでもしてかからなければ、とても、その痩せっぽちの体では、この瀧見山の鉄砲は受けられまいよ。」

瀧見山は雲の戸が下手に出れば出る程、ますます憎まれ口をたたく。けれども雲の戸は、こんな馬鹿者に構っても仕方が無いと思うから、何を言われても相手になりません。

 「雲関、あんたは本当に酒を断ちなすったのか。」

 「はい。」

 「そうじゃあるまい。もともと親方をしくじるほど好きな酒、そう手軽に断てるものでない。ははあ、わかった。食うに困って馬方にまで成り下がったお前さん、米を買う銭さえ無くては酒どころではあるまい。飲みたくても飲めないから仕方なく断ったんだんだろう。瀧見山は天下の力士、酒を飲ましても酒代をくれろとはいわん。はじめて会った兄弟子だから、飲みたい飲みたいと寝言にいうほど焦がれている酒を、只でうんと飲ましてやろうと思ってのことだ。雲関、自分の腹の痛まん酒でも、あんたは飲まんのかい。――そうかい、それならもうすすめまい。――親方、まあ見なさい。貧乏はしたくないもの、雲の戸関の顔は、何となく物欲しそうじゃありませんか。」

 「これ、瀧見山、大がいにしておかんかい。どうもお前は、酒を飲むと、冗談が過ぎていけない。」

入間川も、あまりといえばあまりの雑言に苦りきっている。

 「あはゝゝゝゝ、親方、何もそう難しい顔をしなくってもいいがな。だがまあそんなに言うならわしもこのくらいにしておきましょう。どころで酒を飲まん人に、盃をあげても仕様がない。代りに何か腹へ溜まるような肴をあげよう。――やい熊の川――」

 「へぇ。」

 「その火鉢の中の火箸を持って来い。」

 「へぇ、これでございますか。」

 「そうだ。」

太い鉄の火箸を受け取った瀧見山大八、何をするかと見ていると、左右の手に火箸の両はじを握って、ぎゅっと折り曲げ、今度はそれを力任せに双方に引っ張ったから火箸は中程からぽきりと折れた。

 「雲関は貧乏をしても歯だけは丈夫らしい。これをしゃぶって力を出したらどうじゃな。これは帝釈様の力飴という奴さ。うわっはゝゝゝゝゝ。」

どうだ、俺はこのくらいの力があるぞ。驚いたかと言わんばかり。かたわらにあったお盆の上へ折れた火箸をぽいと放り出し、それを雲の戸の前へ押しやりました。


石井滴水 靑竹の力襷 昭和14 講談社


雲の戸は驚くかと思いのほか、そのお盆をずいと瀧見山の方へ押し返し、

 「どうも瀧関は大した力でございますな。ところで折角じゃがわしは見かけ倒しの虫歯だくさん、このままじゃ齧りづらいから、ついでにもう少し小さくして貰いましょうか。」

 「えっ。」

瀧見山もぎょっとした。長い奴なら折りやすいが、半分になった奴を、また折るには倍以上の力がいる。そこで考えた大八。

 「へぇ、そんなに小さいのが好きなら、自分で勝手に折ってしゃぶればいいじゃないか。」

 「折れというなら折もしますが、せっかくくだすったあんたに折って貰おうとからで――。では、勝手に頂くとしましょうか。」

雲の戸はまたお盆を引き寄せると、まずその一本を取って、真ん中から苦も無くぽきりと二つに折り、更にそれを二つずつに折ったから、一本で四本。あとの一本も同じく四つに折ったから、みんなで八本になった。しかもコドモが杉箸でも折るように無造作に折ってのけたので、さすがの瀧見山もこれにはあっと驚いて、開いた口が塞がらないようです。雲の戸はそのお盆を瀧見山の前へ押しやって、

 「瀧関、お前さんは昔明石志賀之助という日の下開山横綱の締めた、青竹の力襷というのを知っていなさるかい。」

 「うむ、それは――」

故実を知らない瀧見山は返事ができません。

 「知らなければ失礼ながらこの馬方相撲が教えてあげよう。」

すっくと立ち上がった雲の戸は、庭の隅に立てかけてあった五六本の切りたての青竹、いずれも長さ五米ばかりある奴の中から一番太い奴を一本持って来て、それへ横たえ、その前に大胡坐をかいて、あたりを睨め廻しはじめたから、取的どもが不審に思った。

○ 「おい、熊の川、雲関は何をするつもりだろう。」

 「そうさ、あの竹を杖について逃げ出すかな。」

○ 「まさか、そんなこともしやすまい。」

みんな固唾を呑んで見ております。

 「瀧関、雲の戸の力には種も仕掛けも無いんだ。ようく見ておいて貰おうかい。」

左手で竹を押さえ、右手で節の上をちょい/\/\と押すと、七八つあった節が、ぶつり/\とみんな砕けてしまった。同時に立ち上がった雲の戸、着ていた着物をはらりと脱ぐと、痩せたといっても昔の関脇、なか/\立派な体格です。ずゝーっとしごいた青竹を、下腹から背中へかけ廻し、うしろでぎゅっと結んで、

 「瀧関、これが昔大内で、明石志賀之助という日の下開山横綱の元祖が締めた、青竹の力襷、めったには見られんものだ。後学のためようく見ておくがよい。」

どうなることかと片隅の方で見ていた瀧見山の弟子どもも、思わず声をあげて、

○「いよう、日本一。」

 「馬鹿野郎、何が日本一じゃい。」

ぽかーり、大八は拳固で取的の頭をどやしつけた。

 「親方さん、わしは道中の疲れが出たか、急に眠くなりました。あっちで横にならせてもらいます。――滝関、とんだ失礼をした。いずれ土俵で会いましょうぞ。」

雲の戸は瀧見山に一礼して、入間川とともに部屋を出る。あとに大八は飲んだ酒も一ぺんに醒めてしまい、

 「これ、あの竹を一本持って来い。」

○ 「これでございますか。」

 「ようく見ていろ。これは昔大内でな――」

○ 「へぇ、明石志賀之助という日の下開山横綱の元祖が締めた青竹の力襷――」

 「この野郎、覚えやがったな、――それ、こうしてやるのじゃ。」

瀧見山は自分にできるかどうか自信がなかったので、雲の戸の前ではやらなかったが、雲の戸が行ってしまうと、物はためしと青竹を取り寄せ、節のところへ手をかけて、雲の戸のやった通りにしてみたが、もとより一つだって節は砕けません。

 「これはいかん。もそっと節の軟らかいのを持って来い。」

○ 「軟らかいのはありません。」

 「うむーー」

○ 「親方さん、この青竹の力襷には伝授があって、雲の戸関はその伝授を知っていてやったに違いありません。」

 「そうだろう。伝授がなければ手で押したくらいで竹の節が砕けるわけがない。お前、その伝をしらんか。」

○ 「知っております。」

 「それはえらいな。どうするのじゃ。」

○ 「へぇ、節のところを石の上へ載せておいて、掛け矢で力いっぱい叩くので――」

 「馬鹿野郎、それなら伝授なんか知らんでも、誰にだってできるわい。」

ぽかーり。

○ 「あ痛っ。――また御馳走を貰ってしまった。」

さんざん雲の戸をなぶって、面皮を引っ剥いでやろうと思った瀧見山、あべこべに恥をかかされて、ばりばりと歯噛みをなし、

 「うぬ雲の戸、覚えていろ。かなわぬ時は柔術の一手をもって、土俵の上で血へどを吐かしてくれるぞ。」

早くもよからぬ決心をいたしました。

 「やい、熊の川、火焔玉、鬼面山――」

○ 「へい」

いや、大へんな名前ばかりです。

 「お前たち、今日のことを誰にも話すんじゃないぞ。」

○ 「関取が雲関に恥をかかされたことですかい。」

 「余計なことを言うな。恥なんかちっともかかんわい。」

○ 「恥をかかん代わりに頭をかいた。」

 「なに――」

○ 「昔から、恥を恥と思わんものは、恥をかいた試しがない――」

 「馬鹿野郎、だまっていろ。下らんことを言うと、殴りつけるぞ。」

○ 「へい、決して下らんことは申しません。関取が弱いんじゃなくて、雲関が強いんだとだけ申します。」

 「馬鹿ッ。それが下らんことだ。」

ぽかーり。

○ 「あ痛たゝゝゝゝゝ――」

口どめをされると余計しゃべりたくなるのが人情。いつしかこのことが保田中へ知れ渡ったから、そこでもここでも、寄ると触るとこの噂で持ちきりです。

 「どうだい、おい、相撲が乗り込む早々、喧嘩をしたとよ。」

 「どうしてまた喧嘩なんかしたのだ。」

 「どうしてといって、ぜんたい瀧見山という相撲がよくないんだ。弟弟子の癖に兄弟子の雲の戸を前において、鉄の火箸を指先でぽきりと折り、どうだ、俺の力はこんなものだと自慢をしたんだ。」

 「うむ――」

 「すると雲の戸という関取が、そのくらいのことは何でもないと、そばにあった鉄の獅噛の火鉢を両手でぺちゃぺちゃっと潰してしまった。」

 「へーぇ――」

 「すると瀧見山も、そのくらいのことは女子供でもする。一番俺の本当の力を見せてやると、いうなり表へ出て、羅漢寺の釣鐘を提げて来た。」

 「幾人で――」

 「一人でよ。」

 「へーぇ――」

 「提げて来た釣鐘を、座敷の真ん中へちょいと置いて、こんなものをつぶすくらい、わけはないと言いながら、ぺちゃぺちゃっと潰してしまった。」

 「えらいことをするな。」

 「すると、雲の戸が笑って、そのくらいのことは赤子でもする。今度は俺の本当の力を見せてやるといいながら、これも表へ飛び出して、浜辺にあった八千石積の船を差し上げてきた。すると瀧見山が――」

 「おいおい、たいがいにしろ。人が真面目に聞いていりゃ、いい気になって、法螺ばかり吹きやがる。」

 「あはゝゝゝゝゝ、今のは嘘だが、何しろ乗り込む早々喧嘩をするくらいだから、今度の相撲は、いわば遺恨相撲だ。きっと面白かろうぜ。」

 「うむ、そういうわけなら命がけの相撲をとるに違いない。」

昔から、相撲は何かごたごたがあると、却って人気がたつもので、喧嘩の一件があってからというもの、いよいよその評判は大きくなり、やがて初日を開けて見ると、果たして割れ返るような大入。二日、三日、四日と進んで参りましたが、瀧見山大八も、雲の戸重右衛門も、どちらも土つかずの勝ち放し。いよいよ五日目が千秋楽で、東西両大関の顔が合うことになりました。

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