金曜日, 8月 31, 2012

ランス・アームストロングとかUSADAとか、ごちゃついてる件

先日のエントリーで「ディック・パウンドがまた甦ってきてチンポン言い出してるぞ」ってなこと書きました。
残念なことに懸念が悪いほうに転がって、「続報」になってしまったようです。
標的はランスでしたか。


「ランス・アームストロングがドーピング疑惑に対する弁明機会放棄して、USADAに98年以降の前記録を取り消された」

ってなニュースが先週あたりからぞろぞろ出てました。
枚挙に暇が無いんであれしますけど、わりと最近の記事をひとつ。
アームストロング、ドーピング闘争断念の真相 自転車レースの王者が反ドーピング機関との法廷闘争を放棄した本当の理由とは
 ランス・アームストロングが自転車レースの世界最高峰ツール・ド・フランスで7年連続総合優勝という偉業を達成できたのは、ドーピングを行っていたからなのか──。
 残念ながら、そう信じたい人にとっては十分な証拠が揃っている。一方、彼の潔白を信じるファンにも、ドーピング疑惑を否定する確たる根拠があった。アームストロングの禁止薬物使用を声高に告発した元チームメイト、タイラー・ハミルトンとフロイド・ランディスは平気で嘘をつく人間だったから。 (以下略  Newsweek日本版 2012年08月27日

なんでUCI(国際自転車競技連合)が与えたタイトルUSADA(アメリカ合衆国アンチドーピング機構)が剥奪できるんだよ、とかよくわかんないんですが。


日本のメディアではこの件に絡めてディック・パウンドの名前を出してるとこ無いみたいですけど、英語圏やフランス語圏のニュースだと、必ず「ランス」「ディック」「USADA」がセットになってバンバン出てますね。
比較的中立(?)なRadio Canada とか オランダTelegraaf紙 とかの記事。
またパウンドさんが勝ち誇ったようなこと言ってますよ、と。
それもランス名指しで。
「それは良い決定だ。でもオレじゃないよ、アメリカが自分たちで下した判断だよ」ってなことを。


こっからはまったく憶測、下衆の勘繰りですが、(でも似たようなこと思ってる人結構いるみたい)、

米国人嫌いが嵩じてランスを深追いし過ぎて失脚したパウンドさん、WADA会長時代に握ってた米国人運動選手(自転車に限らず)のなんか決定的なネタを、わざわざこのオリンピックの時期にチラつかせて、USOCなりUSADAなりを強請って、人身御供にランスを差し出せ、と。
意趣返し、刺し違え、悲願の仇討ち達成と。


なんかそんな風にしか思えない。
あーそーゆうことだったのねー、みたいな。
えぇ、証拠なんか無いんですけど。

月曜日, 8月 20, 2012

あの応援歌は立教のでも天理のでもないよ、という話

うーん、天理も負けちゃったしぃ、松井くんの桐光も消えたしぃな今日この頃。

天理高校の応援といえば「セントポール」、「オブラディ・オブラダ」、「ワッショイ」…
その「セントポール」って Saint Paul's、つまり立教大学の別称で、あれ立教の応援歌じゃん。
テンリオーノミコトまつってるとこが聖パウロ様の歌なんか唄っちゃってていいの?

と思ってた時期がぼくにもありました。
それが違うんです、たぶん。
寄り道しながら長い長い「だろう」とか「かも」に満ち溢れた無用な物語。


まずWikipediaの立教大学の項目ではこんなんなってます。
第二応援歌:St.Paul's will shine tonight
昭和3年(1928年)、米国カリフォルニア州立大学フレズノ校野球部が来日し、本学バスケットボール部とバスケットボールの親善試合を行った。試合後、フレズノ校側が自校の応援歌「セント・フレズノ ウィル シャイン…」を「リッキョー ウィル シャイン…」と歌い、勝った立教を祝福した。この歌はバスケ部歌となり、やがて大学の応援歌となった。授業開始・終了時のチャイムとしても使われている。
若干間違いがあるようです。
まず来日したのは「米国カリフォルニア州立大学フレズノ校野球部」などではなく「フレノ野球団」、ひびきは似てますが習志野空挺団とはなんと無関係、当地の日系人らによるFresno Athletic Clubを母体としてNisei Baseball League(カリフォルニアの日系人リーグ)に属した日系人チームです、きっと。
来日記録は1924,27,37年とあるので立教と対戦したのはたぶん1927年(昭和2年)の時。
野球チームとして来たけど立教とやったのはバスケットの試合というのは合ってる、ようです。
立教大のチームと対戦したんだから相手も大学チームだろう、ってんで勝手にフレズノ大学って思い込んだ人がいて、フレズノでその頃からあった大学らしい大学ったら加州立大フレズノ校だろってんで親切な人がWikipediaにわざわざメタリンクまで入れて編集しちゃった、ようです。
しまいにゃ「聖フレズノ大学」なんて言ってる人もいるようですが"Fresno"とはトネリコのスペイン語であって聖人では無い以上、決して聖フレズノ大学なんてのもこの世に存在しません、よね。
当然Wikipediaの記述、 「セント・フレズノ ウィル シャイン…」もありえません。

なんか関係ないけど思い込みで間違い自分で刷り込んじゃってる人って結構見かけます。
その国って建国以来ぜったいに共和制だったことないし、とかもう誰だよそれとか。
ほんと関係ないですよねごめんなさい、話を戻します少しだけ。
でも立教や天理は当分出てきません。

「フレスノ野球団」を創設したのはKenichi Zenimura(銭村健一郎)という人です、たぶん。1920年のことだったようです。この英語版Wikipediaの項目にもありますが、戦時中の日系人強制収用時にアリゾナ州のヒラリバー戦争移住センター内に野球場を作ったりもしてます。当時「カラテキッド」のパット・モリタもこのヒラリバーに収容されてました。野球場は「ゼニムラ・フィールド」と呼ばれたようです。
パット・モリタは強制収用の開放から半世紀ちょっと経った98年、ヒラリバー収容所からもほど近いダイヤモンドバックスのホーム、チェイス・スタジアムでの開幕戦で合衆国国歌独唱を務めました。
全く別の長い話になりそうなので割愛しますが、そのへんの件りは荒井一悦「ゼニムラ・フィールド”跡で実現した「戦争と平和」のキャッチボール」に詳しいです。

銭村健一郎の子の健次健三健四についてはWikipedia日本語版に項目があるのに「アメリカ日本人野球の父―銭村健一郎」の項目が英語版にしか無いのは甚だ残念ですが作成するのも面倒なんでまた今度そのうち。
そのかわりと言っちゃかわりになってませんがNisei Baseball Reserch Projectによる立派な評伝が出版されてるようですよ。

健一郎は広島の出身ということで、やっぱりその時代広島、島根、沖縄あたり、飢饉寸前で食い詰めて移民する人達が多かったんですねぇ、去年だかやってた橋田壽賀子のドラマでも移民の出身はその辺だし。小林克也も昔日系人の真似して「わしらはのぅ、ハワイでのぅ」って広島弁でした。で息子三人は戦後スポーツ選手として日本に帰国(?)するんですが、健次はサッカー選手としてサンフレッチェの前身東洋工業へ、健三、健四は野球選手としてカープへ、皆ちゃんと広島に帰ってきてるんです。なんだかしみじみきます。

さてケンイチ・ゼニムラですっかり無用に長々引っ掛かってしまいました。
とにかく彼が率いる「フレスノ野球団」が昭和2年に来日した時、立教籠球部に対してエール交換として歌ってくれた"St.Paul's will shine tonight"、普段Fresnoと歌ってたとこをリッキョーに置き換え、後にそれがSt.Paul'sに変化した訳で、すなわち原曲は"Fresno will shine tonight" って曲だったのでした、って簡単に話は終わらせない。


ホントのタイトルは"Our boys will shine tonight"って言うんです。
少なくとも南北戦争時代には歌われていたらしい作詞作曲者不詳、いわゆるTrad.扱いの古い曲です。
著作権消滅してます、ってか元々権利者いません。
従って立教にも天理にも遠慮は要らない、どこでも好きなように使っていいんです。

歌詞なんぞを。
Our boys will shine tonight, our boys will shine,
Our boys will shine tonight, our boys will shine,
Our boys will shine tonight, our boys will shine,
When the sun goes down and the moon comes up,  our boys will shine.
いろいろバリエーションもあるようですが、一応これが正調かと。
で、この"Our boys"の部分をそれぞれ自分とこに置き換えて歌う、アレと一緒ですね、「私を野球に連れてって "Take Me Out to the Ball Game"」の歌詞の"home team"の部分をそれぞれのチーム、YankeesとかMarinersとかに置き換えて絶叫する、あれと一緒。
全米あちこちどこでも使ってるFight Song(応援歌)のスタンダードナンバーです。


例えばこれはテキサス州、Richardson High School、バスケットの試合後のやつ。
1分30秒のあたりからやにわに始まる


リーハイ大学の"Lehigh will shine tonight"
上記リーハイの何故かもろ肌脱いで独唱してる親父バージョン



で、この"Our boys will shine tonight"ですが、
作者不詳のいわゆるTrad.印なので自曲に取り入れた人もいる、
といってもそれ自体たいへん古い話。
もう一丁。Dukes of Dixieland版。

Kerry Mills の At A Georgia Camp-Meetingという曲ですが、聴き比べると確かに"Our boys will shine tonight"が入ってる。
このケリー・ミルズという人、日本でもサトウハチローが詞をつけた「赤い翼」なんて曲が知られてるかと思いますが、ぼくが知ってるんだからみんな知ってるはずですよね、ヤマケー。
ニューヨークのいわゆる"ティンパンアレー"の始祖の一人。
この曲書いたのが1895年くらいらしいですから、その頃には既にスタンダードになっていた、んだと思います。


さあ、もうこのへんから立教もセントポールも天理も関係ないオマケの話ばっかりですよ、
甲子園とかの応援団、いわゆるリーダーってのが腕を上横に振って応援歌の音頭取りするやつ、あんなの日本だけだよなー、なんて思ってたんですけど、You tube漁ってたらこんなの見つけましたよ。
アラバマ州のConcordia Collegeだそうです。
リーダー役は女学生ですが、なんだか日本のとよく似てますね。


これなんかも目を瞑って聞いてると甲子園のアルプスみたいな音です。
UCFっていうからフロリダ中央大学のようです。
あれ、ここってフットボールチームに馬鹿ノ鵬が潜りこんだとこだっけ?
違った。それはもっと2~3流下のWebber International Universityだった
それに既に辞めてやがるし。
" Winner of Imperial Tournament"ってなんだよ本場所で白星上げたってだけだろが、
ってネタもう前にもやってたっけ?


いろいろ見てるとかっこいい応援歌持ってるとこありますね。
甲子園な学校も、どうせパチってくるなら海外に耳を向けてみてもいいじゃないでしょうか。

例えばヒューストン大学。

NCAA10校詰め合わせ。
なーに、ちょっとアレンジしたり繋ぎ変えたりしちゃえば判りませんよ、
みんなどっかしら似たようなもんなんだから。


なぜかわざわざ最後に持ってきたのはミズーリ大学の応援歌。
これも結構かっこいい。
パクろうぜ~コピろうぜ~インスパイアだっ、リスペクト からのオマージュだっ!
このミズーリ大学の運動部"Missouri Tigers"のマスコットの虎の名前、ミズゾーっていうんですね。
「ゆるキャラ」なみに流れ任せなネーミングで、そうゆうの嫌いじゃないです。


火曜日, 8月 14, 2012

Google Map Street View でアムステルダムの王宮に入れる

いつからだったんでしょう、今日気がつきました。


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なんつかこう、Street Viewならではというか、天井画まで眺められるのがいいです。
隣の部屋の床には世界地図なんかも彫り込んでありました。

王宮以外にもあるのかな、と思って付近捜したら、RijksmuseumとVan Gogh Museumも入り込んで歩き回れる趣向になってました。

Rijksmuseumのフェルメール三点盛り。

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レンブラント「夜警」の間。

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そういえばだいぶ前に RijksmuseumからなんかGoogleとなんか始めました的なお知らせメール来てたな、これのことだったか、と思ったら違ってました。
「すげー高精細画像でwebから見られるようにしちゃったぜー」って話でした。
これですね。
筆づかいまで見えますぜって話。


色々見てたらホワイトハウスなんか中をもうろつけるみたいですね。

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映画の「マーズ・アタック」やなんかで見たことある気がする。


他にどんなとこあんだろ。
一覧になったリストが見当たらないんで、よくわかんない。


「アンネ・フランクの隠れ家」なんかもやったらいいのに。
あ、ダメか。
あそこは切符売ってなんぼだもんね。

木曜日, 8月 02, 2012

ディック・パウンドさんがまだ何かやり足らないご様子

なにかとっくに葬り去られたはずの懐かしくもない名前を見かけたので。


地元カナダ紙からもヤレヤレ感あふれる記事が出てるようですが。
Pound pokes holes in IOC drug policies - New two-pronged test may not cover all bases
The Vancouver Sun July 26, 2012
要は現在のIOCによるドーピングチェックは節穴である、と権威あるディック・パウンドさんが指摘してますよ、と。
日本語メディアで扱ってるのは今のとここれくらいかな。
「ドーピングで捕まるのは1割」 世界反ドーピング機関前委員長
…またパウンド氏は、スポーツ関係団体が汚職問題に気を取られ、ドーピング問題への対処がおざなりになっていると懸念する。
パウンド氏は「問題の所在は分かっているが、誰かを失格にするには証拠がいる。さらなるリソースと、スポーツ関係団体のさらなる協力が必要だ」と指摘。「(団体側は)複雑すぎるとか金がかかりすぎるとか、汚職の方がもっと大変な問題だと言う。それで対応が不十分になってきている」と付け加えた。 (略 
CNN.co.jp 2012.08.02
批判してるわけですね、自分をなおざりにした組織や人物を。
根拠を明示できない憶測だけで。
ここ数日出てるDick Pound絡みの一連のニュースの趣旨は「現在のドーピング・チェックの態勢はザルである」では決してありません。
「おいおい追っ払ったはずのディック・パウンドが甦ってこようとしてるぜ」ってのが一連のニュースの肝です。
わざわざIOC委員が顔を揃えるこの時期狙って2004年のアテネまで遡って再鑑定しろとかって言い出しましたよ、って話。
後述のようにフィギュアの金メダルもぎ取ってきた頃はカナダの英雄だったんでしょうけど、後にそのあこぎな手法が明るみに出たことですっかり母国でもあきれ気味に報じられる始末。


で、このディック・パウンドさん(ご丁寧な日本のメディアだとリチャード・パウンドさん)って誰ですかってことですが、仔細な閻魔帳つけてると大変長くなります、なるべくざっくり言うとカナダの元水泳選手であり、弁護士であり、カナダのオリンピック委員長として76年のモントリオール・オリンピックの運営で手腕を見せ、78年にはIOC委員に就任、以降サマランチ体制の中頭角を現し、80年はモスクワだったからあれですけど84年のロサンゼルス・オリンピック以来のカネまみれ現代オリンピックをサマランチと二人三脚で築き上げた大立物です。

IOCではサマランチの跡目を継ぐ会長になるんだろうと当初は最有力候補でもあったんですが、会長選を含む2001年のIOC総会を前に、同じく会長候補として立候補した韓国の金雲龍と裏でなんかあったんじゃねーの、とかサマランチ=パウンド体制下での金権オリンピックに辟易してた他国委員の不評と疑心暗鬼が結局ジャック・ロゲに集中してめでたく金雲龍ともども落選しました。

当時の香ばしい話がまだいくつか残ってますね。
有力者揃いIOC会長選スタート/2人の大物不思議な密会
…三月下旬、パリのセーヌ川沿いにある日本資本のホテルで、二人の大物候補が人目を避けるように夕食を共にした。
IOCマーケティング委員長として、五輪に莫大(ばくだい)なカネが流れ込む仕組みをつくり上げたカナダのディック・パウンド委員(59)と、国際競技連盟連合(GAISF)会長も務める韓国の金雲龍理事(70)。その急接近は関係者に大きな驚きを与えた。 (略
東奥日報 2001年4月21日

金雲龍氏のIOC会長挑戦
…来月16日に決まる2008年のオリンピック開催地と次期IOC(国際オリンピック委員会)会長をめぐる攻防がヒートアップしている。
大阪はかなり苦戦しており、北京とトロント、パリの三つ巴戦になっている。この開催地決定と絡んでIOC会長戦が注目され出した。つまり、現会長のサマランチ後継を唱える有力候補、ベルギーのロゲ理事に対抗するカナダのパウンド前副会長が、トロント開催への協力を条件に金雲龍理事を支援するのではないかと観測球が投げられているからだ。 (略
東洋経済日報 2001/06/29

金雲龍」も名前でググっただけで「追放」とか「横領」とか「懲役」とかいった単語がいっぱい出てくるかぐわしい人物ですが、このへんはまだ失脚する前、テコンドーを正式種目に押し込んできたり、元気一杯だった頃ですね。

この御二方の名前は2003年7月の「2010年冬季オリンピックはどこでやろうかな会議」あたりでも頻繁に出てきていました。一回目の投票で平昌(韓国)、バンクーバー(カナダ)、ザルツブルク(オーストリア)の順、ザルツを切った決選投票ではバンクーバーの逆転勝利となったあれです。開催地と会長の椅子を巡った取引でお二人には色々人知れぬご苦労があったようです。

ソルトレークシティ・オリンピックの招致時の不正疑惑でも金雲龍の息子さんが大活躍の末、逮捕されてました。

まあ金雲龍の方は今回どーでもいいや、とっくにIOCから追放されてるし。

ディック・パウンドの方ね。
そのソルトレークシティ・オリンピックの語り草、フィギュアペアのカナダ組(ジェイミー・サレー&デヴィッド・ペルティエ)、ロシア組(エレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ)の間に起きた、いや勝手に起こされてしまった「ソルトレイクシティオリンピックにおけるフィギュアスケート・スキャンダル」にも当然パウンドの名前が出てきます。マスコミ使ってあることないこと(有1:無9)吹いてまわり混乱に乗じる得意の手法で。
「なんかフランスの審判が技術委員会の席で不正採点について告白したらしいですよー」と匿名の有力関係者として根も葉もないこといって陥れ、銀だったカナダ組のメダルを金に塗り替えたのも、後になってパウンドの仕業と判明。

しかしパウンドの内外様々な攻撃をかわしジャック・ロゲ体制が安定するにつれIOCの中でも煙たがられだすや、権勢をふるえる新たな居場所を見出します。それがWADA会長(w
アンチ・ドーピングのマイルストーンのような出来事だったあのベン・ジョンソンの弁護人だった人が(結果として擁護しきれずジョンソンは真っ黒裁定)WADA会長。
2001年から2007年に至る在任中数々の喧嘩を吹っかけ数々の選手(や各国有力委員)を葬っていきました。失敗も多いけど。

ランス·アームストロングをドーピング疑惑に引き吊りこんだのもパウンドです。
この時も無関係な人や無責任なメディアを使って火の無い所にさも煙が上がったかのように言いふらしました。
この辺に詳しいですね。
WADA会長Dick Poundとはこんな奴だ! 2004年8月12日のワシントンポスト紙にWADA会長Dick Pound氏を批判する記事の訳
Lance ArmstrongがDick Pound WADA会長を糾弾した手紙 2006年6月9日にランスがロゲ会長及びIOC役員に宛てた「懲戒処分のお願い」の訳
Lanceの手紙:まとめ 上記の手紙の要約
以上3点とも「今日も反省の色なし(masayangの日記」より
ランスがさもEPOを使用していたかのようにレキップに書かせて騒ぎ立てる。

トリノ・オリンピックでオーストリアのクロカン、ノルディック、バイアスロンチームをイタリア警察焚きつけて急襲家宅捜索させてドーピング疑惑に巻き込み惨敗に追い込んだのも、後になって調べるとこのパウンドの名前が出てくる。

マリオン・ジョーンズを後出しジャンケンで栄光の座から引きずりおろしたのもパウンド。

他にもあっちこっちのスキャンダルに仕掛け人として名を出してたんですが、かつては。
ってか失敗してパウンドの名前が明るみに出ちゃって批判を受けてるやつだけで、まだまだ書き足りないくらい。ググると去年はFIFAにもアヤつけてるみたいだし。

やり過ぎが批判され今はWADAからも追い出されてるはずです。
で発言に後ろ盾を失ってるはずなんですが、まだ喚くことをやめてないんだなー、この人は、もう黙れよ、CNN.jpも既に失ってる肩書き出すんなら少しはその素性にも触れとけよって思ってあきれたもんで覚え書きの次第。

この件後日追記あり