系譜って程のもんじゃありませんよ。
春場所前に作ってたのに、放置してあった事に気がついた。
いやほんとは自家用覚え書きなんだけど、画像で上げといたら便利かな、
とか整理、ってかその逆?しとこうかと思った次第。
いざ始めてみたら、いろいろ後悔してる次第。
唯一無二の大卒横綱輪島とか理事長にもなったウチダカツヲさんとか元祖早稲田の笠置山とか
やってるとキリないので、協会在職中の世代以降。
それでも140人近くいるんだなー、もとより例によって漏れもあるんだろうけど。
90年入門まで
天ノ山は時津風部屋の人ですね、引退後は立田山襲名して部屋付きでしたが在職中に亡くなられてます。
服部は学生横綱として期待大きかったし相撲も大きかったですけど故障で早々に引退、働きながら筑波大の大学院で勉強しなおします。ジャンボ鶴田みたいですね、こっちが先ですが。その後フランスの日本人学校やらなんやらを経て東海学園大に奉職、今や教授でもちろん相撲部監督でもあります。
なんかどっかの高校で校長先生やってた元力士がいた気がするけど服部じゃなかったかなー?
旭富士は中退して入門しますが、その後通信過程で学び直し、いつの間にか卒業したことになってます。だから厳密には大卒横綱は輪島以外にもいるってことになります。
一ノ矢さんはたぶん初めての国立大卒力士です。たぶんこの人と後述の舛名大だけ。ほんの数年前まで現役最高齢に長らく君臨し続けてましたね。今は高砂部屋のマネージャー。高砂部屋のサイト、トップページの三行日記書いてる人です。
いよぅ、「日大の小林」、「明治の綛田」。この辺から学生時代からのライバルってのが出てきました。今、幕内や十両で春日野vs境川の対戦を見るたびとほき昔に思いを馳せます。同門で、かたや独立、かたや継承の形で部屋を持ち、多くの関取を育て、今なおライバルとして覇を競う、すごいです、素晴らしいです。部屋に大卒力士もおりますが、必ずしも後輩ではなく広くから集まってるとこも人徳手腕です。
智ノ花はご案内の通り、卒業後一旦は教師として教壇に立ったり体育館に立ったりします。が夢諦め切れず後輩の舞の海に触発されて入門します。こうしてみると3学年も違うんですね。教職捨ててってとこが馳浩みたいでもあります。そのうち選挙にでも出ますかね。
亡くなった久嶋啓太は高校横綱三連覇に続いて学生横綱三連覇、化け物です、化け物。
その化け物と泉田純同学年だったんですねぇ。東農大中退して高砂部屋に入門、卒業してたら時津風部屋だったんでしょうか。毎年のようにセンスの無い改名してましたけど、プロレス行ってからもセンスのおかしい改名癖は治らなかったですね。ノアからリストラされてましたけどお元気でしょうか。
やたらプロレス関連の名前が出ますね、無駄に出してるだけですけど。
舞の海は教員としての就職が決まってたのを同級生の成田が急逝して…、以下省略。
あれ、図面から大輝煌抜けてますね、舞の海と同い年、近畿大学で学生横綱も取ってますです。直すの面倒。
で、この大輝煌と大翔鳳、大卒じゃないですけど同い年に剣晃、龍興山、みんな現役中もしくは引退後早々に亡くなっています。やたら死ぬ世代ですね。なんで生きてんだろ、まいnouあsdfghjkl
やっぱグルコサミンって凄いんですね。
この辺の世代までは大卒力士が少なかったらからか、協会残ってる人のほとんどは部屋持ちですね。
97年入門まで
なんか日大出て関取になると部屋持ちになれるかのような夢のような時代ですね。
追手風・木瀬・尾上は日大での奪い合いを未だ続けてますが、近頃尾上が若干脱落気味でしょうか。境川や田子ノ浦は当初より蚊帳の外でした。
朝乃翔は引退後に借株で年寄になって名跡借り換え借り換え綱渡りしますが、栃栄・栃乃花同時引退時の玉突きでなぜか燁司に押し出されて退職しました。近大と日大の力の差でしょうか。その燁司も昨年ついに玉乃洋の引退に押し出されました。拓大つえぇぇって玉乃洋は持ち株ですからねぇ。
「大倭」って書きましたけど「白崎」ですね。先輩栃司の入間川部屋に入門。出世が早くて十両昇進した時はまだ大銀杏が結えなかったんですけど、2場所で陥落。その2場所に名乗ってたのが「大倭」、やっぱり白崎の方が通りがいい。結局そのまま引退してしまったので「関取経験ありながら大銀杏を結ってない力士」になってしまいました。他にもいたなぁそんな人。思い出したら書き足そう。
若孜は学生相撲というより明大中野中での花田光司の同級生って印象の方が強いです。この人もいったんは実業団の強豪に就職してから改めての入門。今は焼肉屋さん手広くやってますね。なんで大卒力士みんな焼肉屋になるんだろ。
玉春日と土佐ノ海は高校時代まで「伊予の松本」「土佐の山本」ってライバル扱いされてたんですが、大学行ってからは「西の山本」「東の尾曾」になっちゃってました。
隆濤こと池森ルイスGo!、一年次で学生横綱。「外国籍」+「大卒」って、この人が最初じゃないでしょうか、これは付出しデビューで十両に上がりましたよ。
巨体の北勝森も学生横綱取って幕下付出しでしたが結局関取に上がれませんでしたね、どこいっちゃったんでしょ。
このへんの世代まではたいてい付出しデビューなら関取になったし、関取になったら部屋持ちになれたもんですが。
大碇は同志社の先輩土佐ノ海のいる伊勢ノ海部屋、栃乃花・栃大揮は明治の先輩のいる春日野部屋へ、ともに先輩はまだ現役中のことですね。
お二方とも今のとこ部屋持ちではないですが、この辺の世代が境目でしょうか。
北勝光はこの時代には比較的珍しく大卒の付出し資格無しで前相撲から取って関取になった力士です。
栃大揮は関取になれませんでしたが、引退後は部屋のマネージャーになってるはずです。
栃の山はつい最近まで土俵に上がってました。四股名に「栃」の冠号が付くのに春日野部屋じゃない、ってとこにキャリアの長さを思っていました。ついに関取には上がれませんでしたが幕内上位として2、3回大銀杏結うとこまで行きました。王湖さんの急逝と北の湖理事長の誘いもあって世話人の口がみつかり引退。
アイドル増健の世代が出てきましたよ。学生横綱になって付出しデビューだったのに関取になれない、ってのが珍しくなくしたハシリです。
燁司は先述の通り引退後は借株でしばらく年寄として残りますが押し出されて退職。
海鵬は引退後借株で残りますが、ご案内の通り谷川襲名間もなく云われ無き八百長の咎を科せられ退職勧告。
出島は部屋こそ持ちませんが出世コース審判部。
日大から3人以上いっぺんに入ると誰かは残れるけど誰かが不幸になるんです、たぶん後述。
東農大から時津風、ってレールに乗って、なんだったか事件のドサクサで現役引退していきなり部屋持ちになったのが時津海。正直もう少し現役で見ていたかったです。
栃乃洋は出島と同学年だけじゃなく同郷のライバルでもあります。
「キタカチ イワヂ」って読むとなんだか勇ましくてゴツいですけど、本名は原田治ってなんだか軟派なイラストレーターみたいな名前ですね。顔も結構スウィート目でした。いっこ上の海鵬さんを慕って八角部屋へ。付出しでしたが苦労して十両まではなんとか這い上がったんですが大成しませんでした。煮え切らない押し相撲という印象です。
武雄山、玉力道も大成とまではいえないあたりですが、なんとか年寄として残っております。
さっき隆濤のとこで「外国籍」+「大卒」って書きましたけど、玉力道って入門時は「外国籍」だったんじゃないかな、「特別永住者」ですが。
あれ、また図面に出羽平が抜けてますよ。中学生横綱でアマ横綱で付出し。埼玉栄→日大の嚆矢だったと思います。
岩木山も実業団、ってか青森大学および傘下の青森山田の相撲部指導要員として一旦は就職してたんですが、相撲仲間の急逝に悩んでるとこ青森空港で似た境遇の舞の海にばったり会って諦め切れない思いの丈を伝えたら背中押されてそそのかされて出羽一門の新興境川部屋紹介されて入門。本人も出世しましたが、なにより今の境川勢、みんな岩木山が胸出して育ったんですよ。額とアゴも出しましたが。大学院休学してたのどうなったんだろ。ってかあそこ大学院お取り潰しになったんじゃなかったっけ。
玉光国、弟の玉乃島と同じく東洋大ですが、ここは敢えて「針ヶ谷相撲クラブ」出身として語りたい。常幸龍もたしか針ヶ谷。今度いつか書く。いつか。引退後、日本橋の赤木屋で証券マンになってたんですけど、赤木屋って先年証券部門廃業しちゃいましたね、残ったの喫茶部門。どうしてるんでしょ。
魁道は今、小川町で焼肉屋さんやってますよ。焼肉屋なんだけどちゃんこ鍋の注文の方が多いとかなんとか。中学生横綱。さっき若孜のとこで書きそびれたんですけど、この人も明中→中央です。なんで明大は付属校の実績ある相撲選手を中大に持ってかれますかね。皇風も早稲田に持ってかれた。
古市ね、まるで鹿児島県島嶼部出身の「島相撲」ような潜り込みが魅力でしたけど、本人の相撲はもちろん、実家は相撲道場でそっからあれやこれやとか、語りたいこと一杯あり過ぎるんで割愛。野球賭博の件でマゲを切っての引退届けが不受理の上、解雇。
追風海と大翔山、こないだ書いたばっかだなー。
追風海はいっこ下の高見盛の高見盛と同じ板柳町出身の日大。埼玉栄→日大で付出し資格持ち。小兵ながら味のある相撲で関脇まで駆け上がった、って言っても誰も覚えてないでしょ。現在は町会議員。
大翔山、この人も埼玉栄→日大、古市と各段優勝決定戦で競い合ってました。大翔大ってふざけた四股名から一転、師匠の大翔山をもらいましたが以後ムニュムニュ。今は部屋のマネージャー。
玉龍馬は日体大って入れましたけど中退です。日体大からの角界入りのハシリじゃないかな。
さぁきました琴光喜、高見盛、濱錦の代。
ね、日大から3人以上入ると不幸が降りかかるの。髙濱が部屋持ちで加藤が部屋付き、田宮が解雇って誰が想像しましたかね。
武州山(なんで津軽もんが武州騙りますかね)は、ご存知の通り、高見盛、若の里と同い年の津軽産。早生まれなんで学年は違いますが、岩木山、安壮富士も同じ1976年うまれです。何があったんでしょうね、76年の津軽。津軽じゃなくて南部になりますが同じ青森の同い年が十文字。面白かったですねぇ、十文字の対津軽勢戦の入れ込みよう。
うわ~、まだまだ続くのかよ。
くたびれた、今日はここまで。
13年入門まで
玉乃島は兄の卒業と同時に中退して入門、
追っかけるように雅山も半年後に中退して入門、2人とも現在部屋付き年寄。
霜鳳は東農大→時津風コースも疑惑に巻き込まれて勧告引退。
さぁここから現役が出てきました華王錦。学生時代玉乃島、玉光国と1年だけ重なってますね。
垣添、剣武(武甲)は日体大からの初の角界入り。初土俵も引退も同場所でした。剣武は本名宮本です。現在活躍中の妙義龍も「日体大の宮本」。
豪風現役片山引退、飛ばしますよ。
この2年は日大勢いませんね。
普天王、引退早かった印象ですが、こうしてみると片山の方が短いんですね、意外。
栃翼、魅力的な小兵でした。十両目前まで何度か行ったんですが、小兵ゆえの膝の故障を抱え先年引退。舞の海と同じ木造高校出身ですが法政でしたか。
この代の学生横綱は高見藤。大学卒業後、県職員として国体に出場してから1年遅れで入門。十両に上がったとたん博打の借金こじらせて破門。
うわーこの代あたりからごっそり残ってますね。
この代の学生横綱は大岩戸。子供の頃相撲を習った鶴岡相撲クラブの指導者が横綱北勝海の付け人を務めた千代洲だった縁で同じ鶴岡相撲クラブ出身の4歳下の北勝国の後を追うように八角部屋へ。
近大同期に杉田。中学横綱も取ってますが体が無かった。第2検査を経て一場所遅れで初土俵。
東洋大から一気に3人、武誠山、木村山、磋牙司、うち武誠山が付出しですが、今日まで十両経験無し。
磋牙司は高校横綱もとりましたが入門は大卒初の第2検査から。
なんとこの3人の中で今のところ最高位は木村山が一番上。
駿馬赤兎って足6本くらいありそうな人、大卒ですがなんと相撲経験無し。おまけに体も無くてこの人も第2検査。なんでまた、って思いますが三段目で頑張ってます。
翔鳳は水口ですね、大卒で弓取した人はじめてじゃないですかね。
嘉風は3年次に全日本で優勝したんですが卒業を優先したため付出し資格を失効、前相撲から取ってスピード出世。
里山は日大の先輩濱ノ島(当時現役)の後を追って三保ヶ関部屋へ。濱ノ島引退後の尾上部屋独立にもついて行きました。
同じ日大の豊真将は病気こじらせて一旦相撲を断念、大学も中退。警備員やらなんやらしながらも相撲への思い断ち切れず同級生が卒業して角界入りするのと同時に入門。
白乃波も日大。なんたら疑惑に巻き込まれて勧告引退。ほらね、日大から3人…
福の花は朝日大から初の角界入り。
時天空は東農大在学中に通信だか2部だかに転部して入門。「外国籍」+「大卒」の二人目。
なんか後でいろいろ書き足しますよ、気が向いたら。