もろもろ確認したいことあるんで薬師寺に行かねば。
となるととうぜん唐招提寺はセットだよな、しめしめ。
余りは三山、明日香村、吉野あたり、のんびり古事記万葉集散歩しよう、
うん未見の飛鳥の石造物も回れるかな、っとか。
それが何故か柳生にずっぽり埋まってまたも山道歩いてしまった2016年の駆け出し。
奈良に行くって思い立ってから半時間ほどネット見て回ってたら、
なんとなく「柳生街道」ってのがあるらしい、って知った。
それまで全く知りませんでした。
うん、こっちから入って一日くらい捨ててもいいかなって思いました。
で1月6日の宿取ったんですけど、念のため7日も同じ宿に連泊することにしました。
それが早目に出発できたんで、1月5日の夕方には名古屋に着いてたんだ。
中京人の執拗なイケズぶりについてはいずれ別項。
で、「今晩遅くに着いちゃいそうなんですけど泊まれますか?」 「はいどーぞ」
てなもんで名古屋から関西本線亀山経由で笠置まで。
なげーよこれ。暗い中淡々と夜汽車で。
近鉄で奈良まで行ってバスで戻ればよかった。
笠置の駅まで迎えに来てもらって5日の晩はさっさと寝る。
旅先じゃ早起きするよ、6時過ぎ起床、
6時40分頃、いくらか薄明るくなってきた頃合いに朝飯前の散歩。
アマノイシダテ神社まで登る。
一刀石 背丈以上はあるよ |
飛び出してきた天狗を一刀の下に叩き切ってすたこら逃げて、
翌朝見に行ってみたら石でした、って勇ましいんだか臆病なんだかわかんない話。
明日香や橿原の奇石が奈良時代以前を謳ってるのに堂々の江戸時代が奥床しい。
前伏磐 |
急に時代が飛ぶよな。
6mくらいあるんだ。
ここで宿に帰って朝食。
8時過ぎにあらためて本日の主題、柳生街道へ出発。
まずはいきなり疱瘡地蔵なんですが、
疱瘡退治祈願の石だったはずが、村郷の借金踏み倒し宣言碑になってました。
最初はこんな感じの優しい道。
なんたって
まあたまにはね、倒木でふさがってたりもします。
竹と杉のコンボブロックとかね。
涸れ沢なんだか道なんだかわかんないとことか。
もう絶望。
気を取り直して歩けばあったいう間に大柳生の集落に出ます。
ここ省略。ムカつくんで省略。
阪原の南明寺とかスルー。
もう一山超えて忍辱山円成寺(にんにくせん えんじょうじ)に着きました。
国宝だそうですよ。そうですか。 |
これも国宝 |
春日社と白山社、鎌倉時代だけど、うんこれはいいな。
正面入母屋で背面切妻、
後ろから見るともっといいな。
地形や東西の風抜け勘案すると、実にしみじみいいな。
この二堂の為に立てた拝殿の具合も位置按配もいいな。
拝殿の脇にある鐘楼の鐘の銘が阿弥陀如来だったのはどうしてだかわかんないけど。
この辺はバイクのツーリングロードになってるみたいですね。
ひっきりなしにビービーブーブー走ってきます。
山道歩い仏さま巡って里に出てきた身の上からは別世界の騒々しさです。
国道369号線です。
ミロクの道ですね。
今んとこミロク出てきませんけど。
この後、たぶんそれっぽいの出ます。
そう、弥勒といえば将来如来を約束された現菩薩なわけですが、
その56億年先の未来像たる如来の弥勒を確認したくて奈良に来たんでした。
忘れて帰りましたけど。
この円成寺の周囲の村名、集落名には経典由来のものが多いんですが、
その中に「誓多林」ってのがあります。
「せたりん」って読むんですが、
ぼくこれ強引に駒澤大学の校歌に出てくる「旃檀林(せんだんりーん)」と同じものだ、
と、原住民に説法してきました。
感心してたから、まあいいでしょう。
さて円成寺の西口から再び自然道にドロップイン。
ほんとよさげな道ですね。環境省(略
自動車通れる舗装路と交差すんのは、ブチ壊しで鬱陶しいんですけど、
そんなとこに停めてた軽トラの人が堅気じゃない、かんじ。
だってイノシシ引きずってるし。
あまりに血まみれてんで、「テッポウですか?」って聞いたら
「ワナ」だそうです。
60~70㎏見当、メス。
一番美味しい寸法、だそうです。
どーやったって軽トラの荷台に上がんねだろ、って思って手伝いました。
そしたらミカン2個もらっちゃった。
こっからわらしべるぜ、っとか思った。
「峠茶屋」に着きました。
えーと12時半頃、道草食ったとはいえ、出立から4時間くらい経ってます。
ここ、舗装路来てるし、
ってか峠の底なんだよね、
このジジイ、大丈夫なヒト? とかね。
名物は生姜湯。
箸一本刺さってんのが生姜湯。
おにぎりは朝に宿でくれたやつ。
ミカンはシシ猟師に貰ったやつ。
いや実際この道中、飲み物の自販機はあるけど、食べ物屋はほんとに無い。
気を付けろ。
えい、くたびれた。
歩くよりくたびれた。
今日はここまで。
0 件のコメント:
コメントを投稿