横浜港に寄航 |
わざわざ5回に分けたのに、5回目書くのすっかり忘れてた。
なに書くつもりだったかもだいたい忘れた。ドンマイ。
大島桜と大相撲の拍子木
大島桜といえばソメイヨシノをはじめ、多くの園芸種の母樹として知られてますが、
大相撲の呼出しが鳴らす拍子木も大島桜だったそうです。
そう書いてありましたから。
大相撲の行司呼び出しの際に使用される拍子木は大島桜を椿油で磨いたものが使われています。材も油も大島育ち。
呼出しの拍子木のすべてが大島桜製とは書いてありませんが、とにかくそういうことです。
力士・大島伝吉
岡田港の船着場のすぐ上に「力士・大嶌傅吉の碑」がありました。
写真では欠けてますが隣には卵型の力石もあります。
よく神社なんかで力石が転がってますが、ここのは一際でかい。
約750kgあるそうです。
ホントかね。
これは大島関係無い 神田"おタヌキ様"柳森神社の力石 |
で、この碑には「 力士・大嶌傅吉碑 黒田清隆書」としか書いてありません。
裏回って見ても何も書いてないようです。
横に丁寧な説明碑がありました。
ヒビだらけでよく読めないので、写真に撮って後でじっくり見てみよう、と思ったんですけど、
読めないものは読めませんね。
なんとか読めるとこと読めないけど想像で埋めたとことを書き起こしてみます。
「力士」大島伝吉の碑
~力士・大島伝吉~
岡田・塚の本から港へ下る大カーブ、都道をはさんで龍王神社の反対側に「力士・大島伝吉の碑」がある。明治27年(1894)1月、島の内外から大勢の協賛を得て建てられたもので、碑の文字は、明治憲法制定当時に我が国第2期目の内閣を組織して首相になった黒田清隆の署である。
伝吉は姓を島田といい、旧岡田村の出身、明治初期のころには、「関取」と「力士」とがあって、関取は今の相撲取りで土俵の上で勝負を競い、「力士」はその力量を観衆の前で見せる。伝吉はその力わざを見せるほうの力士で、いっしょに興行し巡業にも出たものだという。力士伝吉の事跡は■年のことで、現存する人達の中にもその剛力ぶりを知っている人もあり、数々のエピソードが残っている。その一例として、当時の関取、阿武松、高砂の両関取りが二人がかりでも動かすことのできなかった大石を一人で楽々と動かしたという。
~勇鑑石と智仁石~
碑のわきに、伝吉の力石といわれる約750kgの丸石があり、この石は「大島伝吉 勇鑑石」と刻されてある。伝吉はこの石を両手で高々とさしあげたという。
また岡田下町の■島はな氏の庭の一隅には、勇鑑石より小さいが「智仁石」と刻字された石がある。この石は、明治のころ村の青年達の力試しに使われた石で、この石を両手で頭上にさしあげると一人前と認められたといわれている。これも、大島が生んだ怪力夢想の雄、大島伝吉の力石にちなんで、行われるようになったものであろうか。大島伝吉について語り伝えられる数々の逸話が誇張でないことは、明治の顕官、黒田清隆の署になる碑銘によっても明らかである。
東京都大島支庁
ということで、「力士」といっても「相撲取り」ではない、と。
道理で聞いたことないもんね。
一般に「力士」と「関取」の違いは、幕内42名十両28名計70名の"有資格者"が関取で、幕下以下のそれ以外が力士、って説明されますし、現在の枠組みとしてはそれで間違い無いでしょう。
でも江戸時代の文献、明治期の落語講談なんかだと、その説明じゃしっくりこないことがままあります。
専修大の根問弘海先生の本なんかでもどっかで出てきた気がしますが、江戸期、そもそもの「関取」とは相撲取る人の中で一人前の人を指したと。
生月鯨太左衛門なんかは「力士」としての看板大関だったと。
でこの大島伝吉も力持ちを見世物とする「力士」であったと。
それでもその力自慢は当時の大関高砂、阿武松に引けを取らなかったと。
活躍時期が明治初年ということなんで、初代高砂、四代目阿武松といったとこでしょうかね。
「大相撲の拍子木は大島桜を大島椿の油で磨いたもの」
「明治初年まで関取と力士は別の職業」
覚えました。
揚げ物の島
着いた当日の午後、「海岸遊歩道」から命からがら娑婆に戻って泉津のバス停前の「武田商店」に飛び込みました。まあ集落のよろず屋、酒屋雑貨屋に毛の生えたようなもんと思いきや店内は意外、精肉や鮮魚、惣菜が小規模ながらもみっしり揃ってました。
ここでぼくはビールとコロッケとアメリカンドッグ買って待合小屋でビール開けた途端にバスが前倒しでやってきたのでアメリカンドッグくわえながら飛び乗りました。
二日目は波浮に行ったんでしたっけね。
波浮港にはコロッケ、串カツ、メンチ、ハムカツやなんか、たいへん評判の鵜飼商店という店がありました。
三日目午前の散歩の終わりに「地の岡」のバス停裏にあった「肉よし」で明日葉コロッケと串カツ買ってバス停のベンチで食べてました。
ソースの小瓶でも用意しとけばよかったですね。
ブルドック 中濃ソース 60ml アフィリンクじゃないから押しても大きい画像になるだけ |
大島バスの路線バスは全区間自由乗降らしいですよ。
バス停に関わらず、通りかかったら乗れるし、好きなとこで降りられる。
でもって結構便数はあるんで計画的に使えば島内観光に十分役立ちます。
それにしても乗降客いないとガンガン飛ばすんで、途中停留所は結構前倒しで通過しやがります。
早めに待ってるといいです。
ただ終バスは早い。
三原山ラインで15時台、大島公園-岡田-元町ライン、波浮-元町ラインは18時頃に終わります。
元町の夜祭とか夕食後に御神火温泉とか行ってると、帰りは使えません。
東海汽船の竹芝からの船、往路の金土、復路の土日は横浜港にも寄港します。
冒頭の写真は横浜寄航時、23時半くらいのものです。
高速船ではなく大型客船の場合、往路は8時間かかりますが、復路は4時間半くらいで済みます。
地球の自転方向とか潮流とかそうゆううことでしょうかね。
船内の食堂は大島出港後1時間くらいで一旦閉店してました。
2時間くらい休憩みたいの挟んで浦賀水道かわしたあたりで営業再開してましたけど、なんか意味あんですかね。
なんか他に大事な留意点が細々あった気がするんですが忘れました。
復路は観音崎かわすあたりまでずっと大島見えるんですが、2月初めの時点で見えなくなったあたりで日没でした。
ちょうど猿島に沈んでいきました。
第二海堡のすぐ脇通る頃には灯台の灯や行き交う船の舷灯にも明かりが入りイイかんじでしたが、もう今頃は竹芝到着まで明るいんでしょうね。
あとなんか思い出したら書き足しましょう、いつものように。
あ、島内にコンビニ無いですからね。
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