土曜日, 12月 24, 2011

稀勢の里効果?

あぶない、あぶない。
ほんとは相撲のこととはあまり関係ない、もっと大事ななにかの話。

まずはニュースの引用。

稽古総見:2831人の観客を前に熱こもった申し合い (毎日新聞)
…総見には琴奨菊と稀勢の里が大関として初参加。9月の秋場所前の総見の2倍以上にあたる2831人の観客が集まった中、熱のこもった稽古を見せた。

稀勢の里ファイト、琴奨菊も頑張る…稽古総見 (読売新聞)
…稀勢の里、琴奨菊の日本人大関が意欲的に土俵に上がり、9月の秋場所前の倍以上となる2831人の入場者を沸かせた。

観衆はことし最多…日本人大関2人で人気回復の兆し (スポニチ)
…秋場所前は2000年に無料公開が始まって最少の1357人しか集まらなかったが、横審の鶴田委員長は「日本人大関2人が誕生して、ファンを取り戻すことになった」と喜んだ。

稀勢の里、好調!上位陣から8勝5敗 (デイリースポーツ)
…新大関対決に秋場所時の約倍の2831人のファンが沸いた。

初場所の入場切符が好調!そのワケは? (夕刊フジ、の例のアレ、大見信昭)
…9月に行われた前回の稽古総見の入場者は、総見史上最低の1354人。館内には閑古鳥が鳴いていたが、この日は2倍強の2831人。
…この突然の人気アップの源が、新大関の稀勢の里にあるのは間違いない
キリが無いので(ほんとはあるけど)この辺で。
各社こぞって似たようなこと書いてますよ。
やれ稀勢の里人気だ、やれ琴奨菊とのダブル日本人大関効果だ、と。
そうなのかもしれない。
実際そういうこともあるんでしょね。
これは「事実」なんでしょね。
総見に足を運んで取材して、自分の目で耳で見たこと感じたこと書いてんでしょうから。
嘘でもデマでもない「客観的事実」なんでしょね。
確かに稀勢の里、人気でした、歓声上がってました、琴奨菊にもずいぶん声援飛んでましたね。

でもそれで観客倍増ってホントですかね?
増えちゃいけない、って言うわけじゃないです。むしろ慶事ですし。
で、ここにもういくつかの「事実」を並べてみましょう。

新入幕隆の山が人気1番 98キロに大歓声 (日刊スポーツ 9月3日)
…観衆は史上最少の1354人で、従来の記録だった5月技量審査場所での1708人を下回った。

ひんやり秋場所“綱&W大関取り”でも盛り上がらぬワケ (夕刊フジ  またアノ大見信昭)
1週間前の今月3日、公開で行われた横審の稽古総見でも史上最低の1354人しか観客が集まらず、入場券の前売りもいまひとつ。ヒンヤリとした空気が気になる。どうして活気が出てこないのか。

台風12号、高知に上陸 2人死亡、5人不明 (朝日新聞 9月3日)
大型の台風12号は3日午前10時前、高知県に上陸し、徳島県三好市付近をゆっくりと北へ進んだ。
台風12号、鉄道運休相次ぐ 空路も400便欠航 (朝日新聞 9月3日)

<台風12号>死者48人、不明者58人…平成最悪に (毎日新聞 9月7日)
日本を縦断した台風12号による被害は、毎日新聞の集計で6日午後8時現在、 12道県で死者48人、行方不明者58人の計106人に上り
「過去最低」だった前回の総見って、こんなさなかにやってたんですよ。
取材行った人、記事書いた人、
東京だって交通機関ズタズタ、両国だって大雨暴風、
あれ全員そろって忘れちゃったんですかね。
なんか各社のアングルに沿わない「事実」は隠しちゃってんじゃないすか?
今回の観客倍増を伝える新聞は数々ありましたけど、
ほんの2ヶ月前、前回の総見当日がえらい台風だったことを添えて書いたとこありません。
例によってサンケイ=フジの大見先生、「好調!そのワケは」とか「盛り上がらぬワケ」とか、
まさに訳知り顔で毎度語ってらっしゃいますが、そこんとこどうなんでしょう?

おやおやこんな記事もありましたよ。

横審稽古総見 観客はワースト1354人…理事長「大雨予報だから」 (スポニチ 9月3日)
…観客はこれまでの一般公開で最少の1354人。放駒理事長(元大関魁傑)は「大雨になるんじゃないかという予報だったから」と、“不入り”の理由を天気予報に求めた。
取材して、コメント取って、書いといて忘れたフリですか?
理事長がまるで責任転嫁でもしてるかのように書いといて、それっきりですか。
そうですよね、こんなもんですよね。
昨日の総見だって白鵬が申し合いの相手に小結以下しか指名しなかったこととか、
日馬富士や安美錦は顔出しただけで土俵に上がらなかったこととか、
豊真将、豪風、嘉風、若の里… 欠席力士も多かったこととか、
「事実」があっても書きません。

以前の稽古総見でこんなことありました、白鵬と元大鵬の納谷幸喜氏の心温まるエピソード。
十両も下がり、土俵周りには大関までの上位陣も揃い、いよいよ花道より横綱登場。
と、横綱白鵬おもむろに親方衆に並んで車椅子で検分してる納谷氏に歩み寄り、
膝をついて握手を求め熱く言葉を交わす、そこに報道陣殺到、カメラの放列、一斉フラッシュ。
ふーーんと思って見てましたけど、でも帰ってニュースチェックしてたら、
その直前に支度部屋を訪れた納谷氏に新著「横綱大鵬 晩節のかがやき」でしたっけ、
貰って激励を受け丁重に礼言ってたってあるじゃない。
それぞれは書いたり写真載せてたとこあったけど、併せて書いたとこ、当然無い。

ほとんどの大相撲ファン、大相撲嫌いは滅多にテレビや新聞を通した情報以外触れられません。
「事実」の全てを知ることはできません。
そこで報じられてる「事実」だけを材料に大相撲に対する印象・知見を構築するわけです。
力士に対するイメージを構築するわけです。
朝青龍は悪い子だとか白鵬は日本人以上に日本人だとか今度の理事長はあーだとか。
報じられない「事実」は顧みられることはありません。

「客観的事実だけを材料に、惑わされずに粛々と判断」してるつもりでも、
そうじゃなくなってたりすること、結構あります。
あらためて気をつけなくっちゃね、と思いました。


初場所、早く始まらないかなあ。あと16回寝たら始まるみたいだけど。

土曜日, 12月 10, 2011

月の南中高度

あー今日は皆既月食かー。

ということで急遽思い出したんですけど、月の南中高度の話。
これ意外と誤解されてますけど、太陽とは大部違うんです。
誰も興味が無いんだか、何故か知られてない。
なんとなく夜空を見上げて、あら冬なのに月が高い、
なんてうっすら思ってそれっきり忘れてる人も多いと思います。
そんな難しい話じゃないんですけど、
理系の大学入試に出しても、解答できない人は少なくないんじゃないかと。

今日は詳しい説明しません。
図だけ見てって下さい。
2011年の東京における月の南中時の高度です。
ざっくりしたグラフですね、さっきテレビ見ながらこさえましたから。
こっから表をExcelにコピペしてグラフウィザードで吐き出させました。
黄色い丸はもちろん満月です。
太陽の南中高度は1年周期で変化するんですが、
月の場合、27日と3分の1くらいの周期で日々変化してます。
だからこのグラフにも13回くらいピークがあります。
で、満月が一番高く昇るのは冬至に近い時の満月です。80度近い。
逆に夏至に近い時期の満月は一番低い。30度しかない。
南中時の最高高度も最低高度も冬の方がちょっと高い。

ついでに言うと、冬至の満月の南中高度は夏至の太陽の南中高度にほぼ等しい。
夏至近くの満月の南中高度は冬至の太陽の南中高度にほぼ等しい。
すなわち、3080度範囲を
太陽は1年掛けて遷移するのに対し月は4週間周期で遷移します

首が疲れるほど高過ぎず、隣の屋根に隠れるほど低過ぎず、
そんな時期の満月が「中秋の名月」です。

あー思い出したんでさらに蛇足。
グラフの青い線に沿って満月の15日後の点をプロットすると新月の南中高度が示せます。
その点を結んでいくと、
満月の黄色い点を結んだ線を半年遅れで追っかける線が描けます。
これほとんど太陽の南中高度の推移と重なりますね。
そう、新月の南中高度は年間を通して太陽の南中高度にほぼ重なってる
時にはぴったり一致する。
これが日食です。

とにかくそういうことです。
みかんとリンゴとメロン持ってきてくれたら、も少し詳しく説明します。

月曜日, 12月 05, 2011

冬至と師走と不定時法

師走の語源についての話です。
暮れも押し迫ってくると仏事が増えて坊さんも走り回る、とかって俗説ありますが、
仏事・法事が暮れだから特に増えるって話も聞きませんよね。
じゃあなんなんでしょうね、あれ。

さて冬至も近づいてまいりました。
ほんとは旧暦の師走は冬至が過ぎた直後あたりに始まるので、
今は旧暦で言ったらまだ霜月なんですけど。
とにかく旧暦の霜月・師走はたいへん日が短い。
北緯35.7度あたりに位置する東京の場合、
冬至の日の出から日没までの昼の長さは9時間44分しかありません。
残りの14時間16分が夜です。

江戸時代までの日本の時刻は、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、
(厳密にはそれぞれ約30分遅れ)それぞれを6分割して1刻としてました。
これを不定時法と言います。
西洋では紀元前から日の出から次の日の出までを24等分する定時法がとられてたので、
せっかくの南蛮渡来の時計も日本では使えません。
そこで江戸や長崎の職人さんは、洋時計の技術を分析模倣改造しつつ、
驚異的な技術力をもってして、不定時法対応の和時計を作ってしまいます。
「二挺天賦式」とかいって、それはもうアンティキアラのアレ並みの物凄いのを作ってしまいます。
不定時法だと季節の移ろいによって昼夜の一刻の長さが変わっていくのですが、
そんなのに自動で万年対応するとんでもない代物です。
もう興奮して説明すんのも無理、上野の"かはく"にでも見に行ったらいいと思います。

てなわけで、江戸時代までの時刻ってのは、昼の一刻と夜の一刻は長さが異なった、
それがまた季節によって刻々と変化した、と。
どのくらい異なったかってのを、面倒だから今の「1時間」に例えてみます。
昼の「1時間」は日の出から日没までを12で等分したものですから、
冬至の場合9時間44分÷12で48分40秒です。
冬至の夜の「1時間」は14時間16分÷12ですから71分20秒です。
春分・秋分の「1時間」に比べて、2割近く増減するわけです。

お坊さんのお勤めってのはたいてい夜明け前から日没あたりまでに収まってますよ。
定められた日課のスケジュールのほとんどを、
平均より11分短い「1時間」の刻みの中で進行していかなくっちゃなんない。
起きたらすぐにあっちのお堂こっちのお堂でいつものお経を早口で読んで、
ご飯だって早食い、といってゴハンの炊き上がる時間まで2割減になるわけじゃなし。
午後からは檀家回りが3軒、夕のお勤めまでに帰らなきゃ、
あ、97分おきに鐘つかなきゃ、あわわわー

そりゃ坊主も走るわ

ってあたり、もしくはその近辺が師走の語源なんですよ、思うにきっと。



追記:
ここにとってもいい図がありましたね。
via:ときをまなぼう - こどもセイコー