師走の語源についての話です。
暮れも押し迫ってくると仏事が増えて坊さんも走り回る、とかって俗説ありますが、
仏事・法事が暮れだから特に増えるって話も聞きませんよね。
じゃあなんなんでしょうね、あれ。
さて冬至も近づいてまいりました。
ほんとは旧暦の師走は冬至が過ぎた直後あたりに始まるので、
今は旧暦で言ったらまだ霜月なんですけど。
とにかく旧暦の霜月・師走はたいへん日が短い。
北緯35.7度あたりに位置する東京の場合、
冬至の日の出から日没までの昼の長さは9時間44分しかありません。
残りの14時間16分が夜です。
江戸時代までの日本の時刻は、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、
(厳密にはそれぞれ約30分遅れ)それぞれを6分割して1刻としてました。
これを不定時法と言います。
西洋では紀元前から日の出から次の日の出までを24等分する定時法がとられてたので、
せっかくの南蛮渡来の時計も日本では使えません。
そこで江戸や長崎の職人さんは、洋時計の技術を分析模倣改造しつつ、
驚異的な技術力をもってして、不定時法対応の和時計を作ってしまいます。
「二挺天賦式」とかいって、それはもうアンティキアラのアレ並みの物凄いのを作ってしまいます。
不定時法だと季節の移ろいによって昼夜の一刻の長さが変わっていくのですが、
そんなのに自動で万年対応するとんでもない代物です。
もう興奮して説明すんのも無理、上野の"かはく"にでも見に行ったらいいと思います。
てなわけで、江戸時代までの時刻ってのは、昼の一刻と夜の一刻は長さが異なった、
それがまた季節によって刻々と変化した、と。
どのくらい異なったかってのを、面倒だから今の「1時間」に例えてみます。
昼の「1時間」は日の出から日没までを12で等分したものですから、
冬至の場合9時間44分÷12で48分40秒です。
冬至の夜の「1時間」は14時間16分÷12ですから71分20秒です。
春分・秋分の「1時間」に比べて、2割近く増減するわけです。
お坊さんのお勤めってのはたいてい夜明け前から日没あたりまでに収まってますよ。
定められた日課のスケジュールのほとんどを、
平均より11分短い「1時間」の刻みの中で進行していかなくっちゃなんない。
起きたらすぐにあっちのお堂こっちのお堂でいつものお経を早口で読んで、
ご飯だって早食い、といってゴハンの炊き上がる時間まで2割減になるわけじゃなし。
午後からは檀家回りが3軒、夕のお勤めまでに帰らなきゃ、
あ、97分おきに鐘つかなきゃ、あわわわー
そりゃ坊主も走るわ。
ってあたり、もしくはその近辺が師走の語源なんですよ、思うにきっと。
追記:
ここにとってもいい図がありましたね。
via:ときをまなぼう - こどもセイコー
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