それで前々から気になってたことをぶつぶつと。
力士の出身地なんて自己申告でいつだって変更できるようなもんなんだから、
実にどーでもいい事なんですけど、
把瑠都の出身地、諸説あるんでなんだかわからなくなる前に一度整理してみようかと。
日本相撲協会公式サイトの大相撲名鑑によると把瑠都の出身地は「エストニア・ラクヴェレ」ということになってます。
場内放送でもそう紹介されてる。
でもこれ、ほんとは「ラエクヴェレ」なんじゃないの? と疑義をはさんでた方がいらっしゃる。
把瑠都の故郷 - エストニア情報瓦版 - Vanapagan pajatab
このあたりヴェレヴェレ似たような地名が多くて話だけだとややこしいから、
地図にプロットしてみましたよ、と。
より大きな地図で 把瑠都の出身地 を表示
まず一般に出身地とされてるラクヴェレ Rakvere ですが、
地図に赤ピンでプロットしたのはラクヴェレ"市"の位置です。
日本語のWikipedia見ると「ラクヴェレ県エバベレ村」とあります。黄色のピンのとこ。
ところが英語版やエストニア版のWikipedia、あるいはエストニアのファンサイトなんかだと「Väike-Maarjas」ってなってます。水色のピンのとこ。
早速ややこしくなってまいりました。
Rakvereという市はRakvere vald(ラクヴェレ郡?)にあるんです。
でこのRakvere valdはLääne-Virumaa(レーネ=ヴィル県)に含まれます。
一方のEbavereはVäike-Maarja vallas(ヴァイケ・マーリヤ郡?)に属します。
Väike-Maarja vallasもまたLääne-Virumaa(レーネ=ヴィル県)を構成する自治体です。
日本風に言うとレーネ=ヴィル県ヴァイケ・マーリヤ郡エバヴェレ村といったとこでしょうか。
従ってエバヴェレはラクヴェレ市にもラクヴェレ郡にも含まれてないんです、たぶん。
ja.Wikipediaが間違ってるようです。
さて、一方現在実家一族が住んでるのはRofuです。緑のピン。
このRofuはLaekvere vald(ラエクヴェレ郡?)に含まれます。
レーネ=ヴィル県ラエクヴェレ郡ロフ村ってとこですね。
そのラエクヴェレの中心が紫のピンのあたり。
そこで先の「エストニア情報瓦版」では、ラクヴェレではなくラエクヴェレであろう、と。
どうやらそんなかんじしてきましたね。
把瑠都が生まれたのは レーネ=ヴィル県ヴァイケ・マーリヤ郡エバヴェレ村、
現在実家がある育った村が同じくレーネ=ヴィル県のラエクヴェレ郡ロフ村、
ラクヴェレはレーネ=ヴィル県を代表する中核都市なので、
なんとなく混同されて出身地として登録されちゃっただけで把瑠都本人とは関係無さそうですね。
実は誤登録、把瑠都本人も気付いてないかもしれませんね。
あーなんだかスッキリした、済んだ済んだ。
と思ったら済まないんですね。
だって初場所千秋楽で把瑠都の母ちゃんが誇らしげに振ってたの、
ラクヴェレ市の旗だったもんね。
ラクヴェレ市の旗 |
おまけ、エストニアの新聞から。
via:Postimees.ee |
世界中どこの村だってこーなるわな、お相撲さん来たら。
via:Postimees.ee |
それにしてもどっかで見た絵面だなあ。
via:Postimees.ee |
とにかくいろんなもん撒く人だ。
via:Postimees.ee |
1 件のコメント:
コレ、私も、把瑠都が入幕した頃から断続的に調べていますが、どうもはっきりしなくてモヤッとしたままです。
エストニアのファンサイトができているのは知らなかったのですけど、「エストニア情報瓦版」によって結論が出た!と思っていたら、初場所千秋楽に振られていたラクヴェレ市旗(笑)というところまでほぼ同じ…。
参照できるところが限られるから、似たような過程を辿っちゃいますね。
昨年の12月18日付けNHKニュースのサイトに掲載された、把瑠都の故郷で子供の相撲大会が開催されたというほのぼの記事に「把瑠都の実家にほど近い、エストニア北部のヴィンニ村で17日に開かれました」という件が。
少なくとも、把瑠都が通った道場がヴィンニ・サクラという名前でしたので、気になります。
ラクヴェレとラエクヴェレの間違いだとすれば、入門時の書類に記入してくれた日本人の聞き間違いでしょうね。
黒海と栃ノ心が同じ名前なのに、レヴァンとレヴァニになってたりしますし。
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