土曜日, 2月 14, 2015

AURORA計画 (試作)

.gif や .png は透過にできるから、加工しとけば即席フォトフレームとして使えるな。
ってことで取りあえずやっつけに作ってみた。

なにからなにまで雑な仕事
で、ここに適当な写真を適当に用意する。


で、適当に乗っけてサイズ調整。
余ったフチは切り取る。(省略)


うん、素材の切り抜き、手抜きするとダメだな。
いつかちゃんとしよう。


ついでに有りあわせの画像で適当に。

本番中に自撮り
Vに写り込み
少しだけ丁寧な仕事
どけよ、修羅場だろ









金曜日, 2月 13, 2015

日本人一人当りの原油輸入量を畳敷きの深さで表してみる

算出期間は1960年~2011年までの52年間、
原油輸入量は資源エネルギー庁の資源・エネルギー統計年報・月報
人口は統計局の人口推計を使った。

集計した素のデータは以下の通り。
テーブル張ったらまた壊れたんで、画像で失礼。

表1

まずこれを元に日本の「年間原油輸入量」の推移をグラフにしてみる。
縦軸の単位は千キロリットルである。
グラフ1
日本の原油輸入量は戦後30年近く増え続け、1966年に1億キロリットルを超え、
実に第一次オイルショックの1973年こそ2億8862万キロリットルと今に至るまでの過去最大量を記録した。
第一次オイルショックでは原油価格の高騰にも関わらず、その後の数年も輸入量が高止まりしていることが読み取れる。
輸入量が目に見えて減るのは、イラン革命を受けた79年の第二次オイルショック以降である。
この時期国際的原油価格はむしろ逓減傾向であったにも関わらず、日本にとって主要供給国であるイランの採掘量・輸出量の激減が日本経済に深手を負わせた。
日本社会が本気で省エネ・脱石油依存に目覚めたのはこの機であった。

プラザ合意に始まる円高不況を乗り越え、輸入量が底を打ったのは86年、
この年の12月からは景気動向指数が実に51ヶ月にわたって拡大し続けたいわゆる「バブル景気」にあたる。

その後94年に再ピークを迎え、以降現在まで緩やかな漸減傾向にあるといえるが、
現在なお2億キロリットル以上を輸入している。



次に当該年間の日本の人口推移は以下の通りである。
ただしこれは「日本国籍者」の概数であり、外国人を含む実際の国内居住者はこの1~1.8%ほど多いのであるが、細かいことは気にしない。
だいたい千人単位なんだし。
縦軸の9000万人以下を省略しているにも関わらずそれを示す波線が入ってないのはグラフウィザードでの入れ方が解らなかったからであり、どうせ画像で貼るのだから適当にコントラスト落とした条虫の絵でもペーストしとくという方法もあるのだが不恰好だし第一めんどくさい。
悪いとは思っている。
グラフ2
日本の人口は戦後順調に増加を続けた。
1966年の人口増加が一瞬鈍化するのは当年が丙午であったからである。
それを乗り越え67年前半には一億人を突破すると、しばらくは緩やかに増加を続けた。
03年に1億2620万人を超えてからは頭打ちの様相を示し、07年の1億2635万人をピークに現在は減少期を迎えている。



年間輸入量を人口で除すことで、一人当りの年間原油輸入量が算出されるわけだが、
それはもう「表1」の時点で出してしまっていた。

そこで「一人当りの年間原油輸入量」を「タタミ一畳分の底面を持つ桶」汲んだら
どのくらいの深さになるか、を算出してみた。
「タタミ一畳」の面積については、

「京間と江戸間が…」
「近年は団地サイズや…」

と小煩い能書き垂れたがる者もいるが、そんなもん換算用のタタミ一畳なんて半坪に決まっている。
ここでは「1.65289256㎡」を採用する。


結果、出力されたものが下のグラフである。

グラフ3

73年には日本人の成人平均身長に迫る160.9669cmを叩き出し、これが現在に至る最深値である。
64年には膝の高さ程の46.6609cmであったのだから、10年間で実に3.45倍も深くなったわけである。

その後85年から1mを切る状態が4年続いたが89年再度1mを超え上昇を続け、94年の133.4204cmを再ピークとして現在まで緩やかな減少傾向が続いている。




ちなみに1972年生まれの日本人が2011年に40歳になるまで1畳分の底面積を持つ桶に毎年一人当たり原油輸入量を溜め続けた場合、その積算深度はは4837.235cmとなり、これは奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)の台座を含めた高さの約3倍に相当する。
東大寺盧舎那仏は坐像であるが、仮に立ち上がったとしても頭は出ない深さである。
片足立ちに背伸びして万歳しても指先すら出ないであろう。
もっとも底面1畳分の桶には大仏の片足とて入らないのでそもそも無駄な算段ではあるが、グリコのポーズで原油まみれになってる大仏は想像するだに不憫である。




木曜日, 2月 12, 2015

伊豆大島に行ってきた件 4/5 ぶらっとハウス、乳が崎、地の岡とか

Vera Lynnの "We'll Meet Again"が脳内に鳴った人は要診断


伊豆大島もいよいよ三日目月曜日、この日の午後の船で帰ります。
だから午前中の散歩。
さして書くほどの出来事も無いので、なるべくだらだら書きます。
カメラの電池も切れ切れで写真も少ないし。

朝食時、宿のおばちゃんに
「今日はどこ行くの?」
って聞かれたんで、
「適当に飛行場の方でもぶらっと回って来ようかと」って言ったら、
「あー、じゃぁぶらっとハウスだか行ってみたらいいよ。なんだか直売もあるらしいし」
まぁ荷物になるようなもん要らないんだけど、そっち方面行くんだから寄ってみようかと。
9時に東海汽船の窓口開くの待って、船のきっぷ買ってからスタート。


大きな地図で見る

だいたいこんなルートでした。脇道入ったり道草いっぱい食ってるけど。

標高100mくらいの岡田郵便局までヒイヒイ言って一気に登るのも
なんだか慣れてきた気がしましたが気のせい。
バスやクルマで何度か通ってるから見慣れただけ、歩くのは2回目。
そこから元町方向へ伸びる道は大島一周道路で直線2kmくらいの桜並木になってます。
花が咲いてるわけでもなし、交通量多いだけなので回避、早速脇道へ。

さくら小学校、大島第二中学校を左に、なんたら保育園を右に見ながらだらだら緩い下り坂。
適当なとこで適当に西へ逸れると沢に沿った道になりました。
足を止めて沢を覗いてると、なにか動く気配。
またリスでした。
一目十匹はいるかんじ。
沢の向こう岸からこっちまで、枝を飛びわたりながらがさごそやってます。

このあとまた直線の緩い下り坂になるんですけど、
道の左右両端が一段高くなってる。
ストリートビューあったんで、こんなかんじ。


大きな地図で見る

大雨降ったらいいかんじで川になりそうです。
そんな道をだらだら下ってると、うっすらと厩舎や堆肥の香り。
町営牧場に着いたみたいです。
富士山、相模灘を背景にカメラ目線くれる牛
この町営牧場の一角に「ぶらっとハウス」という直売所があります。
喉も渇いてるので入ってみて、小さい牛乳あるか聞いたら200mlのからあるっていうんで、
それ買って飲みました。
「本日のアイス」ってのも6種類くらいだか揃ってて興味はあったんですけど、
この時点で10時前、まだ気温も上がってきてないし、風はあるしで断念。

「道の駅」みたいなかんじです。
農産品や工芸品が並んでて。
客は他にだれも来てないけど納品の人たちが忙しそうでした。
観光パンフみたいのも各種置いてあるんですけど、
その中にそれまで見たこと無かった大判の地図がありました。
ちょっと古いみたいなんですけど、八つ折りにしてB5、広げてB1判くらいの。
たいへん便利。
でも今更もらってもなあ。

とにかくこっから北の方へ行くと、灯台やら為朝古戦場やら乳が崎とやらがある、と。
では行ってみましょう。

だいたいの道は見当ついてたんですけど、途中ゴミ出ししてた婆さんに確認してみると、

「そっちでも行けるけどヤブだよぉ」

ヤブ上等。こっちは一昨日の海岸遊歩道で度胸ついてるから。
それよりさっきから間歇的に通るクルマが鬱陶しい。
クルマよりヤブの方がまし。虫いないし、キョン死んでても。
でヤブでも抜けたら行けるんでしょ、って念押したら。

「人んち通るよぉ」

ってんで断念。人様んとこは通らずに済むならなるべく通りたくない。
でもって教えてもらった通りの道を行きました。
一応ちゃんとした舗装道路を突き当たって左折したとこでさらに北に行くヤブ道発見。
上の図のピンクの点線。

適度に踏みならされてて歩きやすい道を行くと、すぐに出ました。
もう海越しの富士山飽きた
また崖の上。

乳が崎の付け根です。
伊豆半島、三浦半島、房総半島が一目見渡せる退屈な絶景です。

また元の道に戻ってやり直すと、間もなくまた北に入るヤブ道が。
周囲には軽トラやなんか数台止まってて、
奥からはチェーンソーだかグラスカッターのエンジン音が複数聞こえてきます。
作業中のとこ恐縮ですが、行けるとこまで入ってみます。
上の図のオレンジの点線ですね。
最初のうちはこんなかんじ
100mほど入ったとこで10人前後が道刈り払う作業してました。
この先、ぐるっと回って野田浜の方に降りられるのか聞いてみたら、

「降りられねぇヨ、ヤブ漕いできゃ降りられなくもねぇけど、道はねぇヨ」
「とにかくすぐ先で行き止まりだからヨ、行ってみりゃいいサ」

ってんでまだ先に進みます。
と、少し開けた広場みたいとこに出ました。
ここでも3人のおじさん達が作業してました。
そしてなんとここには「Photo Spot この風景を写真に撮ることができます」の立て札までありました。
実際振り返って見ると、最北端からの三原山までの島北半分が一目に見えます。
こんなとこ、年に何人入ってくんですかね。
ツアーの団体ならまず来ませんね、苦情出るから。
それ以前に大勢で歩けるとこじゃない。
なかなかの絶景ですよ、個人なら行くべきですよ、よっぽど暇なら。

そこで作業してるおじさんたちに、「ここで終点なの?」って聞いたら、

「いやぁ、もうちょっと先まで行けるんだけどねぇ、刈ってないからなぁ、行けるかなぁ」
「最高見晴らしいいんだよぉ、島も海もグルーっと見える」
「ソコから入るとねぇ、あとねぇ、200mも無いんじゃないかなぁ、でも行けるかなぁ」

なんて言われたんで、行けるとこまで行くことにしました。
2日前に海岸遊歩道経験してなければ絶対引き返してました。
赤い点線のとこ。

「ソコ」から入ってしばらくは、それまでの道とさほど変わらない、
足元に枯れ枝やら根っこやらは混み合ってるものの、幅1m程は確保された道でした。
先がちょっと開けたな、と思ったら金網の柵があって無線の鉄塔が立ってました。
そこまでは定期的に人が入るってことでしょうか、
その先は笹だか萱だか2mほどの高さでおい茂ってて、もうほとんど道筋が見えない。
立って歩くと体の幅も開いてない。
ってか直立してると足元が見えない。
のでしゃがんで漕ぎました。
帽子と手袋とメガネあってよかったです。
これ、しゃがんで地表50cmくらいからの視点
歩けそうなとこ、幅30cmくらいありそうですけどね、かなり狭い尾根道ですよ。
先の方行くと左右1m向こうは崖になってる馬の背ですよ。
ヤブの向うに海が透けて見えてる。
左右からどっぱんざっぱん交互に聞こえる。
左に落ちれば野田浜の方で、どっか引っ掛からず下まで落ちれば発見してもらえるかも。
右に落ちれば岩場までまっしぐら、太平洋ひとりぼっち。
ここで相撲取ると両者あぶない。

足元ってか目の高さなんですけど、ロープが張ってありました。
左右の杭から。
どうやら今度こそここで行き止まりらしいです。
ってかここちゃんと道だったようです。

でもとにかく背丈以上に萱が生い茂ってて、周りぜんぜん見えません。
なので背伸びして頭の上でカメラのシャッター適当に押してみました。
休ませとくと時々バッテリーが復活する。
南東向き
左半分に三原山の山腹。
中央、滑走路の向うのポコンとしたのは標高119mの愛宕山だと思います。
右に霞んで見える三角のが利島、
その左奥、さらに霞んでるのが新島。
たぶん。
北西向き
お約束。相模灘越しの富士山。


さて引き返します。
さかんにシルバー戦隊が下刈りしてたんで、今頃はもすこし楽に先端まで行けるかと思います。
団体旅行にはすこぶる不向きですけど、
個人で行くには面白いとこだと思います。
こーゆうとここそ大島の魅力とかなんとか。
ただとにかくアレですね、前日雨降ってたりしたら厳しいですね。
お天気が数日続いた後なら、とっても楽しいと思います。
保安上、一人で入るのはどうかとも思いますが。

大島シルバー人材レンジャー機動車両
元の道に戻り、野田浜までだらーっと下りました。
野田浜から見上げた乳が崎が下の絵。
赤丸がヤブの途中の鉄塔。
オレンジ矢印のあたりがたぶんさっきの到達点かと。
ところで 為朝古戦場ってどこだったんでしょうね、さっきのヤブ漕ぎ道中の広場?
さっぱりわかりませんでした。

乳が崎を南の野田浜からのぞむ

この野田浜、通年のダイブスポットらしいです。
野田浜から万立浜とかいうあたりまでサンセットパームラインっての歩きましたが、
ところどころクルマが停まってて、ウェットスーツ姿の人が上がってきたりしてます。
砂浜ってのは少ないんですが、逆に岩場というか軽めの磯が多く、
波のほとんど打ち込まない汐溜りなんかもそこここにあって、
スノーケリングなんかもよさそうです。
ところどころ柵も飛んでて
そのまま磯に降りられる親切設計

そろそろお昼も近いんで、このへんでどっかで食事でもできるかなとか思い始めました。
が、そうそう簡単には無いのは昨日までに学習しています。
このままぼんやり海沿い歩いていても、そう遠くないうちに御神火温泉まで着いてしまいそうなので、
適当に川沿いの道を内陸に折れてみました。
ってか昼休みらしき高校生が3人ほど走ってきて、そっちに走り去ったので、
きっと道が抜けてるんだろうと思って追ってみました。

細くてクルマも少なく、左右に途切れ途切れに農場が並ぶ道をダラダラ登っていくのは
なかなかいいかんじでした。
行く手に滑走路が見えてきます。
突き当たって滑走路に沿って歩けばどっかにトンネルあって向こうに抜けられるハズ、
と思ったんですが、行ってみたら日差しがきつそうなんで引き返して、
一本裏の舗装の無い道を行きました。
公道なんだか私道なんだかよくわからなかったですけど。

林の中に小さな畑を持つ家が点々と続き、
アタマがどうかしてたらおとぎ話の国に来たようにも思えた光景をしばらく進みます。
突き当たって左に滑走路をくぐるトンネルが見えたんでそっち行きます。
とにかく飛行場越えて東に行けばどっかしら都道:大島一周道路に出るはずだ、と、
適当に自信を持って歩いてたら見覚えのあるとこに出ました。

ケーキ屋さんとか石材屋さんが並んでます。
バスや車で何度も通ったとこです。
石くに
「地の岡」ってあたりです。
ここで12:30、岡田行きのバスが通るまで40分くらいあります。
ただ、飲食店は無さそうです。
もしかしたらケーキ屋さんでなんかパスタランチみたいのやってた気配もありましたが。

でもバス停の裏にお肉屋さんありました。
小さな店に見えましたが、行ってみると揚げ物や惣菜が思いのほか充実。
精肉だけでなくモツなんかも幅広く揃っててこれは大変。
肉よし
電話:2-4129(ヨイニク)
ここで「明日葉コロッケ」と「串カツ」買いました。
合わせて税込み199円だったと覚えてます。
店内の惣菜が麗しく並んでるとこの写真撮ろうと思ったらバッテリー切れ。

で、この斜め向かいにスーパー?みたいのがあるんです。
やすとく
電話:2-4147(ヨイシナ)
いや実はこっち先に覗いたんですけど、食べ物無いんです。
お菓子とかね、そうゆう乾き物系はある。
基本、衣料店。
飲み物はアルコール含めいっぱいありました。
箱で買えるくらい。
弁当惣菜とか、そういったものは無い。
で諦めてちょっと先の「肉よし」行ったらもうえらいことになってて。

先に言った2点を買って、取って反して「やすとく」でビール。
バス停のベンチ座って飲み食いしてました。


さてバスが来たので岡田港まで。
10分ちょっと、240円ほどで到着。
まだ船の時間まで1時間以上あります。

いまさら岡田ぶらぶらしててもね、仕方無いんですよ、もう二日もいたんだし。
中途半端に食べてるしね。
ってか飲食店やってんの、東海汽船の船着場とその向かいの2軒だけ。
夏場はもう少しあるんでしょうけど。

特性ソースは気になった


土産物屋覗いたりするくらいで、
ほんとする事ないからその東海汽船の船着場の食堂で「べっこう寿司」っての食べました。
4貫550円、量的にも中途半端でちょうどいいかと。
まー味的にはあれですけど、虫養いにちょうどいいかんじの。

他にもあるんだけど、まあこんなかんじ
「べっこう寿司」
もう説明無用の見たまんまな味

この食堂、食卓の塩は島特産の「海の精」っての置いてるんですけど、
七味・一味はどこにでもあるS&Bのでした。
名産の島とうがらし置いときゃいいのに。
高いからダメなのか。
宿の食卓には置いてあって、油断してたら予想外すっきりきっちり辛くって、
お土産に買うつもりでいたんだ。
買うの忘れてるなー。


ほんとにすることなくて、浜から八幡神社を2周して猫からかったりしてました。

歩いてる方が邪魔してるかんじ

ほんと港の猫って目つき悪いよな


そろそろ船が来る、ってんで、宿に戻って荷物をピックアップ。
船着場の待合所に行ったら、まだあまり人が集まってない。
と思ったら、そもそも乗る人いなかったらしい。
大島から乗ったのね、10人いなかったと思う。
それ以前の南から乗ってた人もいくらもいないし。
昼行便なんで椅子席取ってたんだけど、100人くらい入りそうな一室に5人。
船内でほとんど人見かけなかったし。
日本中こうなの?
それともぼくの行く先々ばっか空いてんの?




土曜日, 2月 07, 2015

伊豆大島に行ってきた件 3/5 主に波浮、少しその他

                  ↑  1/4、2/4ときて、すっとぼけて3/5

波浮見晴台から見下ろす波浮港
二日目は日曜日。
朝食を済ませて外に出たのが08:15くらいだったようです。早起き。
この日は大島最北端の岡田から最南端の波浮まで行きます。
バス代片道1,000円くらいかかるらしいんですけどそんなもん知りません。
2日用フリーパス持ってますから。

カメラのタイムスタンプ見ると08:23岡田発―08:40元町着のバスに乗ったようです。
波浮に行く次のバスは10:00だそうなんで、
それまでぶらぶら散歩しながら火山博物館でも覗こうかと。
伊豆大島火山博物館
なんかすごいの聳え立ってます。
測ったら幅60mあるみたいです。三十三間堂ですね。
高さも20m近くありそうです。
どこの持ち物なんでしょう? 町立ではないようです。
東大地震研も一丁噛みしてるって聞きましたから科博みたいな国立系独法かなんかでしょうか。
国際会議も開けるようにとのことですが、何回使ったんでしょうね。
国交省所轄の防災関連予算なんでしょうが。
あーそういえば、この博物館のすぐ上のあたりが2013年土砂災害の激甚被災地です。
とにかく立派です。
入れ物だけの虚仮おどしかと思えばさにあらず、結構充実した展示です。
伊豆大島三原山だけに留まらず、全国の、世界中の火山についてきめ細かい展示がありました。
例によって来館者はほとんど無く、学芸員の先生に当初サシで案内して頂きました。
10分くらいかけて一階の最初の部屋の半分くらい説明してもらったところで、
5~6人の中高年男性グループ客が合流。
なんだか眠いこと聞き出したので離脱。
あと適当に自分で見て回りました。
が、バスの時間が迫ってたので半分も見られないうちに退館。
ちょっと勿体なかったです。

博物館前から10時過ぎのバスに乗車、波浮まで30分ほどかかります。
他に客もいないし、どこにも停まる気無いようにクネクネ道をガンガン飛ばします。

道中、千波崎を過ぎた切り通しに「地層切断面」が見えてきました。
案外壮大。
窓越しに写真を撮ってると、運転手さんが
「あ、写真撮りますかー?」
って言ってバス止めてくれました。一人で貸切バス。

「地層切断面」
こんなのが500mくらい続きます。
「バームクーヘン」という通称もあるようですけど、ずいぶん昔についた渾名なんでしょね。
今ならミルフィーユとか言うんじゃないでしょうか。
ほか、「地層切断面」 でググると死ぬほど写真出てくるはずなので以下略。

バスはいったん「波浮港」に着き、
そこから引き続きスイッチバックするように終点「陸上競技場前」に向かいます。
その手前の「波浮見晴台」で下車。
さっそく目の前に廃墟風建物。
なんか元水族館だったみたい
「見晴台」には皇族行啓幸記念碑みたいのが建ってたんですけど、
写真逆光で全く読み取れない。
たしか昭和30年代に(昭和)天皇皇后両陛下が御来島、
それを機にその後の数年間に皇太子殿下(今上陛下)は来るわ、
秩父宮の勢津子さまと三笠宮の百合子さま連れ立って来るわ、
皇室内でちょっとした大島ブームがあったようで、その記念碑。

「殿下、伊豆大島は如何で御座いました?」
「うん海も綺麗で山も登ったし楽しかったよ」
「いいですわね、アタシも行ってみようかしら」
「アラおひいさま、アタシもご一緒したいわ」
とかなんとか、のどかな時代。
今時雅子さま紀子さまが連れ立って旅行なんか…
いや、したきゃしたって結構なんです、が。

さて、まずはこの「見晴台」からとりあえず「龍王崎灯台」まで歩いたんですが、
当然素直に最短距離とか歩かない。


大きな地図で見る

わざわざこういう遠回りする。
後で見たらだいたい「文学の散歩道」とかいう名前がついたおすすめルートだったらしい。
たしかに50mおきくらいに文学碑が立ち並んでた。

保育園の裏を過ぎると細く静かな道。
島内十ヶ所くらいはある「椿トンネル」の中でも特に静かで遠く潮騒なんかも聞こえたり。
クルマさえ通らなければ。
たぶん「沖の根椿トンネル」

ほんとはもう少し先、筆島が見えるあたりまで行くつもりでしたが、
今どのくらいまで来てるか見当つかず、南方向へ戻ります。
一周道路に出たら向かいがお寺。
よくわからないまま海がありそうな方角へ南下してったら「史跡名勝 鉄砲場」ってのがあるらしい。
ので行ってみました。

「この鉄砲場には港口の左右に大砲が二基、鉄砲が五挺、槍が十筋、投石用の小石・直径三寸と転げ落とす為の大石・十貫目を大量に配置した。」

こりゃ蒸気船には敵わんわ。

防空壕
「鉄砲場」からの波浮港
もうこの頃にはカメラの電池が切れ切れで、だんだん写真も減ってまいります。
この「鉄砲場」が小さな公園風になっていて、「龍王崎灯台」も同じ敷地に建ってましたが、
写真なんか無い。
で、その灯台の脇の茂みが、なんか入れそうな気配。
もうね、前日の「海岸遊歩道」でエライ目あってますからね、楽勝気分で侵入しました。
けもの道みたいのを降りた先に唐突に鳥居が。

龍音様
こりゃ大島島民でも波浮の人しか知らないんじゃないの、ってなとんでもないとこに立派な祠。
とりあえずお参り。

この後、どこをどう歩いたんだか判らないです、道だと思って人様の敷地入り込んでみたり。
波浮七福神?
七福まとまっててたいへん便利

で、しおらしく反省してその辺にいた爺様に港の方に降りる道を訊ねたら、
「そこの大きな門入ってくと裏に抜けられるからよっ」
ってあらためて人様のとこ入ってけて言われたもんで恐る恐る入ると、
なんか施設公開してるみたいです。

旧甚の丸邸だそうです
今でこそ東海汽船が入る元町や岡田がでかい顔してますが、
元々大島で先に栄えていたのは波浮なわけで、
このあたりには古い網元の立派な屋敷や
遠洋漁業基地として栄華を誇った時代の旅館なんかもあり、
たぶん波浮の人の意地なんでしょう、大島町とは別に独自の町おこしをしてるようです。
そのせいか、波浮にはそこいらじゅうに文学碑やらなんやらが氾濫してます。

この旧甚の丸邸 無料なんでしょうかね?
誰もいない。
近所のコドモかなんかがかくれんぼしてるだけ。
覗いてひとしきり眺めて反対側に抜けて出たら立派な門がありました。
どうやらぼくは裏門から入ってたみたいです。

出るとすぐに港に下りる石段が見えましたが、反対側からなんか美味しそうな匂いがします。

鯛焼き、たこ焼きカフェでした
島京梵天というそうです。
ちょうど良かった。12時頃、そろそろなんか食べたかったとこです。
「島海苔たこ焼き」とビール頼みました。
いやタコヤキ焼けないうちに持ち帰り用の「ハムチーズマヨ鯛焼き」も追加しました。
だってそばで食べてる人の美味しそうだったんだもん。

たこ焼き来た。
ご近所マップもあって助かった
この地図ネットに上げといてくれたらいいのになぁ。
ってか元町とか岡田の船着場に置いといてくれれば波浮まっしぐらで来たのに。

古民家リノベった小洒落た店内にGetz/Gilberto/Jobimやなんかが掛かってて。
駄菓子や民芸品なんかも売ってたり。
んな中、近所の中高生が溜まってる、そんな店。

この「島京梵天」、ゲストハウスもやってんだな。ふむ、覚えとこう。


店を出て港への石段降りる途中、
古めかしい家の玄関先に脚立立てて大工さんがなんか登ろうとしてるんで、
何が始まるのかぼんやり眺めてたら
「あーごめんねぇ、今どかすから。はいどーぞどーぞー」
ってなんだか無理やり招き入れられました。
なんですか、ここは。
あら電話室があるよ、こりゃただの家じゃあるまい
電話室の向うに、なにやらオバサンが机向かって仕事してるようなので声かけました。
返事が無いんでもう一度。
ガン無視。
身動きすらしない。
人形でした。

どうやらここが「旧港屋旅館」、「現・踊り子の里」だったらしいです。
二階の一室には「伊豆の踊り子展示室」みたいのありました。
川端康成の「伊豆の踊り子」です。
絹代、ひばり、小百合、百恵…の「伊豆の踊り子」です。
スチル写真や年表、ビデオの映写もしてます。

ん?
あれって湯河原とか下田とか伊豆半島の話だったよなー。
伊豆大島出てきたっけ?

踊り子のいた旅芸人一座が大島の出身って設定だったようです。
んなもん覚えてねーよ。

宴会してるのも人形
このボタン押すとすごいぞー
驚くぞー 腹抱えるぞー
木造三階建てなんですけど、三階は立ち入りできませんでした。
林芙美子が大の字になって昼寝して、目覚めたら歌一首できたって謂れの三階の部屋、
見たかったなー。
大の字なってみたかったなー。
大の字からの頭もたげの港見下ろしの、なんか一首できたかも。
そういや去年平塚らいてうや林芙美子憑かれたように読み漁ってたっけね、
いま他人事のように思い出した。

ここも入場無料なんでしょうかね。
大工さんに聞いても「さあねぇ」なんて言うんで、適当においとましました。
なんなんでしょうね、波浮は。
ただでさえ大島全体のほほーんとしてますが、ここらはなんかさらに違った時間流れてます。


今度こそ港に降りました。
「波浮の港」の歌碑ありました。
順々に叩くとメロディ奏でるチャイムチューブ付きです。

さっきの店で買った 「超羽根つきハムチーズマヨ鯛焼き」齧りながら歩いてたら
「鵜飼商店」という店に幾人かのお客がたかってます。
大島でこんなに人が集まってるとこ初めて見ました。うそですけど。
コロッケがずいぶん評判だったそうです。
知らなかったから鯛焼きくわえた口が開きませんでした。

バスの時間までまだあるようなので、「ぱれ・らめーる」とやらまでブラブラ歩いて、
そこの前から元町行きのバス乗ろう、
そーだそーだ、そうすりゃスタンプラリーもひとつ集められるし、って歩いてたら、
「ぱれ・らめーる」見えてきたあたりで向うから元町行きのバスが来てるじゃないですか。
慌てて走ってって乗せてもらいました。
なんか逆方向な気もしたんですが、元町行きって書いてあるし。
やっぱ逆方向でした。
来た道戻るように波浮港へ。折り返して元町に向かいます。
さっきんとこで待ってりゃよかった。

びゅーん
帰りは右手に断層切断面
元町戻ってこの日も御神火温泉へ。
大島バスのフリーきっぷのオマケで割引券ついてるからえっへんもので入ります。
800円だったかな、タオルとかも買ったんでよく覚えてない。
定価大人1,000円ですよ、高いよね。
早朝船が着く時は06:30~09:00まで600円ですけど。
でもって3日間券なら1,200円。朝夕何回入っても。
もー値建ての思想がわかんない。
島内居住者用の月間パスはもっと安い。
温水プールなんかもあるし、フル活用すれば決して高くないんですけど。

入ったらサウナが「調整中」とか札下がってて使えないの。
シオシオお風呂だけ入って出ようと思ったら、
みんな「調整中」無視して出入りしてやんの。
悔しいからちょっとだけ入った。ちゃんと使えた。

休憩所とか食堂とか併設してるんで、
湯上りなんか食べようかと思って覗いてみたら美味そうでもなく高いんで断念。
元町行きゃなんかあるさそーだそーだ、って行ってみたら
日曜だからか16時ちょい前って半端な時間だからかほとんどなんにもやってない。

船着場から都道の方にまっすぐ登る道沿いにようやく蕎麦やら定食やらの店あったから、
入って味噌ラーメン頼んだら、驚くほど不味かったし。
ド素人じゃんよ。
ほらね、不味そうなのは見かけ倒しじゃないんだから
これ食べて16時過ぎ。
18時から強制的に夕食なんだけどなー。
なんで食べちゃったんだろなー。
いい日だったんだけど最後のほうグダグダ。

http://www.yamayo.biz/bungaku/inoue.html
大島に蚊と牛糞なかりせば不寒不熱の極楽の里
「波浮の港を愛する会」より
井上圓了先生、大島にまで妖気垂れ流してるし。