「澤穂希らINAC神戸がバルセロナで合宿」って話やってんの横目で見てたら、
あれ、なんだかここ見たことあるぞー、ってね。
INAC神戸 スペインで合宿 via NHKニュース
C.E.エウロパのNou Sardenyaじゃありませんか。
うん間違いない、エウロパのサイトのトップページなんかSAWA祭りになってるし。
そりゃそうですね、女バロンドールがやってきたんですから。
今、男女バロンドールがバルセロナで揃い踏みなんですから。
この辺、バルセロナで一番中心地に近いクラブですよ。
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こんなとこ。
たしかとなりの角はチュッパチャプスの創業記念館かなんかでしたね。
なんかもうほんと唐突に街中にある。
まわりが建物と坂道に囲まれてるんで、うっかりしてると気づかないようなとこにある。
初めてのアウェイのサポとかがバスで前を通ったって絶対見落とす。
と思って今ストリートビューで確認したら、ずいぶん立派になってますね。
これ見落としたら節穴だわ。
練習場じゃないんですよ、これでも一応ホームスタジアム。
ホームゲームともなればバルサCとかエスパニョルBとかをここで迎え撃つわけです。
現在は知りませんが当時は人工芝。
当時借りてた部屋からも近かったんで、時々覗きにいってましたよ。
もうほとんど練習場、バックスタンドなんかなかったもんね、
と思ってたら今発掘された写真によると、バックスタンドやゴール裏は3列くらいで、
メインスタンドも10列くらいだった。
近年スタンドの拡張整備でもあったんでしょうね、
カタランのWikipediaによるとキャパ7000ってなってますけど、
当時は絶対そんなになかった。 ノウ・サルデーニャ ca.wikipedia
ストリートビューで見ても西側の道路にスタンド張り出してますけど、
その頃はなんか低い普通の建物が並んでるだけで、
その向こうにスタジアムがあるなんてわかりませんでしたよ。
スタンドの端、入ったすぐのとこがBarになってて、そこでビール汲んでもらいながら、
チビっ子チームの練習とか眺めてたような覚えがあります。
いや今、確認されました、確かに見てたようです。
たしかトップチームは当時リーガ3部リーグでした。
そしたらそのBarの壁に次戦の案内が貼ってあって、
「なにっ、今度の敵はバルサかっ」
といっても、もちろんバルサのCですけどね。
それでエウロパの応援に鼻息荒く敵陣に乗り込みましたよ、
おなじみバルサの本拠カンプ・ノウ、
の裏にひっそりたたずむミニ・エスタディ。バスで10分くらいだったし。
サブ・スタジアムとはいえさすがはバルサ、こちらには立派なバックスタンドあります。
メインスタンド側にバルサ・サポ、バックスタンド側にやさぐれたエウロパ・サポと分かれて、
もちろんぼくらはバックスタンド。
間もなくキックオフ。
例のバルサのテーマ「Himno Del Barça」が場内に流れ、メインスタンド大合唱の中、
バックスタンド側では、その替え歌で応戦。
今度はそのミニ・エスタディでの写真ですね。
敵地でオダを上げるエウロパ・サポ |
Panoramioにも写真上げてありました。
バルサ・チップスなんてのもございますが、
生粋のカタランなら観戦のおともはヒマワリの種。
ゲーム中の写真はありません。
あたりまえじゃないですか、真剣にエウロパの応援してたんですから。
そん時たしかエウロパ勝ったんじゃなかったですかね。
そういや一時期日本人コーチもいたんですよ、このチーム。
テレビで見たもん、その人だけでたっぷり1時間くらいの番組、
サッカーじゃなくバルセロナのバル巡りの案内役でしたけど。
徳永尊信さんですね。
『サッカーのある人生を』ってblogでエウロパ時代のこといっぱい書いてますね。
ちなみに、あの天才建築家アントニオ・ガウディもサクラダファミリアの建築のかたわら1909年から1912年ここのクラブの練習や試合を見に通っていました。『C.E.EUROPAって???』
もう10年くらい経つのかな。
冒頭の写真の子たちもすっかり大人なんですねえ。
オマケ その頃街に貼ってあったサッカーくじのポスター |
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