ヤマギシさんという方から「北の富士関では…」という御指摘がありまして、
ドキっとして写真をよく拡大して確認してみました。
コントラスト、歪み等、調整してみました 間違いなく KATSUAKI氏 です |
はい、おっしゃる通り見れば見るほど北の富士関でした、ごめんなさい。
何年か前に発見した時に大鵬だと思い込んで以来、よくよく見ずにずっと思い込んでました。
で、居ても立ってもたまらず國技堂に確認しに行きましたよ。
「あーあれは北の富士さんです。なんか部屋を新設する時に近くの神社に間借りしてた時の写真みたいです。キャッチャーやってる人はいま小岩の方でちゃんこ屋やってるってね、いやこれウチ来るお客さんに聞いただけなんだけど」
なんと、駄目押し+新情報。
小岩? ちゃんこ屋? 創設時の同部屋?
北瀬海(現君ヶ濱)ですか?
いやいやいやいや… それはいくらなんでも顔が違う。
今昭和52年の古雑誌で確認しましたけど、それは
北瀬海の店に雇われてる(orオーナーなんだけど名を借りてる)別の誰かだと思うんです。
当時千代の山に率いられて部屋を割ったのは北の富士と若狭山(北瀬海,現君ヶ濱)以外、
禊鳳、松前山、千代の海、見崎山、松前洋、千代櫻、千代の岩、千代の花。
このうちの何人かは自分でちゃんこ屋を開業したり会社員になったりで行き先はわかってます。
残りの誰かなんでしょか。
うーん、
まぁいいか。
以下、お詫びかたがた界隈風景。
先日Twitterで見かけて思わず反応してしまったとある他人様の写真に被せるように
ガードレールの柱頭は国技館の屋根型 |
軍配,軍配,所々で「力士幟と国技館」 |
国技館の屋根型と言えば、
本場所開催時には親方衆が篭ってモギる木戸口の小屋も同型。
木戸口の小屋 |
かつて東京有数の花街だった名残に橋のモチーフは欄干の所々のかんざし。
橋桁の上の張り出しには土俵の原寸 |
ご参考までに画面奥に見えるスカイツリーは634mです。
ぼくは相撲場行くのにたいてい両国橋の南側(下流側)を歩いて渡っていくんですが、
(写真は上流側・北側の歩道です)
ココ通る度につくづくしみじみ思う事があります。
これっぱかしの狭い土俵で仕切線挟んであんなのやこんなのや大男が睨み合うんです。
立ち合ってぶつかって、全力で取っ組み合っちゃ押し合ったり投げ合ったり暴れまわるんです。
そこで逃げ回りながら(否,逃げ場無く)勝負を見極める行司さんは、どーかすると還暦前後です。
そら怖ろしい話だと思いませんか。
参考画像 2mとか200kgとかが路上で暴れるとこんなかんじ そこに袴つけて烏帽子かぶったアラ還のおじさまが仲裁に |
回向院の山門の左、両国シティコアビルの入り口にある説明板 今度、文字起こししときますね、いつか |
両国シティコアの中庭 |
直径10mくらいあります。
土俵の大きさとかとは関係無いようですが、この辺を中心に旧両国国技館があったと。
お腹が光ってる |
こやつの仕業か |
あえて反対方向、回向院に歩くと通称「国技館通り」。
回向院には「力塚」もありますし、道中には「北の富士さんの写真を飾ってる國技堂」もあります。
往復500mくらいですから是非どうぞ。
その「国技館通り」左右にこの「横綱土俵入像」が計6基だったかな、並んでます。
台座には歴代横綱の原寸大手形レリーフ銅板が嵌め込まれています。
そのうちの一基、ザ・ホテルベルグランデの前にあるコレだけ、何故かお腹が光ってます。
時々撫で回してる人も見かけます。
謂われは知りませんが。
悩ましのシュロ |
ずっと前から気になってて何度も写真撮ってんですけど、
探すの面倒だから改めて取り直してきました。
棕櫚の木が生えてますよ、この根元の話なんですけどね。
んでまた、この発泡箱、継ぎ目とか無いんです。
「発泡箱に棕櫚植えて、ここまで大きくなりました」って拵らえ。
ご丁寧に隣には閉じる時のためのフタが置いてあります(常に)。
写真じゃうまく伝わらないと思うんで、お近くお寄りのついでに是非ご確認下さい。
国技館通りの西に一本裏、この辺りです。
1 件のコメント:
相撲レファレンスの「北瀬海」の写真には似てますね…
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