オーストラリアの代表監督ホルガー・オジェックの名を見て、
イビチャ・オシムの後任日本代表監督選定時の日刊スポーツのアレをふと思い出しました。
オジェック氏が次期日本代表監督に内定 2007年11月20日→ご承知の通り、岡田武史の再任でした。
その岡田武史の後任選定時のことも思い出しました。
ペケルマンがサッカー日本代表監督 2010年8月30日→ご承知の通り、アルベルト・ザッケローニでした。
そういえばオジェック代表監督就任の誤報の同時期、
2007年11月24日には九州版ですがこんな記事が出たの思い出しました。
大関魁皇が引退へもちろんしませんでした。
連日しつこく書いてくるので友綱部屋もキレました。
日刊スポーツ 『 今後、最低半年間の出入り・取材禁止 』それでも意地になったか日刊スポーツは書き続けました。
魁皇不戦勝、初めて引退示唆 2007年11月26日もちろん衆知の通り、魁皇はそれから20場所以上土俵に上がり続けました。 休み休み。
小錦の現役最後の場所、勝っても負けても千秋楽まで取って引退するとの本人の意思を、負け越した瞬間に各紙がバラしてしまい、「辞めるつもりの死に体では土俵に上げる訳にはいかない」と審判部が判断、結局14日目以降は土俵に上がれず、千秋楽にハワイから呼び寄せた家族の前で最後の土俵入りという願いも適わずそのまま不本意なる引退となったなんて事がありました。
現役力士にとって「引退」とは非常にデリケートな話題であり、憶測で噂を立てられるだけで大変迷惑な話です。
日刊スポーツには2007年頃末まで大相撲担当で盧載鎭という記者がいました。
先の「魁皇不戦勝、初めて引退示唆」の記事を署名付きで書いた人です。
この人は別名「キムチ野郎」としても有名ですが、この件については信頼できる一次ソースが無く、捏造が拡散されてる可能性も捨てきれないのでそっとしときます。
盧載鎭は大相撲担当時代から「朝青龍は協会の意向に逆らってモンゴルへ帰国したがってる」などなど、あること無いこと書き散らして煙たがられてましたが、友綱部屋出入り禁止となった2007年末頃から大相撲関係から外されたようで、サッカー記事を書くようになりました。
Jリーグ、W杯南アフリカ大会、女子W杯ドイツ大会… あちらこちら脳内ソースで妄想書き散らしております。
日刊スポーツのサッカー記事に他紙と一線を画すファンタジーや誤報が増えてきたのと期を一にしております。
秋田豊の引退時にも勝手な思い入れによる同情モードで秋田がさも惨めな引退をしたかのように言いふらしたのもこの人です。
浦和サポの前ではこの人の名を出すこと自体がタブーとなっています。
これを使い続ける日刊スポーツ、ある意味すごいなーと思います。
誤報を飛ばしても消さずにwebに晒し続ける日刊スポーツ、ある意味すごいなーと思います。
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