土曜日, 6月 02, 2012

ビッグデータ

忘れがあまりにもひどい、あれこないだ何してたっけ何食べたっけ何考えてたっけってのが思い出せなくて、どっかに書き付けときゃいいや、でもローカルにテキストで置いとくと数年おきにHD丸ごと吹っ飛ぶし、それ程のものでもないんだから一々ストレージにバックアップなんて面倒だし、なに構やしない他人様に見られて困ることがある訳じゃなし本当に見られて困るようなことならそれなりに用心したとこしまっておきますよぼくだって、せっかくWebでどっからでもアクセスできる便利な場所があるんだえーい晒してしまえぃそうだそうだそれならば突然死んだりゆっくり死んだりした後でもあーそういえばあの人はって思ってもらえた時にしばらくは偲ぶよすがの標になるかもね一石二鳥で絶好調。ってのがこのBlog始めた理由でした。近頃すっかり初心を忘れてましたごめんなさい。だから無益なんです脈絡無いんですごめんなさい。ここはただ廃人の覚え書きです検索で来てしまった方々ごめんなさい。多分あなたに必要な情報は少なくともこのエントリーには無いでしょう、どうしてもという方はCtrl+fかなんかでページ検索してさっさとご用をお済ませ下さいませ近頃Google検索でキャッシュ表示しても検索した文字列ハイライト表示してくれませんものね不便なご時世になりましたですこと。

憶力が落ちるってのは、大抵の場合物覚えが悪くなるんじゃなくて思い出す能力の方が落ちることなんだって聞きました、どこで聞いたんだっけなぁ。だから結構色んなことが脳味噌から全く消えてしまった訳じゃなくどっかに残ってる、それがひょんな事からポーンと思い出すことがあって、ただそのせっかく思い出した内容また忘れる。昨日もそんな事があった。本を読んでてその内容の一点がすっかり忘れてたはずの遠い記憶と繋がって、単なる情報と情報だったものがカラフルに立体的に立ち上がった。でもそれ何の話だったか忘れた。書き止めておけば思い出し能力の一助になるかな。でも覚える方の能力もあきらかに劣化してるよな。
賀状の文面が印刷なのは仕方ないとして、せめて宛名は手書きでなくちゃぁいけませんよ、それが年賀状という文化であり日本人の心でありうんぬん…とか言う人ってまだいるのかなぁ。あれどういう意味で言ってたんだろ。日本人の心、なんてのを耳目にするたびにその言葉の意味をじっくりじわじわ考えたくなる。じっくり考えたこと無い人に軽々しく使ってもらいたくない言葉なんだけど大抵は考えてもいない人ほど軽々しく使ってんじゃないの。まず「日本人」ってのはいつ頃からのことなんでしょう。年賀状で云々されたってそんなもん一般人がやりとりするようになったのなんて郵便制度がそれなりに整備された明治の半ば以降、せいぜい百年かそこいら。やっぱ「日本人」語るなら千年以上、平安期とかからなんでしょうかね、それともいっそ縄文期くらいまで遡りますか。産まれた頃からあったからってそれを以って「日本」とされたんじゃたまりませんよ。エスカレーターは右側をお空けくださいそれが日本のマナーです、24時間営業当たり前それが日本の商習慣、って言われたようなもんでむずがゆい。昭和46年というから1971年、マクドナルドの国内第一号店が銀座三越に開店してから41年も経つんですね、既に人口の半分以上はそれ以降の産まれでしょう、もうすっかり「日本の食文化」。あの頃片手にハンバーガー片手にシェイク持って銀座の街で歩き喰いしてたのは今なら50代から60代前半にかけての世代。今どき高校生あたりがモノ食べながら銀座歩いてたら、まーお行儀の悪い、お里が知れる、親の顔が見てみたい、って言われたりすんでしょうけど爺婆の世代やってましたからね、全員じゃないけど。やってなかった人の多くは最寄りの銀座三越まで夜汽車で15時間とかなんとかそれなりの事情があったわけで。当時年寄りがそれ見て顔をしかめて「今時の若いもんは」ってやってたかっていうときっと当然やってた、全員じゃないけど。でも逆に、まぁ羨ましいわね今時の人は、東京もずいぶん復興したものね、ねぇ貴方、私たちもやってみましょうよ腕組んで、なんてやらされてた中高年もいたわけで。
は日本人である。これは私には常識だ。よってこれは日本人の常識である。ってそれ論理的に間違ってますからね、「三段論法」の誤用例として最低レベルの。アリスもテレスも困らせないで。「日本人なら当然だ」とか「日本では常識だ」とか、それ自分が思ってるだけじゃないの。だったら「私はこう思う」 「私にとって当然」って言いなさいよ、だれに断って日本人代表してんだよ、やだやだ。それでもやっぱり何か大昔から一本通った「日本」とか「大和心」ってのはきっとあって、その筋に沿った上で日本の風土に根差して生まれ育まれた心遣いとか思いやりとか道徳遵守とかを尊ぶ「日本人の心」のありがたい御講釈の時ならともかくハガキの宛名書きごとき些事にまで持ち出さないでください、嫌だ嫌だ。カップヌードルのフタ剥がしきらず縁にぶら下げたまま食べてる人も嫌だけどこれは関係無かった。
安時代で思い出した、思い出したことはどんどん書いていこう、でも平安時代なんていつ書いたっけ、まーいいや後でページ検索だ。皇室の儀式や神社の祭礼で雅楽ってのよくやってるよ、十二単だの衣冠装束とやら着たりしてね。あれみんなだいたい平安時代に始まった習俗だ。なんでそんな中途半端な時代の使うかね、わざわざ皇紀の半分辺りの頃のもん選ばなくたってよさそうなもんだ。それ以降の時代にも色んな音楽や礼服が生まれてきたんだし、きっとそれ以前の時代にもあったろうに。って思ったら無いんだよ多分。それに代えうるものが。「雅楽」って言葉がいつはっきり成立したのか知らないけど「俗楽」の対義語としてほぼ同時に発生したはず。「貴族」の元みたいのは既に縄文中期あたりからボチボチ出てるんだ豪農みたいのが。その豪農と「民」との区分を音楽や着物で明確に示すことがなかなか難しかった、土着の物しか無かったから。必要も無かった。まだその頃は支配力も民との格差も小さかったし。それが八世紀半ばに墾田永年私財法で開墾者の富の私有独占と蓄積が認められて以降、荘園貴族が発生してきた。遣隋使の頃はまだ帝の全権大使とか仏僧くらいしか積めなかったけど、遣唐使になって回を重ねるに連れてハードルも下がり船も大きくなって着物や楽器や楽師も積めるようになって、それらがまた貴族・豪族の手に届くようになった。「あたしらそんな俗なもん着ないの聞かないの、舶来物なの、生まれながらに選ばれしあたしたちはこういう服着るの、この妙なる調べあなたたちに解るかしら、だってあたしら貴族だもん、あんたたちと違うのー」って示してみせる為に始めたんでしょ、きっと。見たことも無い服着てヘンな音出して喜んでんだからビビるよな、支配力も更に強まる。貴族の棲み分けや階級が成立して支配が広範に定着したとこで、記号としての衣装なんだから進化洗練する必要も無く時間が止まった。それであれどー見ても唐服で唐楽なんでしょ。荘園貴族システムが完成して広範に定着した時代がたまたま遣唐使の時代だったと。幸い菅原道真が行かされたくなかったもんだから「もう遣唐使は止めにしましょう」なんて建議して、それ以来国家レベルの外交や貿易も途絶えたし、ますます貴族だけの変な文化として定着した。894年でしたっけ、船に弱かったのかねぇあの人。鎌倉時代になろうが室町時代になろうが西洋と貿易するようになろうが「貴族の正装は唐様の服」ってのはシンボルとして定着してるから使ってるだけで、得がたさとか最先端とか洒落てるの洗練の関係無い。だからあれ、貴族が得意気に着たり聞いたりすんのは当然だし結構だし、現代においてまーまるで平安絵巻ねぇって感心して見てるのも必然でありそりゃ結構なんだけど、発生年代違うはずの皇族や神官までそんな真似する必要無いんじゃないのもしかして。
時年賀状の文面が印刷で宛名側だけが手書きだったら「あぁこの人は住所管理ソフトや葉書プリンタを使わなかったんだなぁ印刷は業者に出して宛名だけ家で手書きしてんだなぁ」くらいに思うだけ。宛名側もプリンタで印字されたものだったら十年前ほどまでは「あぁアドレス管理ソフトに入力して家庭用プリンタにしこしこ手差しして印字したんだなぁだいぶ失敗して紙無駄にしたりしたろうなぁ二十枚連続印字成功したところで見てみたら表裏で天地が逆だったり…」なんて妄想してただけだったけど、数年前からは違う事情もあるようね。宛名側も印刷してくれる業者が出てきた。DM用とかじゃなく一般個人向けに。となると当然アドレス帳も業者に渡すんだよねぇ。そんなもん預かる業者もよく預かれるなって思ったら、やっぱ「リスマチック」とかセブンイレブンのレジで出せる「ネットプリント」とか大手はあまり宛名印字サービスやってないな。「キンコーズ」なんかやったらいいのに、ついでに配達もしちゃえばいいのに、元々配達得意なFedexなんだからって思って見てたら会員規約に同意して登録した会員は宛名印字サービスも受けられるらしい。規約の中の「(3)個人情報の利用目的 ご記入いただいた個人情報は以下の目的で使用いたします。」の中に「サービス内容の充実を図るため(サービス向上を目的とした「顧客満足度調査」および「サービスのご案内」を含みます)」って書いてあるぞ。 たぶんここで責任切ってんだろうなー、じゃないと個人情報保護法上あとあと面倒くさいもんなー。やっぱり雑で無神経に宛名印字引き受けてくれるの中小ばかりみたい。でも雑で無神経な人に限って雑で無神経な業者に平気でアドレス帳渡すもんだ。ところで年賀状ってどのくらい書かれてるんだろう。どれどれ日本郵便のサイトを見ると平成24年用の発行枚数は年賀はがき36億6577.6 万枚、年賀用切手4385万枚、計37億0962万6千枚とのこと。日本の人口で割ると一人当たり約29枚、まぁこんなもんか。でも年賀状だけじゃないもんね。
前と住所が紐付けされただけのデータを多少バラバラと集めたりした程度じゃしょうがないんだけど、大手が本腰入れて集めて量が膨大になってくると訳が違う。「AさんはBさんCさんDさんに年賀状を出しました」と。この時点ではB,C,D…の間に繋がりがあんだか無いんだかは判らない。でもこの繋がりデータを全国的に数年かけて集めて名寄せすれば「あっDさんがBさんに暑中見舞い出したぞ、こっちも繋がりだ」なんて事が判ってくる。名前と住所のペアをリスティングして繋がりを整理してマッピングするとどんどん判ってくる。ついでに年賀状の文面・画像なんかも検出して分析アルゴリズムにかけて上下関係の方向やなんか整理しとくともっと色んなことが判ってくる。どうやらこの繋がりの塊りは同窓会らしい。一方向にいっぱい出してるけど返信ほとんどもらってないこの塊りは商店かな。その店のお得意さんらしきこの人が属するこの塊りは会社だぞ。その塊りの中で繋がりが集まってるこの人はきっと上司だな、ってことはこの人はそのまた上司だな、あ行き止まり、社長だ。この会社、あっちの会社らしき塊りとそっちの会社らしき塊りが仕入先で、こっちの会社らしき塊りが得意先、その会社らしき塊りに属するこの人と、あの商店の客らしき塊りに属するこの人は中学校の同級生。そこの校長先生の息子はあの会社で働いていて、来春小学校に上がる息子がいるんだけどランドセルは母方のお祖母ちゃんがあの店で購入済み。Googleがやってる事やろうとしてる事ってそんなことだよね、メアドと大まかな位置情報と検索履歴やなんやかやを集めて繋いで分析整理。その人に合った広告リンクを見せてくれる。それを割と勝手にやるから嫌がられるんだよ。Facebookはそういうデータ収集分析前提で無料でサービス提供してます、ご不満ならご利用なさらなくても結構です、って割り切ってやってるから嫌がられてない、のかな?
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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

長すぎィ!