火曜日, 12月 11, 2012

アムステルダム中央駅は東京駅のモデルじゃないってホント?

「東京駅の丸の内駅舎はオランダのアムステルダム中央駅をモデルにした、って俗説が出回ってますが、建築探偵藤森照信氏らの検証の結果、両者の建築様式には明確な差異があり、現在ではキッパリ否定されてます。いまどき得意気にそんなこと言ってたら笑われちゃいますよ。」

ってな文言そこいらでよく耳目にしますが、本当に関係無いって言い切れるのかな、って話。

藤森照信氏による「アムス中央駅はゴシックリバイバルだけど東京駅はビクトリアン様式、辰野金吾の建築家としての系譜や渡航歴から言っても両者に関連あるとは考えられない」って明快な推察、たしか20年以上前の週刊朝日でリアルタイムで読んでましたよ。
たしかに建築史的な視点からは説得力のある御説ではございますが、鉄道史やら都市学やらに視野を拡げて考えると、結構影響あったんじゃないの、設計にあたってアムステルダム中央駅を参考に取り入れなきゃいけない事情あったんじゃないの、上っ面の建築様式が違うのは辰野が英国しか見てなくて大陸趣味のネオゴシ真似しようにも出来なかっただけなんじゃないの、両者、妙に共通点多いいよ、と思うわけです。


まず最大の共通点は「最初から首都の中央駅として計画されていながら頭端式ターミナルではなく通過式である」ってとこです。
これ、東京駅に関してはそうせざるを得ない事情がありました。当時既に山手線の原型みたいの3/4くらい出来上がってましたから。無理すれば頭端式ターミナルにできなくもないけど無理は無駄なり。
明治半ばの計画開始から大正初めの開業まで、日本の鉄道のお手本は常にヨーロッパでした。鉄道技師もイギリスやドイツからのお雇いを戴いてました。だから普通に「首都の中央駅」を作るったら頭端式ターミナルにするのが自然です。
パリやロンドン、マドリッドなどでは複数の頭端式ターミナル駅で市を取り囲んでます。
単一の中央駅を持つ町としてはミュンヘンhbf、ローマ・テルミニ、ニューヨーク・グランドセントラル…枚挙に暇がありませんが首都の中央駅ったら頭端式がお約束です。ニューヨークもミュンヘンも首都じゃないだろってツッコミもお約束。
映画で絵になるのも頭端式。ホグワーツ行きの9・3/4番線があるキングスクロス駅とか。
左右に広がりのある駅舎に対して線路が垂直に並んでるので外の道路からプラットホームまで段差無しのバリアフリー。
頭端式万歳。

アムステルダムと並ぶオランダのもう一つの首都、ハーグには国際列車が通る通過式のハーグHSと国内線の起点として頭端式ターミナルのハーグNCがあります。現在の話ですが。それが首都の駅ってもんです。
アムステルダムには中央駅の他にAmsterdam-Amstel、Amsterdam-Zuidといった主要駅がありますが、なぜかみんな通過式。
東京では上野駅の東北本線部分が頭端式。それと過去には中央本線の起点としての万世橋駅が頭端式でした。
おっと忘れちゃいけない「〽汽笛一声新橋を…」の旧新橋駅も頭端式でした。
そうだ、「 〽汽笛一声新橋を… と歌われた新橋駅はホントは新橋ではなく、今の汐留にあった」なんてトリビアもガセですからね。本来の新橋があそこです、今の新橋駅が本来の新橋から難波橋、土橋と橋二つも行ったそのまた先の烏森にあって新橋名乗ってるんですからね、ってな話は長くなるんで別の機会になんかと絡めてきっとそのうち。


アムステルダム中央駅と東京駅の相似点って話でしたね。
第二の相似点。
通過式の宿命として線路に対して平行に左右対称形に駅舎の広がりをもっている、と。
でその駅舎から垂直に三本の通路がプラットホーム下を貫通しています
ほらね、駅のプランが共通してるでしょ。



このへんの設計、国鉄の隠れた父の一人、島秀雄が関係してんのかな、あの人視察でオランダ国鉄見に行って色々取り入れてるもんね、とか思ったりもしたんだけど、東京駅が完成開業した時点で13歳だったよ、この線は無理だった。そういや福澤諭吉たちがオランダ含む遣欧使節行ったよなー、たしかユトレヒトで記念写真撮ってたのが最近出てきたよなーってのが1862年。
そうそう国鉄の父こと岩倉具視も行ってたっけってのが1873年。
どっちもアムステルダム中央駅が完成した1889年より前の話だから、これまた無理筋。
でもその辺から命じられた誰かが見に行ったんだよ、だって国策事業だもん、きっとね。
1862年ユトレヒトにて。背の高いのが諭吉先生。



第三の相似点。
前2項と関連しますが、「線路が高架である」ってとこですね。
もっとも現在の東京駅は京葉線とか総武快速・横須賀線とか地下にも線路ありますが。
鉄道が来てから発展した新しい街はともかく、古くからある町に鉄道駅を作ろうとすると、ヨーロッパに多く見られるように市街周縁部に頭端式ターミナルを作るのが自然なわけです。元からある街道や市街地を分断したりしないように。
そこを無理矢理出来上がってる町の真ん中に通過式中央駅を作ろうとしたら線路を高架にして道路と立体交差させないとなんない。
ほら、東京駅の設計思想にアムス中央駅が影響を与えていた可能性、アムス中央駅をお手本にする必然性、なんとなくあるかもしれないって思えてきましたよ。


第四の相似点。
さっき左右対称って書いたような気がしますが、実際は両駅とも左右対称じゃありません。向かって右がちょっと長い。で、そっち側に中央郵便局がある(あった)。
アムスの方は駅舎の延長上東側に中央郵便局がありました。一部を取り壊して図書館やコンセルバトワールにして、郵便局半分切り取った形で残ってたんだけど、今は完全に壊して取っ払ったのかな。
今どこが中央郵便局なんだろ。あ、やっぱダムの裏のアレがCentral Post officeってことになってる。
東京駅の方も駅舎に向かって右になる南側、道路を挟んだ向かいに中央郵便局があります。ってかこっちもそろそろ過去形か?
取り壊すとか保存するとかどうなったんだろ。いやもう大部分取り壊してJPタワーになっちゃった。
その工事の間、八重洲側に移転してたんだけどJPタワー完成したから戻ってるはず。
今使ってるか知らないけど東京駅と中央郵便局は秘密の地下鉄道で繋がってんだ、そこにトロッコ列車みたいの走らせて道路を跨いで郵便物やら人員やらここには書けない物やらを運んでるんだ。
ついでに東京駅の北側には国際郵便局もあるね、こっちは現役。のはず。

第五の相似点。
どっちも貴賓室があるね。もちろん専用の車寄せも
もっとも東京駅の場合、駅舎の中央にあるのに対してアムスの貴賓室は向かって右、東側。
だいたいヨーロッパの王室ある国の場合、中央駅には貴賓室や王室専用入り口とかあるもんだけど、たいていは駅の端っこに作るもんだ。マドリッドの昔の北駅、今プリンシペ・ピオ駅になっちゃったとこなんかも駅のはじっこ王宮寄りの側に専用門あるよ。そうゆうもんだ。はなっから下々の民とは交わらない設計。それが東京駅の場合、ど真ん中に皇室専用門作っちゃった。もうそれ使う時には外の道から列車乗るとこまであたり全面民衆通行禁止にしてしまえ、って思想。空港の出発ロビーの真ん中に政府専用機や自家用機乗りつけるVIPの専用搭乗口作っちゃうようなもんだ。乱暴だね、下々迷惑。もっとも明治大帝の権勢全盛期だったからね。それくらい威張っててもらわなくちゃ。いまどきの皇室は歯痒いくらい奥床しいね。原宿に専用乗降場あるのに整備や周辺警備にお気を遣われてだかほとんど使用しない。
そういやアムスの場合、王室専用入り口のそのまた東の向こう岸には王室専用の船着場もありますよ。
東京駅には船着場無いけど少し離れたお浜離宮には「将軍お上がり場」って船着場があるよ、今も一部残ってるね。関係無いけど。


第六の相似点。
どっちも地盤がすこぶる軟弱なとこに建ってるんだ。
アムスは埋立地だから当然の話。
東京駅は八重洲側や神田側といった周辺が厚い軟弱粘性土層に囲まれてる地域ながら奇跡的にその軟弱層が薄い、すなわち固い地盤が浅いとこまで盛り上がってる所に建ってる。
それにしても軟い。
だからどっちも鉄筋入り赤レンガ三階建ての重厚な駅舎を木製の支持杭をびっしり打って基礎支えてる
その数アムス中央駅8,687本、東京駅は実に11,050本。
上っ面の様式や装飾に違いはあるかもしれないけど当時最先端の工法としてモデルにした可能性は大いにありますよ。
東京駅は先日の改修工事の際掘り返してコンクリ杭に置き換えました。
でその時出てきた松(青森産)の杭のうち一本のそのまた一部、磨き上げて駅長室に飾ってあります。これ一般人は見られない。
でも同様に松で杭基礎打って建てた旧丸ビルの松杭は新丸ビルの一階に飾ってあるんで誰でも見られるよ良かったね。


めんどくさくなってきたよ、他にも共通点、相似点あったはずなんだけどだんだん思い出せる数が減ってきた。そうだ思い出したら書き足そう、それがいい。

じゃ今日はこれでおしまい、第七の相似点。
どっちも駅舎中央から伸びる道を運河(お堀)一本渡りながらまっすぐ700mほど直進すると王宮(皇居)があるよ。どうだい。
どっちも時々馬車が走ってるね。
アムスのはおカネ払えば誰でも乗れる観光馬車か、ビール樽しか乗れないハイネケンの宣伝馬車。
東京駅前の行幸通りのは皇居の信任状奉呈式むかう着任大使が乗るやつだから一般人乗れないね、残念。


これでも東京駅とアムステルダム中央駅は無関係だって?
もう勝手にしなさい。

参考画像:小矢部市メルヘン街道のサイクリングターミナル

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

30年近く前にオランダに行った時にアムステルダム駅を見たけれど、内外ともに東京駅よりもはるかに素晴らしいと思いました。さすがに本家だな~でした。20年以上前に真似であることが否定されたそうですが、建築様式が違うとかどうのこうのとかが理由だそうですね。学問的にはそうかも知れませんが、そんなことはどうでもよく、明らかに見た目がそっくりでした。違いは、東京駅の方が内外ともにずっと貧弱だということでした。勿論丸の内側の見た目であり、八重洲側とか駅の機能やJRや民鉄、地下鉄とは関係なく、見た目が真似しているで十分です。

匿名 さんのコメント...

私は建築デザイナーですが、歴史家が様式の類似性とかいっていますが、イメージの出発には、参考にしたと思います。そこを、自分で消化したもので、作ったのでしょう。丹下さんも、サリーネンのエール大学の体育館との類似性を言われる人もいますが、イメージをふくらませて、その時々にあわせて、形にしていくのが、作家ではないでしょうか。何にも影響を受けないというデザインはありませんと、私は、思います。