火曜日, 9月 16, 2014

あるお好み焼き屋さんの最期

によって取り留めない個人的覚え書きですので、なんか検索して飛び込んでらっしゃった方は Ctrl + f かなんかで手っ取り早くページ検索して用の有無を確かめてさっさと立ち去ると何かと捗りますよ。無駄に冗長な描写や言いがかり、心象の駄々漏らしが延々続くだけです。大半は表題の「あるお好み焼き屋さん」すら関係無い話になる気もします。

う無くなっちゃったから出します、その店の名は「琴ぎく」。食べロググルナビにも運営が電話帳から拾ってきたような空のエントリーだけはありますね、誰もレビューとか書きませんでした。blogで言及した人もいないんじゃないですか。みんなで秘密を共有してました。でもちゃんと実在してました。今日はそんな店の話とかです。ちなみに店名は「斧琴菊」とは関係ありませんが「よく言われるけどアタシ五代目に御縁あるほどお婆ちゃんじゃないわよー」だそうです。実際店内に「斧琴菊」の判じ文様は見当たりません。座布団や厨房と仕切る暖簾の柄は「束ね熨斗」で統一されていました。「琴奨菊」とも関係ありませんが「アタシ名前が似てるからついつい気になって見ちゃうのよー」だそうです。店名は女将さんの日舞の師範名「琴菊」から来ています。流派も聞いてるはずですが5秒以内に失念しました。

は鳥越おかず横丁の一筋北の通りに面してます。この道、一方通行にしてはやや広いです。この辺そういう道多いですね、狭いと千貫神輿が通れませんから。なんてことない一方通行の道でありながら竹町抜けて西へ進めばJRの線路はおろか更に数少ない昭和通りの交差点も貫通し仲御徒町を抜け明神下通りから一方通行は拝み合って向きを反転、湯島を登り本郷通りを越えると下り道、終点壱坂の中程に出て開けたところで眼前には観覧車を透かして東京ドームが聳えてた、っと手短かに道中付け。間口は二間ほど、硝子格子の引き戸をカラリと開ければ左に鉄板入ったテーブル席が3つ、右の小上りに2つ。ご夫婦二人きりで切り盛りしてますが店内は女将さんだけ、ついぞ最後までご主人の姿を見ることはありませんでした、声しか聞いたことない、厨房専任。営業時間は平日の17:30~20:30くらい、たぶん。ぼくの行く時間がアレなのかもしれませんが10回に7回くらいは客だれもいない。その7回のうち6回くらいは後からも客入ってこない。そんな店。でも客は来てるんです、稀に出くわすし材料はいつだって新しいし。

ニューです。「豚玉」「イカ玉」「切りイカ玉」…といった定番のお好み焼きがあります。他に「スタミナ焼き」「琴ぎく焼き」なんてスペシャルなお好み焼きもありました。550~800円くらいだったかと。そういや以前ご婦人客の二人連れ、「アタシ次スタミナ焼き頂こうかしら」、「あら姉さんそれってどんなの?」、「ネギとかニラとかお肉とか入ってすっごいのよ」、「まぁ、じゃアタシも同じの頂くわ」、なんて言ってお代わりでスタミナ焼き各1枚ペロっとやってましたよ、七十八十の婆さんが。お達者な紳士淑女の社交場「琴ぎく」。それから鉄板焼きですね、「帆立バター」とか「イカバター」とか「野菜焼き」とか「ソーセージ」とか、これまた定番、突飛なものはありません。でそれと焼きソバが3種類くらいあったかな、プレーンと「五目焼きそば」と「鳥焼きそば」。「あんこ巻き」とかあったかなぁ、興味ないから記憶に無い。あとは飲み物、以上。こっからがたぶん今日の本題。
 ここに もんじゃ は ありません。



京の、下町の、老舗のお好み焼き屋なのに、もんじゃ焼きが無いですってー?!
それって2ヶ所に大まちがいがあります。
まず「もんじゃ」は本来子供のおやつです。価格帯で言ったら100円~250円、営業時間で言ったら5時6時に終わるような駄菓子屋とかで繰り広げられるフード系遊戯です。もちろん現在のように二千円もするオリジナルなんとかだったり三千円もする海鮮スペシャルだったりを大人がワイワイ突っつきまわすのを否定するつもりはありません。ぼくはお邪魔しませんから勝手にやっててください。
一方東京の昔からのお好み焼き屋ってのは大人の行くとこでした。それもお天道様の下を憚る、秘められた逢引とかの場でした。いやそうじゃなくても出入りしていいんですが。だから基本全席小上り。卓と卓の間は高めの衝立で仕切られてました。子供たちだけでは入れないようなちょっと怪しいとこでした。今見なくなりました、そんな店。どっか残ってるかなー。東京じゃないけど横浜若葉町の「浜銀」、遅くまでってか早朝までやってるから深夜2時3時とかに行くと大変ですね。ジジジーって鉄板の上でなんか焼ける音が響く中、衝立の向うでは何語だか判らない囁き合いとか聞かなかったことにしたい物騒な話とか飛び交ってて。いや飛び交わない。じとーっと垂れこぼれて床に沈殿して淀んでた。秘め事感とか怪しさ満開でした、って今見たら改装したんだ、ずいぶん明るく小奇麗になっちゃって小上り衝立ないじゃん、営業時間以外健全じゃん。ってかついでに見たら「コトブキ」24:00閉店ってなに?ずいぶん行ってないから浦島太郎。
またそれらとは別に学校帰りの女学生が道草食う甘味屋兼業みたいのもありました。三田の地下鉄出て三田図書館の方行く道、今エクセルシオールかなんかになってるとこ、昔は甘味喫茶でお好み焼きもやってたはず。慶応女子、普連土、戸板、東京女子… 女学校過剰にあるんだ、石川町ほどじゃないけど。茗荷谷かなんかでやっぱそんな店に入り込んちゃって落ち着き払って焦ってた覚えがあるけど、どの辺だったかも思い出せない。

は子供相手にもんじゃや駄菓子、夏はかき氷冬はおでん出す店だけど折角鉄板と小麦粉あるんだから夜は大人や家族連れ相手にお好み焼きも出しましょう、と。そりゃ当然の経営努力の成り行きです。文京区台東区墨田区もろもろが好もん習合に向かう中、荒川区は今でもお子様専科が結構残ってます。あらかわ遊園前の「きくや」とか尾久小前の「としちゃん」とか。混んでる時間大人は入るの遠慮しなくちゃならない店。一方中央区は昼も夜も中心はもんじゃ、お好み焼きは添え物って店が月島方面に大発生しました。銀座や明石町一帯からはいずれのスタイルも姿を消し、人形町にファミリー客や会社帰りで賑わう「松浪」「さのや」「初音」、ガチ大人向けってかもはや外人向けに特化した「どれ味」なんかが住み分けてます。足立区も独特の進化・分化を遂げてるようです。千住のルミネだマルイだにデートに使えそうな(前述の通りデートに使う店と逢引きに使う店は別概念)小洒落た店がある一方、ふもとの路地には昔ながらの店がひしめいてます。千住に昔からある店は「もんじゃ」って言いいません、「ぼった」って言う。でもって地元民はあっちこっち浮気しないのね、縄張りが決まってて呼び出されてとか余程の理由が無いとよそのぼったには行かない。臨時休業してたら諦める。って言ってましたよ地元の人が。blogとかで「千住ぼった食べ比べ」みたいのしてる人、たぶん多少離れたとこの人です。一歩離れた視点から対照比較してるんだと思います。地元の人は一軒ずっぷりで周り見えない、存在すらしないかのように。そんなだからぼくもその地元の案内する「今井」しか行きませんが、こないだ行ったら店開けてなくて外に親爺いて「体調崩しちゃってねぇ、まだしばらくは…」てなこと言ってたけど頼みますよ再開してください、他に行き場が無いんですから。「今井」は人気あって夜結構混みます。だからごく近所の人は「持ち帰り」したりします、ナマのを。電話や直接来店で頼んどくと拵えといてくれる。乳白色の半固半液体が一杯分ずつ エチケットポリ袋に入ってて口縛ってある。それをバケツとか大き目のタッパとかに収めて持ち帰る人いますね。注文の電話受けてる時「ナマの? 焼いたの?」なんて聞いてますが、どっちもやだなぁ、どうしてもどっちか選べって言われたらぼくは断然ナマ派。

岸の小田原町で生れたんだけど月島のもんじゃってほとんど行きませんでした。行ってせいぜい上州屋、他は知らない。あれほとんどインチキだと思ってます。ぼくだけじゃないですよ、東京の人、みんなあれインチキだって思ってます。いつ頃からどのくらいインチキって思ってるかってと90年代前半に西仲商店街に如雨後筍ともんじゃ屋が沸いて出てきた頃には思ってました。決定的だったのが「ムーの子孫」って系列が乗り込んできた時。あれ北海道出身の人が、どっかで初めてもんじゃ一回食べて、「あーこったらもんならオラにもできるべや」ってたった一度の見よう見まねで開業しちゃった天才社長の店です。揺れる屋形船の船内で鉄板にもんじゃ流し込もうって新機軸のドキドキゲーム考案した天才の店です。ひと頃は月島エリア地上にも数軒出してました。で、おっとりした地元のお人よしの店抱き込んで「月島もんじゃ協会」なるものをぶち上げて騒ぎます。気付いた地元の他の店は本来町内会・商店会で間に合ってたものをもんじゃ業界だけの問題に町会巻き込むわけにもいかず対抗上仕方なく「月島もんじゃ振興会協同組合」を立ち上げ団結します。古参ご新規折り合いをつけてそれなり共存共栄してた西仲に、唐突によそから参入してきた業者のお陰で図らずも月島もんじゃ界は一時期分断されました。「ウチらは自然派だ、ヤツらはソース業者とつるんで…」等々の言い草、まだ残骸がここらに残ってますね。左のサイドバーのリンク先、ほとんど削除して工事中だったりリンク切れだったりですが、どうしてもって向きはWayback Machineでも使って2005年あたりにタイムトリップしたら当時の勇ましい言質の数々が見られますよ、文字化けもきついですが。「新規参入を怖れる地元の既得権益者が月島警察署と癒着して…」とか「ブーケットには日本人として認められるちゃんとした板前のいる寿司屋が一軒も無いので私が行って現地人を指導して開業」とか抱腹絶倒禁じえない苦労話の数々が掘り出せるかもです。現在は「月島もんじゃ協会」に騙された善良なるおっちょこちょいも目が覚めて、件の協会は解体、ムー系列のいんちき地上店も順次閉店、最後の「カネハラ海鮮もんじゃ」に至っては「がっかりしました」、「名物に美味いものなし」と散々な絶賛を食べログ上に残しつつ月島もんじゃの評判と信用を地に落として焦土作戦完遂撤退、現在屋形船部門のみ新木場に移って営業を続けている模様です。あれ行って不味かったの高かったの言われたって東京のせいじゃありませんからね、知りませんよ。満足したんなら結構です、あっちでやっててください。

いぶ前に「2ヵ所あります」って書きましたね、2ヵ所目。あるいは「正統っぽい東京もんじゃ」と「新参っぽいなんちゃってもんじゃ」の見分け方。前者は「もんじゃ」って表記してあります。後者は「もんじゃ焼き」って表記です、なことが多いです、絶対じゃありませんが。気持ち悪いもん「もんじゃ焼き」って。「天ぷら揚げ」とか嫌でしょ、インチキっぽいでしょ、それだけのことです。「美味い/不味い」じゃありません、あくまで素性の話です。

れてました話を戻すと、そういう訳で元来東京では「お好み焼き」と「もんじゃ」は別個の店で別個の客層対象にした商売だったんです。ここ2~30年です、せっかく道具あるんだから、と積極的にもんじゃを取り入れたお好み焼き屋もあれば、営業時間を延ばしてお好み焼きも出すもんじゃ・ぼった屋も出てきました。その一方で頑なに子供相手の安くて賑やかなもんじゃ屋を守る店、大人相手の静けさの中しめやかに執り行うお好み焼き屋もありました、という話でした。それが年々と減り続けてると。

なんですよ長年お好み焼きで看板上げてワケあり癖ありの大人の客相手にしてたお店にとって、子供のおもちゃ出すの。それでも客が五月蝿いから嫌々でも出す。
「えーっもんじゃ無いの~? お好み焼き屋なのに~? 東京っていんちき~!」
っての黙って出してやりゃおとなしくなるから。食ってカネ置いて出てくから。ウチ来てもんじゃは無いでしょうに、お好み焼きはお口に合いませんでしたかねぇ、って思いながら出す。出してやんないと食べログとかで物知らず棚に上げてあること無いこと罵倒するやつ出るから。浅草の「染太郎」なんか露骨ですね、「もんじゃ焼は平日12時~16時限定です」ってやってます。賑やかにわいわいカチャカチャやりたい観光客と、静かにやりたい古くからの馴染み客と、時間的に隔離してくれる。人形町の「さのや」も渋々だな。「各品もんじゃ焼は150円増しで承ります」とか、ペナ取ってるもん。いいなあの店は。お好み焼きホーローのマグカップで出す店って今もう絶滅に瀕してるもん。もんじゃやる客さえいなきゃ静かでいい店。いやいたっていいんだけどカチ合いたくないってだけです。

い出した、去年だったか浅草橋駅の高架下の2階にいつの間にか出来てた「もんじゃ・お好み焼き」謳ってる店、この辺に店開くんだから大間違いは無いだろってタカ括って入ったらなんだありゃ。もんじゃが酸っぱいってなに? 柑橘系とかそんなんじゃないんだ、隠し味に流しの下で5年くらい寝かしといたウスターソースの上澄みだけを厳選して柄杓に一杯入れました、みたいな酸っぱさ。どんぶりってか擂り鉢みたいな巨大なのにタプンタプン出してきて馬の栄養食かなんかか? 串揚げ屋の無料サービスみたいに豪快に切ってあるキャベツとかさ。広島弁のおばちゃん二人でやってたけど、知らないならもんじゃやるなよ、広島風でも焼いてりゃいいじゃん。

題の「あるお好み焼き屋さん」の話、ほとんど進んでないし。「琴ぎく」ですが、何年前から行ってたのかな、そんな昔じゃない。子供の頃から通ってたわけじゃない。10年くらいかな、いつの間にか行ってました。なんかの加減で月に3回くらい行っちゃったり、半年くらい行ってなかったり。いつも似たようなのばっかり食べてました、二人で行ったらお好み焼き2枚と焼きそば一つとか。お好み焼きはこうだ、もんじゃがどうだって話の途中で突然ですが、ここで焼きそばの話になります。割とよく注文しててその都度適当に焼いててそれなり美味かったんですが、近年ある時、鳥越神社のお祭りが明けて御仮屋神酒所片付けの日だったかな、珍しく居合わせたよその客。古参の馴染みらしい70絡みの紳士。学校卒業してからミッキー安川の本に騙されて単身アメリカ渡っちゃった人。行った先でロッキー青木なんかとも絡みがあったとか。今は鳥越の実家ギャラリーだけ残して盆栽町に住んで通ってる人。もう知ってる人なら十分特定できるなこりゃ。この殿方が「姐さん、焼きそば食べたいんだけど焼いてちょうだいよ」なんかいって甘えてる。二つ返事で支度ができて鉄板も暖まり女将さんが颯爽と具から麺から焼いていきます。その手際が見事で鮮やかで、鉄板焼ステーキみたいにチャンチキ大げさなやつじゃなくて、なんだろう、裁縫や縫い物の達人の手元見てるような。見惚れてるうちにあっという間に出来上がって火を弱めて「ハイ召し上がれ」ってカッコいい。仕上がりも麗しい。混ざるべきもんは混ざって余り火が通り過ぎない方がいいエビやなんかは上に程よく並んでます。アレいつも出される焼きそばと違うんじゃないのって出来映え。

る程あーやんのか判った覚えた盗んだ。その日だったか次回行った時だったか、覚えてるだけ真似してやってみました。以前より美味しそうに出来たようだけど、まだなんか様子が違うんだよなあ。それで次に行った時、ぼくも甘えて焼いてもらいました。食べたらね、もう見た目以上に違うんだ、ここの焼きそばってこんなに美味しかったの?って。まー商売人が焼くんだから素人より上手いのは当然なんだけど、当然の遥か上行く美味さ。参りました出直して勉強させて頂きます、ってのがそんな昔の話じゃない、今年だったっけ? それから何度行ったかな、暑くてしばらく足が遠のいてて一月以上あいて行った雨上がりの8月25日晩、この貼り紙です。

さすがお師匠さん、達筆だなー。感心してる場合じゃないけど。

十七年か、意外と短いのね、まぁ一代限りだったらそんなもんか、娘はこの店継がずに近所で串焼き屋さんやってるって松屋肉店(これも体調崩して長期休業中)のおばちゃん情報だけど何処だよ教わった場所に店なんか無いぞ。37年前ったら竹下通りのマリオンクレープとっくにあったよな、あれもずいぶん老舗なもんだ。ところで女将さんヘンなこと言ってました。「この店開く時にお好み焼きの勉強に半年くらい大阪に行ってたのよ」って、ここのお好み焼き、関西風の気配微塵も感じなかったですけど。ネギも青いとこなんか使わないし。なんの勉強してきたんだろなー。鉄板の手入れとかかな。いつも綺麗だし油のノリもいいもんな。琴ぎくの店内や料理の写真ってたぶん持ってないんだよなー、あそこでなんか撮った覚えないもん。今7分ほど探しても見つからなかったから絶対無い。かわりに「三岩」のお品書き見つけちゃった。ニンテンドーDSi 買った時の試し撮りだから2009年頃のだ。

 浅草すしや通り「三岩」御料理
ここに書いてないけど時々壁貼りで出てくる
「牛ロールステーキ」みたいの、美味いんだよなー

「ロールステーキ」ある日はワインもいいな
素面じゃ飲めないくらいの安ワインだけど
お代わりするたびにだんだん注いでくれる量が増えてくの





じく7月から8月にかけての別の話。多慶屋の裏手の御徒町公園に面した「キクヤパン店」、一部でちょっと有名な店だからググれば画像いっぱい出てきます。5年くらい前までは街のパン屋さんでした、焼きそばロールとかヤサイサンドとか売ってるような、今減りつつありますが、まぁまだあちこちにあるような店でした。それが面倒になったのかパン類やめてベビーパンダとかき氷の店になりました。正確に言うとパンダ焼きとミニ鯛焼きとベビーパンダとかき氷の店だったんですけど、だんだん絞り込んで最終形態はベビーパンダとかき氷が残った。とは言えベビーパンダには「小倉」と「カスタード」と「ハムチーズ」の三種あります。
「あのね、ハムチーズって書いてあるけどチーズ使うと高くなるからね、今ハムマヨネーズなの」って正直爺さん。食べりゃわかるしそれはそれで美味いから黙ってていいのに。でアイスペールで使うギザギザついた氷用トングね、あれでベビーパンダつまんでパックに並べるの、やや震え気味の手で。時々落としそうになって力入っちゃってトングのギザギザが食い込むの、パンダちゃんの顔に、跡がつくくらい。


の写真のタイムスタンプが7月5日になってますね。で写真の下にあるように「研修の為休み 7月25日金曜日」ってなってます。8月に入ってから何度か前を通ってるんですよ。でも閉まってる。何日間の研修なんだか、って思ってるうちに8月の半ばも過ぎて、どうもおかしい。聞いたら店このまま仕舞うそうで。半世紀以上やってたのに借家だったそうで9月中に荷物まとめて出てくとか。もうこれでじんわり寂しくなってたとこ畳み掛けるように「琴ぎく」の閉店。




陽気もんじゃパーティー否定するわけじゃないんです、ぼくだって今でも北は北千住から西は西日暮里まで、やってますから。人形町の初音とかいいんだよなあ、先にもんじゃやって鉄板散らかしちゃった後からお好み焼きも食べたいねってなった時も鉄板いっぺん洗ってくれるし。〆に下の店からかき氷やトコロテンや豆カン取ったりできるし。でもしっとり密会気分でお好み焼きって、そんな時これからどこ行ったらいいんだろ。「松浪」も平日リーマンで混んでるしなぁ。鉄板にヘラ立ててカンカンやって土木工事して汁流し込んで湯気がボアーっと上がってキャーなんか悲鳴も上がって拍手なんかも沸きあがってオセンベだぁロールだぁって賑やかで結構なんですけど、それじゃないって気分の時もあるんだよなー。じわーっと縁に沸いてくる気泡の数なんかしんみり数えてたい日もあるさ。夜の染太郎でも行くかな。でもそういう時間こそガイドブック片手に迷い込んじゃって「えーっ、なんで夜はもんじゃやらないの~? ぼったくり~?」ってのが現れるんだなあ、困った困った。



木曜日, 9月 04, 2014

歩きに秋田に行った話 5/6

大相撲夏巡業 秋田 豪風場所 (2014/08/12)



えー「歩きに秋田に行った話 4/6」の続きです。8月12日分、お相撲のとこだけ分割しました。
会場の秋田県立体育館に到着したとこまででしたね。では。


正面にもババヘラ いましたよ
到着時点で9時半、まだまだ人いないだろって思ってましたが、
結構周辺わらわら、ちょうど集まってるとこでした。

木戸口前はこんなかんじ
もぎりに少し並ぶ程度
9時40分頃
すでに申し合いも関取衆
二階席の東西方向のほとんどは、社会福祉協議会(以下:社共)やなんかの招待関で、
後から団体で入って来てましたけど、この時間はまだいません。
一方正面向正面はこの時間から結構埋まってます。

ファンサの「力士と撮影会」も始まってました。
結構な行列です。
平均30人くらいかな、力士が変わると行列伸びたり縮んだり、昼ごろまで続いてました。
ただ場所がひどい。ひどすぎる。
上の写真大きくすると正面側にポチっと写ってる琴勇輝の応援幕の下あたりの行列です。
これじゃぁみんな逆光になっちゃってると思います。


力士のぼり別アングルで
のぼり、主催秋田魁発表で19本とこのとですが、
ご覧の通りです、1本おきに「豪風」。
一目に「豪」の字が目立つので新大関豪栄道も混じってんのかと思いましたが、
豪栄道、巡業休場してました。豪は全部間違いなく豪風です。

館内の横断幕も「豪風」。

GO FIGHT TO WIN 豪風
男鹿市観光大使・豪風

サイン攻め豪風

抱っこ攻め豪風

インタビュー攻め豪風

あきれて股割やめた春日国
じきに土俵上は豆力士登場。
対するは正義の豪風、アンド悪の戦闘員、勢、栃乃若、徳勝龍、常幸龍ども

胸を出す豪風

4人がかりを受ける豪風

無敵 豪風

子供相手に乱暴はたらく常幸龍、見守る正義の豪風
さて、豪風祭りはまだ続くんですけど、
いったん外の様子など見に行きます。

東の支度部屋は県道26号線沿いで交通至便

よく見たら奥の方で人さらいみたいなことしてんの
錦木ですね

行司部屋は隣接する公園の東屋

西の支度部屋
パンツ写りそうだったんで消したら余計へんになった

道中宿割り時間割掲示板はトラックです

手書きの掲示を手書きで写してたもんですが
最近はスマホで撮るようになったんですね

なんか勝手に横断歩道みたいの敷設しちゃってます

琴勇輝や魁聖の抜け殻でした

宝富士の抜け殻も

さて館内に戻ります。
土俵上では幕下取組、
これで11時半くらいでしょうか、だいぶ埋まってきました。

3階最上段からの俯瞰

おっと初っ切りは篠原・若山の阿武松組
このチーム、キレいいよね
西方・十両土俵入り
そうそう、ぼくは2階の西花道上にいたんで、館内の写真のほとんどはその位置からです。
だいたいこんな位置。
土俵入りを待ってじゃれあう西方幕内力士

パン爺と なんか黒い人

西方 幕内土俵入り
手を挙げるタイミングずれちゃうと、サボってるみたいに見えますね。嘉風だ。
いやまだいた、千代丸と、北太樹も怪しい。

引き上げる豪風
幕内・横綱土俵入りの後、
豪風だけ土俵に呼び戻されて知事からおコメもらってました。
「秋田県イメージアップ貢献者表彰」だそうです。

「事績:アマチュア時代から相撲を通した活躍で、本県の認知度向上に寄与しており、現在も幕内力士として、その活躍は県内相撲ファンのみならず県民全体が注目しているところである。
また、帰省した際などには、精力的に県内の学校や高齢者等の福祉施設を訪問し、子供たちに夢や希望を与えるとともに、元気で活力ある秋田の実現に大きく貢献している。」

そうだそうだ、もっと褒めてやれ。
ぼくみたいに豪風お目当てに秋田行ったの2、3千人はいたはずだ。

あきたこまち、豪風の体重分の150kgだそうです。。

豪風、おコメもらった
さてもろもろすっ飛ばして、いよいよ土俵は豪風の取組。
懸賞幕、あれですね、さっき公園東屋の行司部屋でこさえてたやつです。

豪風、懸賞もついた
館内大声援、ひと際わらすっ子の声が響くと思ったら、すぐ後ろに30人くらいいました。
栃乃若に快勝。

ブレててちょうどいいや

本日最大の歓声の中、意気揚々引き上げる豪風
「ありがとう 秋田」

横断幕、増えてるし
もうね、土俵上で仕切り重ねる玉鷲、照ノ富士もね、
溜まりに控える遠藤、大砂嵐もね、ガン無視。
ご覧の通り館内ほぼ全員の視線と拍手が豪風に集まってました。

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ところでですね、
ぼくの席の右隣りにガイジン一家がいたんです。
夫婦と中学生くらいの娘と小学生くらいの息子。
で、そのお父さんが西花道で出番待つ阿夢露に
"Excuse me, excuse me!"なんてしきりに声かけてるんで、
その人ロシア人だよって教えたげました。
聞けば三沢ベースの空軍さんだそうで、お相撲見物初めてらしい。

たぶん在日米国人の間でもお相撲好きがいっぱいいて、
口々絶賛するもんだから、せっかく近くに来たんで家族総出で見に行ってみよう、と。
期待を込めて来たんだと思います。

その後も土俵上や花道に外人っぽいの出てくると聞いてくる、
一番人気は誰だ、強いの誰だ、今あれなにやってる、聞いてくるんで、
その人はグルジアだよとか、あれは秋田の人気者とか、ヨコヅナエントリーセレモニーとか、
わりと喜んで説明してました、興味持ってくれればいいな、とか期待しながら。

ところが幕内取組が進んでくると、明らかに退屈しだしてんですね。
それ、わかるんですよ、痛いほど。

「ただのデブの押しっくらじゃないんだ、お相撲さんは強いんだ」
「強さの中の美しさがどーたら」

とかさんざ聞かされてきたんでしょ、アジアを代表する格闘技見に来ちゃった。
巡業とか花相撲とか仕方無いんですよ、本場所とは別物。
楽しみどころが違うんだから。
ってなこと大相撲知らない日本人に説明すんのも難しいのにねぇ、
テレビですら相撲見たこと無い人に理解してくれったってねぇ、
中途半端に説明しても誤解が確信になっちゃったりでややこしいですしねぇ、
どーしよもなかったですよ。
最後これからbow ceremonyですよ、ステップに合わせてヨイショーって言って帰りましょうね、
っていったら面白がってやっててくれたのがせめてもの救いでした。

ってなことやってたぼくの左隣りの席は地元の爺さんだったのね。
この爺さんの言葉がまたほとんど聞き取れず。
娘がそばにいて通訳してくれる時はともかく、直接だと全然わかんない。
「アレは隆の里のお弟子さんだったかね」ってのが聞き取れたくらい、
あとは適当に相槌打ってました。
おかしいなあ、こないだ「秋田の人は標準語が上手い」って書いたばっかなのに。


このトラック、さっき「精密機械輸送車」って書いてなかったっけ

女性ファンに足止めされる大人気大関
 わー ! きゃー ! 写真撮っちゃったー、誰かしらー !

っておいコラ。


火曜日, 9月 02, 2014

歩きに秋田に行った話 4/6

8月12日、大相撲夏巡業 豪風場所

この日はやたら早起きして、宿の朝食も前日からキャンセルしてました。
張り切って朝市に行きますから。

朝市は7時から。
どうせたいした規模でもなし、ちょろっと覗いてバス着たらバス、来なかったらタクシー呼んで、
そしたら7時40分の汽車に乗れますよ、そしたら9時過ぎには秋田駅です。
完璧。

で、6時に起きたつもりなんですけど、まごまごしてるうちに外出たの6時半くらいになってました。
でもまだ大丈夫、あわてない。

だいたい前の晩も遅くまで起きてたんだよ、
なまじ部屋でwi-fi使い放題だったのもあって、その日歩いた道のおさらいとか、
翌日の秋田行きの確認とか、あんま寝てない。


で前日も通った道を自信満々通りますだ。
増田高校の先を左に入ると昨日と同じ道。
今日は少し近道をして朝市の裏側から入ってやろう、
場所はわかってるんだ、昨日の帰りのバスからも確認した、バッチリ。

と思って曲がったんですけど、なんか余計に曲がったみたい。
一向に町っぽくならなくて、町のあるはずの方角、畑だし。
気付くと見覚えのある神社があって、

「これ戻ってんじゃん」

この時点でもう7時過ぎてた。
けどとにかく朝市まで行こう、行かなきゃバスもタクシーもありゃしない、ってんで行きましたよ。
昨日通った道で。
まったく余計プレー。
朝っぱらから田んぼがビービーうるさいなって思ったら
ラジコンヘリがお仕事中でしたよ
はい、朝市やってました。
そりゃやってます、写真のタイムスタンプ見ると時すでに07:23。
そこにちょうどバス登場、乗ります。
結局早起きして朝食抜きで急ぎ足で歩いて朝市の入り口見ただけ。
始まってます
ピチピチの婆さん達がお出迎え、まだ客はまばら
朝市入り口の向かい、石田理吉邸
前日と同じように建ってました
それにつけても羽後交通のバス停ときたら…


びゅん、と道中略。
秋田駅前バスターミナル。
巡業会場の県立体育館まで行くバス路線いっぱいありすぎてわかんないから、
秋田中央交通の案内所できいてみました。
秋田杉の秋田犬がお出迎え。
いらっしゃいました

適当にいわれた番号の乗り場へ。
続々来るし、どれ乗っても県立体育館行くみたいだから適当に乗りました。

体育館発見。
笠木突き出した神明造りなの?この屋根は。
体育館みたいな建物と力士幟が見えてきたんでボタン押して降りましたが、
ほんとはも一つ先の停留所だったみたいです。
まぁどっちでもよかったみたいです、同じバス乗ってた人たちと同じ信号渡りましたから。
体育館と力士幟 近影
と、ここで突然ですが、
お相撲の話の続きは別エントリー、5/6で。
興味ない人には迷惑ですから、お互い。


そして無事、大相撲豪風場所も終わって解散ってとこから再開。

はいはい、お開きお開き、
いつまでも未練がましく囲んでんじゃないよ、
また来年の豪風場所でね

そういや体育館の裏、
野外支度部屋になってた近くにババヘラいました

調査しましたよ
ババヘラ デビュー


そしてまたぼくは適当に歩きだしました。
目的地特にないんですけど、とりあえず佐竹家の菩提寺ってのがたいそう立派だっていうんで、
なんかそっち方面目指せれば、と。

体育館から見えたバレーボールみたいの、
どうも市役所かなんかのクーリングタワーだなー
きっかり711mではないとは思いますが、
まあだいたいそのくらい
体育館から戻る道中の川のそばに、大鵬さんの嫁の実家、「榮太楼」というのがあるはず、
130年くらいの老舗の和菓子屋さんで、終戦後からわりと最近まで旅館も経営してた、
でその店の中に大鵬記念ギャラリーみたいのがある、と。
なら覗いてみようかと思ったんですけど、
見落としたんだか全然見当外れのとこ歩いてたんだか、
通り町って商店街抜けて千秋公園の方まで来ちゃってました、残念。

で、その佐竹家の菩提寺ってのがどっち方面なんだか訊ねようと思って見回したら、
その通町に暇そうな和菓子屋さん見つけました。
看板らしい「りんご餅」ってのお土産に買ってから訊きかけたら、
途端に後から後から客が入ってきて後ろに行列する始末。
結局訊きそびれて店出てきました。
「高砂堂」ってお店、有名だったのかなー。
りんご餅は美味しかったそうです。

なんか秋田は道ばたに唐突になにかがあるなー
「鷹の松」だそうです
それから千秋公園の裾に沿って、これまた適当に歩いてたら川に出ました。
なんか川に出ちゃいましたよ
ここどこですか?
そこで居合わせたおじさんに

「あのー、この辺にナントカって佐竹家の有名なお寺が…」

「あー天徳寺ね、うーん近いですよ、20分くらいかなー。」

道尋ねようにも行き先の名前知らないんだから先方も迷惑したと思いますが、
大体の方角と距離教えてもらえました。

「この先、高校で塞がっててまっすぐは抜けられないんだけどね、まーあっちの方」

大丈夫です、アバウトに教えてもらえれば。
アバウトに聞いてますしアバウトに歩いてますから。
いわゆるウォークアバウト。


と指し示された方角に進むや否や、なにやら前方の視界にあるはずも無い既視感が。

あきこうまえ茶屋

なんだこれ、見たことあるぞ。
中に高校生溜まってんだろ、バラバラ不揃いの椅子座って、
ギター弾くやつ、壁に絵描いてるやつバラバラいて、
「油そば150円」とか「卵かけご飯100円」とか適当メニューあって…
なんだなんだー、そうだテレビで見たんだ、ドキュメンタリーの「あきこうまえ茶屋」、
あれここだったのかー、秋田だったのかー、
なんかもっと田舎かと思ってたよ、ここも大概だけど、まだ市内だし高級住宅地だし。

ほんとビックリしました。
まだ記憶の中にそんなカスが残ってたことに驚きました。
よく思い出したもんだと、よくここに辿り着いたもんだと。

残念ながら営業は数年前に終了してしまったようです。
中は覗けませんでした。


天徳寺、着きました。
なるほど立派な門ですね、閉まってますけど。
16:40頃だったようです。
いいです、閉まってるのもう慣れっこです。お盆だから仕方無いですよね。


近く歩いてた婆さま掴まえて聞いたら、なんか正面閉まってても脇から回って入れるとか。
回ってみましたけど、大雨の名残りでぬかってて大変お足元の悪い中さっさとあきらめました。


だって柵の向こうにですよ、なにやら穏やかじゃない立て札あるし。
暗くなってきてるし。
クマに注意

前のバス停からちょうど来たバスに乗って町にもどります。

朝、体育館への往路でもバスの中から見てたんですけど、
千秋公園の横の池、ハスでびっしり、花盛りでした。


よくよく見ると一番奥の方、毒キノコみたいな花咲いてませんかね?

左奥、ぴょこんと一輪突き抜けて咲いてます?

さて今夜も旅館の夕食キャンセルしてたので、何か食べて帰ります。
美味い美味い言って結局ほとんど宿で食べてないじゃない。
外でもろくに食べてないですけどね。

駅の近くで一人でも入りやすそうな店見つけたんですけど、混んでて大変そう。
そのそばに最初見落としてたこじんまりした店ありました。
店の名前なんか覚えてません。

とりあえず3品ほど頼みましたよ、ハタハタ一夜干と、ホウボウだったかな刺身、
そしてイカの貝焼き。


順々に肴が届く中、
秋田巡業のプログラム、これがまた上アート紙フルカラー32P、
1,000円の三階席でもロハの招待席でも貰えるの? ウチワも? 大丈夫、秋田県?
ってなやつなんぞをパラパラやりながら、

「あ、テレビ、ABS秋田放送ってのいいですか」

なんか言ってチャンネル変えさせて。
その局が主催協賛だったんです。
しめたものでローカル枠からスポーツ枠から豪風祭り再び。

「あ、巡業行ってらしたんですかー」

なんか話しかけられて。
ってか放っとけないないよな、派手なプログラムめくりながら豪風推しの団扇バタバタ扇いで、
テレビの力士に口半開きで魅入ってるんだから、
話振るわな、秋田人として礼儀として。

そっから始まる清国、照国、大鵬さんのヨメ、豪風、華王錦…
往年の現役の郷土力士の勇ましさやら頼りなさ。
行司、呼出し、その親族に至るまで…

「往年の榮太楼さんはどーたらこーたら…」

「いやいや清国さんの未亡人は元の伊勢ヶ濱部屋で一日一組限定の…」

「いよっ桃色の音楽!」




そして来ました貝焼き、これ。
まずはドン!

鍋替わりのホタテ殻でっかい。
切り付けた白菜とイカ1パイ分くらい入ってる。
味付けは味噌とイカゴロ、ゴロは1パイ分じゃきかないくらい入ってるらしいです。
イカ刺しとかが数出ないと作れないんだそうで。

更に倍!
一回じゃ入りきらない白菜は別皿で。

食べても食べてもなかなか減らない。
そして食べ進むうちにどんどん味が濃くなっていく。
それが何故かまた美味い。
お銚子何本飲んだんだろう、でもずいぶん安かったです、3千円台だったかと。


8時くらいの汽車のって帰って風呂入って早めに寝ましたよ。
そこそこいっぱい歩いたし。
明日は宿替えだし。


ってかこれから相撲場の分書くのかー。
最終日の分もやたらいっぱいあるんだよなー、あらかた忘れかけてるし。
いつになるやら。