火曜日, 9月 02, 2014

歩きに秋田に行った話 3/6

8月11日 十文字→増田→川連→稲庭

書いてなかったけど、10日は東北日本海側を台風が通過してて、それを追いかけるように、追い越すようにぼくも北上してました。
乗り継ぎ時の駅の待合室とか、テレビが臨時編成で各所の被害中継リレー。
飛行機・船は全国的に運休、秋田は全県に大雨強風波浪洪水など気象警報発令、
一部地域には土砂災害注意情報も発出。

そんなさなかに物見遊山気分で押しかけていいのか、
ってももう来ちゃったもんなぁ、上手いこと雨かわして買い物済ませて、
部屋で一人ピザ食べて。
夜半から雨風強まってきたよー、揺れるよー、
ぼくこの家泊まるの初めてなんだけど、いつも揺れるの? ほんと大丈夫?
歩きにきたんだけど、明日それどこじゃないんじゃない? 泳いでたりして。

そしたら朝には雨上がってました。
風は強いし、まだときどきパラパラっとは来るけど、とりあえず台風は過ぎたようです。
朝食済まして(これが美味えー、コメ美味えー、おかずいっぱいー、納豆まで手が回らねー、泣く泣く残すー)、
9時前には外出て歩き始めましたよ、えらい。

さぁお約束通り無駄に重い写真が馬鹿みたい枚数出てきますよー
回線弱い人、逃げてー、今すぐ逃げてー。

出発。宿の前は神社。十文字神社。
てきとーに廃れてて、てきとーに手入れされてる。

増田高校とか神明神社とか省略、ひとっ飛びに増田町市街へ。
ミヨシ美容室とかチエコ精肉店ももったいないけどキリが無い、省略。
この辺からは小安街道という道に沿ったり離れたりしながら稲庭城を目指します。
小安峠の向こうは宮城県の栗原市、
そこまで行っちゃうとバスで帰ってこれなくなるので行き過ぎないよう注意します。


切妻妻入りの鞘造り、破風の梁模様も堂々と
ずいぶんと豪勢なボロスナックかりん
稲庭うどんのアレですね、竿に引っかけたとこ
U字になったとこ
凄いなー、心柱貫通の三階建て。石田理吉邸
と、羽後交通のバス停

増田ってのは蔵の街なんです。
普通によくある土蔵。
ただ剥き出しで建ってない、豪雪から守るため、外側を家で覆う。
これを「鞘造り」って言います。
川越とか倉吉みたいに土蔵剥き出しで並んでない。
これが却って凄みを醸します。
中はすごいんです、って。
外も凄いんですけどね。
錚々たる切妻の大屋根が通り側に向いてる、いわゆる「妻入り」。
破風には化粧梁を見せて、雪国にしては秋田には窓を大きく取ってる家多いですね。
で戸袋兼用なのかな、立派なウダツなんかも上がってたり。

中も中で建物の中に土蔵が建ってる。スタジオのセットかなんかのように。
建ってる土蔵の横に水屋があったり、どうかすると井戸があったり。
それが建物の中というヘンな感覚。
土蔵は普通に蔵として大事なもの納めたり、時には居間として、あるいは主人の寝室として使われたりもした、らしいです。

そうでした、福島、山形と通ってきて、秋田に入ると急に豪壮な家が増えてくる。
でもってこの増田という町が、どういう訳だか100年くらい前に栄華を誇った。
街道の交わる位置で商業が栄えた。
秋田を代表する銀行の一つ「北都銀行」も増田で発祥しました。
なのに現在の増田の北都銀行は旧市街中心地にありながら、味もそっけも無い昭和終わり頃の建物。
おそらく石造りかなんかでさぞや立派な建物があったはずなのに勿体無い。

でその景気が良かった頃の内蔵鞘造りの商家が2~300mの間に軒を連ねてる。
うそ、点々と散在している。

あれです、フィレンツェとかね、1400年代の街並みが残ってる、
アレはメディチ家の栄華のあと。
メディチ没落と共に、フィレンツェも没落した。
それ以降、景気良かったこと無い。だから街が保存された。開発が停まった。
増田は沈滞期に建物の値打ち判らず建て替えちゃった。
だから中心部も昭和末~平成期の、それも安っぽいのにだいぶ置き換えちゃった。
惜しい。
でも建て替える余裕が無かった家々は辛うじて残った。
それが国指定の重要伝統的建造物群になりました、何が幸いするかわかんない。



またあった、小野寺ょ

朝市休み
ちょうどいいとこにフォトジェニックな婆さん通ったんで撮った
増田の朝市は2と5と9のつく日。
この日は11日だからやってません、また明日。
でも3と7と10の日は十文字、1,4,6,8の日は浅舞、
って結局毎日どっかしらこの辺でやってんじゃんよ、朝市銀座だ。

張り巡らせた用水路
これはいい街だ
風情がありますねぇ、古くは城下町のお堀として、下っては商人町の運河として、
家の間や玄関先に張り巡らされた用水路、勝手口に面したとこなんかは段々が切ってあります。
盛夏の頃なんかには野菜洗ったりスイカ冷やしたりしてたんでしょうねぇ。
雪積もる厳冬には泉ピン子が入水堕胎してたんでしょうねぇ。それ最上川だな間違えた。

日の丸醸造だったと思う
それにしても羽後交通のバス停はかわいい
書体がたまらなくかわいい
日本酒どころの秋田だけに増田にも酒蔵が二軒あって、その一つが中心部にある日の丸醸造。
さすがここは間口も広い。
客の出入りに雪が落ちないように、この辺りの町家はみんな道路方向に切妻が向いた妻入り。
大きい町屋だと一階にも庇のように屋根を張り出して、この辺だと「小店造り」っていうのかな、
北陸で言うところの「雁木造り」みたいにアーケード状になってたり。
張り出した庇屋根に柱かってるから入母屋とは違うんだよ。

もう一つ勇駒酒造ってのは現在酒造り休止中なのかな、
やはり市街中心部、朝市の隣、建物は残ってて案内所みたくなってた。

たぶん間口で税金取られたんだと思う。
そういう町の商家は鰻の寝床みたいに奥に続いてんだよ。
この二軒の酒蔵も奥行きが間口の10倍くらいある。
あーさっきの朝市通りの写真に写ってる、左側のずらーっと並んでるの、
あれ一軒の棟続き、 全部勇駒酒造。

遊ラン通り入り口
「遊ラン通り」って何なんだろな、増田小学校へ続く道。
ってかここ城址なんだよ、門柱の横にうっすら盛り上がった土塁、それが一帯ぐるーっと囲ってる。
増田城って小笠原氏、小野寺氏、土肥氏と主が代わり、
関が原も済んで佐竹氏の秋田入封&一国一城令で廃城。
さっきの用水路が外堀替わり、土塁も低いし、平和な城だったのかもね。
商家立ち並ぶメインの街道から一歩引っ込んだようなとこでお武家様棲み分けてた。

「遊ラン通り入り口」から入ってすぐの左右には桜、
その先には枝ぶり怪しい松の古木が2、3本、
その先は杉、杉、杉。秋田どこ行っても杉、多杉。


ところで秋田の人は意外だけど美しい標準語を話す。
特に横手地方の人は日本一美しいんじゃないかってくらいの標準語を話す。
お世話になった宿のご夫婦も見事なまでの標準語。
ぼくなんか意識したこと無いからこれほど正しく美しい標準語話せない。
南米やハワイの日系人向けラジオのアナウンサーが戦前ばりの綺麗な日本語話すのでNHKのアナウンサーが驚いたっての、こんなかんじだったんだと思う。

これはひとえに「遠藤熊吉」って先生の根気よく熱心な教育の賜物。
ズーズー弁と馬鹿にされ悲嘆して自殺、とか、
軍隊で「エッツヌィ、エッツヌィ」って号令かけて張り倒された、とかの悲劇が激減した。
詳しくはググれ。
その遠藤先生が戦前から戦後にかけて奉職してたのが「西成瀬小学校」、
合併統合を経て現在の「増田小学校」、そうここだ。
ここから巣立った教え子たち、遠藤先生の標準語教育研修しにきた先生たちが、
増田から横手一帯に、湯沢、本荘、そして全県に広がって、
標準語王国秋田が出来た。
秋田弁は消えたわけじゃない、各地域ごとに今も根付いてる。
一山越えてもお里が判るってくらい各地独自に言葉があり大切にされた。
「標準語に自信ありますか」、「方言は好きですか」とアンケートを取ると、
いずれにも高率を示すのが増田の人だと言います。

ってな話を宿に置いてあったタウン誌で読み齧りましたので、さっそく披瀝しております。


増田城址そばの小さな神社の巨大な垂乳銀杏
鳥居が小さく見えます
わかりにくいけど用水路の立体交差
左から右へ昨日の台風で濁りきった掘割の濁流の上を
手前から奥へ比較的澄んだ用水が樋を流れてます

日の丸醸造のわきに立て看板「つばくら食堂」。
そうだ、この日の丸醸造から掘割沿いに行ったすぐ先の「つばくら食堂」で
「天ぷら中華」食べる計画だったんだ、よし11時も回った、開いたはず、Go。
 答:お盆休みでした
だったら立て看しまっとけよ。
もういい、増田終わり、つぎ行く。

成瀬川を渡る橋の上から手を伸ばせば届くとこに栗がたわわ
眼下には川原で野良仕事に励む農民、むこうに山
すっかり濁流祭り
こんな成瀬川は初めて見た
特産名物店らしい羽場こうじ店、休み
この時期工場止めて大掃除なんでしょね、
後ろに菌床だか蒸し器の蒸篭なんだか、洗ったの積み上がってます
もうお盆だから休み
この辺りで「横手市」はおしまい、「湯沢市」に変わります。
どこが境い目なんだかさっぱりわかんなかったけど。
床屋の廃屋1
なんで1かってと、この後も各所で床屋の廃屋を見たから
ここは敷地の隣で新しい床屋建ってました
だったら古いの片付けろよ
「泣ぐわらすこはイネーガー」
いいなぁー達筆、色使いも秀逸
ネイガー、いつかぼくらの街にも来てくれるかな
破風の懸魚に火除けの「水の字」
わりと最近都内のどっかでも見たんだよなー思い出せない
珍しい寄棟の大屋根

かれこれ10kmくらい歩いたかな、旧稲川町に突入、
湯沢市川連町、漆器の町です。
街道を外れ中に入っていくと漆器屋さんや工房が三軒おきくらいに並んでます。
あと仏壇屋と石材屋もいっぱいあったな。

地図で見たらビブレがある。
えーなんでこんな奥地にビブレあんのー?って思ったら、
"Big freck"で「ビフレ」だって。
Freckってなんだよ
いよー待ってました「まるこ食堂」
もちろんお盆やすみっ!
まるこ食堂と神明社
むこうにポッコリ鍋釣山
朝ぼくを起こしたお日様が、ほうら、もう、真上。
麺をたずねて三千院、川連入ったら「まるこ食堂」、楽しみにしてました。
ようやく会えるね、待ってたかい、まるこ。
なるべく不吉なことを考えないようにここまで来ました。
うつむかず、振り向かず、前へ前へ、一歩一歩。
無駄な努力でした、ガンガンにお昼時でしたが、堂々と休みです。

あのね、ゆうべの十文字中華っから4軒立て続けに振られてんだよ、こっちは。
昨日だってスーパーのピザだよ唐揚げだよ、
その前だって乗り継ぎの新庄の駅、
立派な立派過ぎる駅舎に入ってる店が喫茶店とピザのテンフォーだけってなんだよ。
外ひとまわりしてもやってる店無いってなんだよ、新幹線の終着駅だろ、
NEWDAYSでカツサンドってなんの修行だよ。
今朝だって旅館で朝食済ませてきたから良かったもんの、
そうじゃなかったら行き倒れてますよ、今ごろ棺桶入れられてますよ、漆塗りのですよ。

空腹時にイラつくのは餓鬼の所業、心沈めて神明様に拝礼。
屋根の千木は平削ぎ、鰹木は偶数本。
そう、こうでなくっちゃ神明宮は。
形は似てるけど大相撲の吊り屋根は千木が外削ぎ、鰹木5本。
力士は男神さまだからなっ、よろしい、落ち着いた。
まだ隠し玉はある。稲庭のうどんに食堂市兵衛屋。
次こそ開いてますように、今一度願掛け。
ぼくは神社お参り行っても願い事はしないんです、ごあいさつと御礼だけ、いつもは。
今日だけはそんなこと言ってる場合じゃない、死にますよ、食べなきゃ。
神様おねがい、よーパンパンっと。

川連なんかに色つけてんのもったいないと思って
色消してみた
やっぱ色復活
なんかこの辺、寸法おかしいんだよ、
仏壇の工場、周囲の家に比べてでかすぎんだろ、縮尺。
なんでこんな奥地に巨大な仏壇屋がぽんぽんあるんだ、
それにこれ、二階建ての高さじゃないだろ
入り口の象の像なんだよ、仏壇と関係あんのかよ、ヒンズーか?
今度は農家、小さすぎないか?
ヒト入れんの?

唐突にナイター照明も完備した立派な球場登場。
ってかあるの知ってたし、遠くからも見えてたんだけど、やっぱり唐突過ぎて驚いた。

立派な巨大バックスクリーン。
手挿しなんかじゃない電光スコアボード。
青々とした天然芝。
なんでこんなとこにこんなのあんの?
川連町、合併前の単独で6,000人くらい?
稲川町全体でも合併前で10,000人くらい?

楽天イーグルス稲川スタジアムってどういうこと?
秋田もイーグルスの牙城であるってこと?
関係無いけどイーグルス、いつゴールデン取れたんだ?

公認野球規則じゅうぶん満たすバックスクリーンそびえ建ってるし、
内野スタンドしっかりあるし、
これイースタンの公式戦できますよ、きっと。

でこれが実質湯沢市立稲川中学校の野球グランドとして運用されてんの!
でもって隣には400mトラックに若干の観客席もついた陸上競技場あんの!
その横には屋外50mプール!
なにこれ?
国体でもやったの?
なんで中学校の敷地につらーっと揃えてんの、体育館も立派。
仏壇ってそんな儲かるの?
大いに結構、もっとやれ。
ってか市立中学校の野球場のネーミングライツって売れるもんだったのか。 
スコアボードの後ろに見える屋根、
さっきの二階建ての仏壇屋。
やっぱ寸法おかしい。
グランドの整備に余念の無い中学生たち
おいおいバックネット裏スタンド下、
大会役員室の窓まであるよ、本気だね。

さぁあと少し、気を取り直して歩を前に進めます。
まもなく東北うどんの聖地、稲庭に突入。

繰り返すけど羽後交通のバス停はかわいい
これからも繰り返すよ

お盆休みなの? 廃屋なの?
佐藤養助本店
なんか関東近県ナンバーばっか停まってるぞ
あれまた佐藤養助、こっちは総本店だって
200mも離れてない
小安街道沿い、あるいはちょっと入ったとこ、うどん屋はいくつもあるんだ。
でもみんな閉まってる。
やってんの「佐藤養助」だけ。
佐藤養助、東京でいくらでも食えるもんなー、銀座とか直営店いくつもあるじゃん。
で選り好みしてるとホントに他はやってない、お盆休み。

その佐藤養助の本店と総本店(増田の街にもなんか仰々しいのあったぞ)、
停まってる車が見事に関東ナンバーばっか。
夏休みに足伸ばしてうどん屋巡礼か、と思ったら、後で聞いたらちょっと違う様子。
これアレだ、帰省だ、お盆の墓参りに帰ってきて、
本場の稲庭うどん嫁に食べさせようっても街中たいがい休みだし、
それでここまで来たんだ、せっかくだから本店、総本店でって、なるほど。

しかし佐藤養助なら無用、スルー、賭ける、市兵衛屋に全部。

市兵衛屋、発見!
開けゴマ!
やってたー!
見よっ、味噌チャーシュー麺!
ドガーン!
待ってましたー!
あれ? これでいいんだっけ?
十文字中華、増田中華とも一線を画す、稲庭中華唯一の店、食堂・The市兵衛屋。
魚介系あっさりスープに澄み渡る醤油の返し、太目の自家製麺に香る油が絡む!

味噌頼んでんじゃん、それもチャーシュー増してるし。
だってお腹空いてたんだもん、壁の品書き見て迷わず注文しちゃった落ち着いて迷えばよかった。
いやなんか頭をよぎったんだ、「これでいいのか、思い出せ」と何かが。
えぇえぇそりゃ美味しゅうございました、空腹は何よりの調味料、スープもかなり飲みました。

これがヒトを惑わす魔性の品書き

なにか間違った感に打ちひしがれながら完食、
店を出がけに稲庭城までの道のりを聞くと、
親切にも店の外の道まで出てきてご丁寧にご教示頂きました、もう見えてるじゃん。
しかしまっすぐ城には向かわないのでした。
そもそも稲庭城、行けなくても構わなかったし。

最後のお目当ては「The 佐藤養悦」。
風も語りかけます、渋い、渋すぎる。

本来「稲庭吉左右衛門」家の一子相伝の秘術だった稲庭うどん。
それを七代目佐藤養助が公開し大量生産、大規模出店、
零細家内制手工業だった稲庭うどんを秋田有数の食品産業に育て上げる。
当代は九代目くらい?
一方兄の養悦はむやみな機械化や拡張をせず、少量生産の手工業を貫く。
道は違えど数多ある稲庭うどんの中で「稲庭干饂飩」を称せるのは、この三軒だけ。
たぶんそんなかんじ。
その養悦、行きます。

どーん! 佐藤養悦本舗
工場、閉まってます。
中、動きの気配とかありません。

途方に暮れて引き返しかけたとこにクルマが到着、
工場開けてなんか出し入れしてますよ、
千載一遇、待てー、待ってー。

見事、工場の人でした。
訳を話し、直接買いに来たことを告げると工場にあった在庫を頒けて頂けることに。
それがこいつです、この逸品。

第33回 秋田県特産品開発コンクール 最優秀賞
「稲庭中華そば」
なんだよ、うどんじゃないのかよ、さっき一子相伝のなんのと能書き語ってたじゃないか。
ノンノン、養悦のうどんなら東京でも買えます。
ここは「稲庭中華そば」です。
正調稲庭うどんを彷彿とさせるツルツルしこしこのストレート麺、
なんといっても添付の比内地鶏スープが絶品、鶏が美味い、醤油が美味い、脂が美味い。
十文字中華のようにアレコレ具は要りません、素でじゅうぶん、青菜でもあれば望外。

実は稲庭中華そばも東京で買えました、有楽町の交通会館1F秋田ふるさと館にありました、
後日買いました、食べちゃってお土産足りなくなったの買い足しました。
配ったのそれです。


さて、用事もすべて済んだので、いよいよ稲庭城へむかいます。
別に行かなくたっていいんだけど、ここまで来たし。

西重林業
妻入り大屋根、破風の化粧梁、広い窓、ウダツ風戸袋、完璧。
三嶋神社
ん? 千木が平削ぎで鰹木が奇数本?
こーゆうのはモヤモヤするなー。

それにつけても羽後交通のバス停ってば

ここんちも佐藤さん
なんかやたらと佐藤さんが多い。
それと瀬川さんも多い。
この前に通りがかった道ばたの墓場、
佐藤さんと瀬川さんばっか並んでた。
佐藤養悦本舗の前に稲庭小学校ってあったけど、
佐藤さんと瀬川さんで半分くらい埋まってんじゃないの?

あ、さっき「最後のお目当ては佐藤養悦」とか言ったけど、忘れてた。
三嶋神社の先、通りかかって思い出した。
「三嶋屋のくるみ餅」、いわゆる「ゆべし」、
お土産に忘れずに買った。
いや忘れてたけど店の前で思い出した、えらい。

それにしても中から出てきた三嶋屋のおばちゃん、猛烈に忙しそうだったな。
お盆はそんなに忙しいのか、店開けといてくれただけ感謝だな。
神明宮のご利益だ、あれからなんか運が持ち直してる。


ついに到着、稲庭城の参道入り口。
ってか草で覆われてんじゃん、巨神兵とか出てくるアレ?
登る人いるの? 昨日の大雨で緩んでんじゃないの? 無理でしょこれ。

稲庭城址入り口
無理でした。

でもちゃんと登れます、スロープカーってのあります。
ケーブルカーみたいだけどケーブルじゃないの、ラックピニオン式。
なんか早速インチキくさいなぁ、乗り場の小屋のなまこ壁。
ここ乗り場


「あぶない 危険 関係者以外立ち入り禁止」って、
乗降場だろ、ここ。

こんな風なのが登ってきます。
なんなの、このいんちき駕籠みたいの。
こうゆうの乗って窓から進行方向写真撮ってるの、
あとから見ると登ってんだか下ってんだか判らないのありますね。
これはどっちがどっちでしょう?

下りでした

登りでした
4~6人乗りくらいの2輌連結です。
行きは前の車輌乗って登るほう見てました。
帰りは下の車輌乗って麓見てました。
だって貸切なんだもん。

稲庭城どーん!
説明不要のいかがわしさ
もうね、中はちょっとした秘宝館ですよ、支離滅裂。
鎧兜のレプリカありの漆器工芸ありのご当地出身書家の作品展ありの、
夏休みの宿題的な農家のジオラマありの昔の着物ありの。
もうあれだな、市民の物置。大切だけど使わない物しまっとくとこ。稲庭納戸マークタワー。

おまえら亀見たこと無いだろ
神社仏閣でよく見かけますけど石像とか木像だとかの亀、
なんで耳立ってんの? そんな亀いないよ。
「川連漆器亀型盛器」ですよ。
がおーっ

おっとしかしこれは珍品、こんなとこでお目にかかれるとは。
子安観音のフリして実はみどり子はダビデの星を指し示してる隠れキリシタンの秘宝マリア観音。
近くの神社に収められていたらしい。
てか東北もキリシタンは信仰隠してなきゃいけなかったんだっけ、そりゃ大変だ。
黒瀧マリア観音
見晴らしはよかった
景色だけは安心して見られた。
今朝出発してきた地点が見えないってくらい歩いた。
さあ帰ります。

下りてきたふもとの乗り場の近くの閑散としたなにか
ふもとにあった「長楽寺址」
この辺まで神仏分離は行き届かなかったの?
帰りはバス乗ります。
それにつけても羽後交通のバス停はいい。書体にも風格がある。
下りてきてこのバス停の写真撮ったのが16:10のタイムスタンプ。
ちょうどバスの時間でした。ナイス、神明社の御加護。

稲庭梺停車場。
横手、十文字からのバスの半分はここで折り返します。
びゅーん。
下梺、通過しまーす
稲庭本町、通過しまーす
四ツ谷角、通過しまーす
増田中町、通過しまーす
十文字まで乗ってた行程の3/4は他に乗客無し、貸切状態。
大丈夫か羽後交通、息してるか?


夕食は宿のをいただきました。
念のため、近くの丸竹食堂に寄って覗いたんですけど、入り口開けっ放しで暖簾出てなくて、
中はいって確認すると

「お盆だからねぇ、忙しくって、お昼でお店閉めちゃったの」

なんなんだよいったい。

日中のほとんどをお日様に向かって歩いてたんで、顔焼ける焼ける。
きれいなお風呂入ってこすったら皮むけました。
片道20kmくらい歩いたもんなー。

夕食はさらにおかずたくさん。
それもごく普通の家庭料理的な美味しいの。
キリタンポ鍋とか出したら心の中で睨みつけてやろうと思ってましたよ。
普段食わないもん客に出すかねって。

あ、でもブリ子の貝焼きとかなら食べたいかも。
むかし子母澤寛の本で見たんだけど、「貝風炉(きゃふろ)」ってまだあんのかな。
貝焼きに使う一人用の七輪みたいの。
絶滅したとか復刻されてるとか聞くけど、あれ欲しいな。
どっか売ってないかな。


明日はお相撲見物の日です。
早く寝て備えます。
けっこう遅くまで眠れなかったけど。

暮れなずむ十文字の裏通り
「パワー学習」ってなんだろう

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