金曜日, 2月 06, 2015

伊豆大島に行ってきた件 2/4 三原山~大島公園

岡田港 東海汽船待合所前
さあ今回も無駄に歩きます。

まあ特になにしに行ったわけじゃなし、
ふだん散歩してて知らない道入り込んで迷ったりしてんのが、
このごろ近場じゃちっとも迷わなくなってんで、ちょっと遠出して迷ってこようと。
だから歩き回ってるだけです。
これといってなんかしたわけじゃないです。
思えばこの半年で秋田行ったり新潟2回行ったり宇都宮だ高崎だって
用事もなく行って、歩いてただけですもんね。
で、お昼とか食べ損なってヒーヒー言ったとか。
今回もそんなかんじ。


金曜の夜に船乗ったので、土曜の朝06:00に岡田港に入港しました。
初日のそれからの話。

取ってた宿は岡田だったんですけど、そんな朝っぱらから宿入っても仕方ないし、
岡田ウロウロしててもどうにもならないんで、元町目指してダラダラ歩き始めました。
だいたいこんな道。道中わき道それて覗いてみたり戻ったり。


大きな地図で見る

地図で見ると真っ直ぐで無駄の無いルートに見えますけどね、
無駄なんですよ、山登ったり下ったり。
別にここ、歩かなくたっていいんですよ。
船が岡田港に入ったら、早朝でもなんでも元町行くバス来てますしタクシーもいます。
元町近くの御神火温泉、夜行の船が着く日は朝6時半からやってくれてますし、直行バスもありますから。
そこ行って町が目覚めるまでひとっ風呂浴びて時間潰してりゃいいんです。
ぼんやり眺めてたら、そのバス行っちゃいましてねぇ。
まあ元町まで6kmくらい、1時間半、道草食っても2時間だろうと。
ちょうど元町の観光協会始まる頃に着くだろうと。歩き始めました。

もう平らなとこないですね。
港出たらいきなり坂道。
それも最短の道まっすご行こうとするとかなりえげつない急坂。
クルマ迂回してますもん、ゆるめの道に。
胸突きの坂15分ほどでしょうか登って、
「岡田郵便局」の前あたりでようやく普通の坂道になりました。
このへんで既に標高100mくらい。
で、まっすぐ道なりに都道の「大島一周道路」行けば歩道も整備されてていいんでしょうけど、行きません。
左に逸れて「椿花ガーデン」方面へ。
だってこっちの方がクルマ少なくて静かそうだったんだもん。(正解)

人家もぽつりぽつりとしか無い。
こんなとこの半鐘たたいて誰が聞くんでしょうね

と、なんか道のわきでガサゴソっと物音がする。
よーく見るとこの中に何かが2匹以上いる
イタチ? でかいんですけど
体長30cmくらい、子猫くらいのが電線渡ってる。
あとで乗った大島バスの運転手のお姉さんに聞いたら、リスだそうです。
タイワンリス。
観光用のリス園から逃げ出して野生化したんだそうです。

「他にもねぇ、サルもいるんですよ。動物園から逃げ出したタイワンザルが野生化して。」
「あとねぇ、キョンもいますよー、逃げ出したのが繁殖して。」

逃がし過ぎです。
ちょっと裏道入るとそこいらにこんなの立ってます
「キョンを捕獲するため、わなを設置しています」
いっそ動物園のレッサーパンダも逃がしてみたらどうですかね、
繁殖しませんかね。
こうなるともう動物園の檻ってのは囚われてんのか守られてんのか難しいです。

浄水場なのか溜め池なのかの向うに朝日に照らされた富士山が見えました。
三原山方向に入る道とかいくつかやり過ごして歩くうちに、登りより下りが増えてきました。
相変わらず平らなとこはありませんけど。
ちらちらと前方に海も見えてきたり。


「赤穂義士 遺族の墓」って、義士本人ならともかく、遺族はいいんじゃないの?
って思ったんですけど、討ち入り時に15歳以上、成年に達してた男子は流されてたんですね。
生かして放置してると意趣返ししますから。
平治の乱でも討ち取った義朝の子を情かけて生かしといたら平氏滅ぼされましたもんね。
親の因果で流された四人の咎無き悲運の子たちの眠る墓所が近くにあるそうです。
行きませんでしたが。

都道に再合流
最後の坂を下って元町に入りました。
伊豆大島最大の町。
島だなー、なんかゆるーい。

で、付近ぶらぶらしてるうちに観光協会開く08:30になりました。
観光協会で宿泊割引券の手続きしたり、島内地図や各種パンフレット貰ったりしました。

この後なにしたらいいかサッパリ考えてなかったんですけど、
見たら三原山頂口行きのバスが08:50にある。
とりあえず行ってみることにしました。
で、このバス代、片道890円かかるんです。往復1,780円。
ところが一日フリーきっぷは2,000円、往復して岡田まで戻れば元取れるじゃない。
二日用は3,000円ですと!
どこで買えるのか元町港のお土産売店のお姉さんに訊ねたら、どこやらへ携帯(たぶん私物)かけて聞いてくれました。
バスの車内で買えるそうです。
バスが来たので買いました。
各種施設割引も付いててお得です。多分。

山頂口到着 戻るバスの時刻確認
島入ってバス乗ったの初めてでしたけど、元町から終点山頂口まで乗ったの2人だけでした。
土曜日なのにこんなんでいいのかな。

山頂口のバス停の前は見晴台みたいになってます。
作例つき
朝は天気よさげだったんですが、なんだか雲行き怪しくなってきてたです。
下が元町市街、相模灘ごしに伊豆半島
辛うじて大室山は見えてますが、さっきまで右手にくっきり見えてた富士山は雲の陰。
その雲がまた濃くって、海に影が映るくらい。
ここが前線ですってかんじの明暗くっきり。

ちょっとは悩んだんですけどね、
まあ行けそうなとこまで行って、怪しかったら引き返してこよう、と。
重大な決心や覚悟なんか無いんです。
なんとなく見切り発車の成り行き任せで。
昨秋御嶽山でえらい目遭った人たちも、そんなもんだと思います。
ますます雲行きが怪しくなってまいりました
この「山頂口」ってのは外輪山の剣が峰に位置します。
外輪山は直径3、4km。
内輪山やその内にある火口部へはカルデラに降りてまた登ってくことになります。
片道目安40分。
中途半端に覚悟を決めてエントリー。
なんか荒涼とした溶岩や火山弾に草の生えた砂漠
外輪山から下ってカルデラの平地を歩くうちにパラパラと霰も落ちてきました。
ところどころシェルターなんかもあるんですけど、
今一番イヤなのは雨霰でも噴火でも無く、落雷なんです。
まるで逃げ場無い。
そりゃ噴火もイヤですけどね、こんな至近距離じゃ。
そういや以前三宅島に潜りに行った時もちょうど噴火しちゃいましたし。

カルデラ平原が済んで内輪山の登りに入りました。
落雷だ噴火だ心配しながら歩いてるうちに後方ではもっと大変そうなことが起きてました。
伊豆半島方面に竜巻発生 一本引っ込んで一本伸びてきたとこ
おーっ、地表到達寸前
相模灘はさんで伊豆半島南部、下田のちょっと北あたりでしょうか、
前後の距離感わかんないんで海上かもしれませんが竜巻が数本降りてます。
そっち方面、雲は真っ黒。
三原山上空の灰色の雲が善良に見えるくらい。
これで気が大きくなりました。
登山続行。

内輪山の登りに入りました。
道は簡易舗装してあるんで、普通の靴でも余裕歩けます。
ただ傾斜はきつい。
階段になっててもいいくらい、階段にしても急だろうってとこもあります。

内輪山のお鉢に辿り着くと火口部内ところどころに噴煙みたいの見えてきました。
たぶん500mくらい先

登山路から50mくらい
匂いしないんです、火山っぽい匂いが。
これ、噴煙じゃなくて噴気なんですね、降った雨が炙られて蒸気になっただけの。
冬場は特にはっきり見えるらしいです。

内輪山お鉢の道から内側に入るように「火口見学所」みたいな片道600mくらいのルートがありました。
その「火口見学所」からの眺め
火口の底までは見えないんですが、それなりに見渡せます。
赤いのは酸化鉄でしょうね。地球の腹わた。
ここらへんで標高700mくらいでしょうか、平地から4~5℃低いんでしょう、寒いもん。
で、ここから帰りは別ルートで戻ろうと思ってお鉢を1/4周ほど周ってみたんですけど、
別ルート見当たらない。
一人でおかしなとこ入っておかしなことになっても人騒がせだし。
それ以前に人騒ぐのか? 入山申請もしてないんだし。
外輪山からの往復、十人程度しかすれ違ってないし。
なので渋々登ってきたとこに戻って来た道帰りました。


山頂口バス停裏の建物に「伊豆大島ジオパーク」とかいう展示施設があります。
バスの時間まで2~30分あったし誰もいないようなので覗いてみました。
そしたらガイドだかレンジャーだかのおじさんが一人ひそんでました。
1986年噴火の動画が繰り返し映写される中、色々お話を伺いました。
そのS61噴火で全島避難の際、うちの近所のスポーツセンターにみんな来てた、とか、
その3年前のS58三宅島雄山噴火でもスポーツセンター来てた、とか、
H12 雄山噴火の時はちょうど潜りに行ってた、とか、
ろくでもない話で盛り上がりました。
三原山と雄山の溶岩の質の違い、火山弾の組成、カルデラ生成メカニズムなどなど、
たいへん好きな話を伺ううちあっという間に11:10のバスの時間。

このバス乗ると「大島温泉ホテル」行けるの。日帰り入浴もできるという触れ込みの。
バスもフリーきっぷ買ったから、日帰り入浴でおまけの割引券使えるし。
これで温泉入って食事でもしてから午後適当な時間に岡田なり元町なりに下りて行こうと。
ところが大島温泉ホテル着いたら

「あー、お風呂は13:00からで只今清掃中です」
「お食事は宿泊客と予約の団体様だけで、食堂営業はしてないです」

降りたバス行っちゃったじゃない。
次の元町行き2時間後じゃん。
どーすんのこれ。

しばらくロビーで過ごさせて頂きました、その節は大変お邪魔しました。
土産物売場で絵葉書買おうと思ったけどロクなの無いんで椿柄のクリアファイル買いました。

待つ間に色々見てたら一時間後に「大島公園行き」のバスがあることがわかりました。
とにかくそれ乗ります。
「大島公園」がどこにある何なんだかも知りませんが。

「レインボーライン」とかいうバスに乗ります。
大島バスは道中録音アナウンスで観光ガイドみたいの流れます。
それによると「大島公園」は上野公園の10倍とか日比谷公園の30倍とか、
たいへんなことになってるようです。周る気もしないほど大きいらしい。

近くに椿、遠くに海や島、風光明媚なくねくね山道を下り、「大島公園」とやらに着きました。
なにか鳴ってますけど、取りあえず目の前の「椿資料館」ってとこに入ってみました。
ここの屋内展示、結構地味に良かったです。
スタンプラリーのポイントでもあったし。

「大島一周道路」の向かいには椿まつりのメイン会場「椿プラザ」があります。
いつの間にか団体(十数人)の観光客も来てて、ステージ上ではアンコさんたちが踊ってます。


ステージの周囲には、いくつかの出店があるんですけど、
その場で食べられるもの売ってるのは一軒だけでした。
それもメインはおでん。
ダイコンとタコ頭を食べました。
2点で200円ちょっとだったと思います。
安くなくていいから、もう少しちゃんとしたなにかを食べたかったです。

まだ次の岡田行きのバスまで2時間近くあるんで適当に歩き回ろうと思いました。
動物園好きなんで行こうかとも思いましたが、
逆方向の「椿園」を抜けて「海岸遊歩道」とかいうのでも散策しようと思って、
動物園は今日のところ断念しました。(大失敗)

「椿園」はぼくには退屈でした。
強いて言えば、椿の品種って、お相撲さんの四股名みたいの多いいんだな、と。
白露錦

明石潟
咲いてなかったんであれですけど、春日野、御代栄、沖の浪、錦麒麟…
部屋や出身地が思い浮かぶような名前が多かったです。


で、この後まだバス来るまで1時間半くらいあるし、それまでバス通りに沿ってぶらぶらしようか、
ちょうど都道一周道路の外側に「海岸遊歩道」ってのがあるみたいだぞ、
適当に歩いて都道に戻って「椿トンネル」とやらをくぐったあたりでバス乗ろうか、
サンセットにはまだ早いけど、海沿いのどかに歩きながら新しい鼻歌でも作曲しようか、

とか思って軽はずみに入ったのが大間違い。
死ぬかと思った。

その辺に立ってた案内図たよりに椿園の外苑抜けて適当に海側に行ってみました。
こんなのんきな案内板
「美しい日本の歩きたくなるみち」

途中だんだんと道が怪しくなってくんですけど、その先も続いてるようなんで進みます。
なんとなく歩いてるうちに抜き差しならない状況になってきました。
まだ幅2mくらいはあります
幅員1m切ってきました
戻ろうかな、とも思いました。
このへんで戻れば15分くらいで娑婆に帰れます。
なのにも少し進んでみます。
もうね、道かと思えば沢、行き止まりの壁かと思えば道。
よじ登ったりずり落ちたり、順路も何も見えません。
どこ行ったら出られるんだかわかんない。
ほんとに深刻なとこは写真撮ってるヒマなかったようです。
足元も根っこやら朽木やら横たわるなか火山礫やらゴロゴロ。

案外ぼくの苦手な蜘蛛の巣とかはまるで無くって良かったんですけど、
ときおり藪の中からね、なんか気配ってか物音がするんです。
サイドからの物音にね、足も息も止めて身構えてるスキに頭上をなにかが駆け抜けたり。
鳥とかね、リスとかね、そんなのまだいいんですけど、
明らかにそうじゃない、それなりの大きさの哺乳類の息吹とか唸り声とか。

時間つぶしの軽い散策のつもりだったんですけど。
数時間前に三原山で雷に怯えてたのなんかすっかりどーでもよくなりました。
ごめんなさい、もういいです、勘弁して下さい。

とにかくなんか明るい開けたとこに出ました。
ざっぱーーん

どっぱーーん
 断崖絶壁です。
こう見えて海面から50mはあります。
足踏み外すと岩場に頭打ったり波にさらわれたり2,3回死ねます。
船越英一郎か片平なぎさに助けに来て欲しい場面です。

「この先危険」ってどーしろと
これまでは安全だったのかよ

ここ歩くの? これが遊歩道?

たぶん転げ落ちたら海面まで20秒くらいかかります

右は道 左はあの世
もーやだ。
道なき藪と断崖絶壁の繰り返し。
なにが「遊歩道」だよ、命懸けじゃん。
だいたい1時間くらい彷徨ってんのに誰一人行き会わないし。
ここでなんかあったら一週間くらい放置されんじゃないの?

とりあえず「笠松」というところで中途離脱して都道に戻れるようです。
道も道らしく広くなってきたし、傾斜もゆるいし、娑婆まですぐそこ。
よかったよかった、助かった。

キョン死んでるし!
キョン 腹ワタ出しちゃってるし
もーやだ。
こりごり。

いやね、後から考えたらね、こんなの大したことないんですよ、覚悟してれば。
中学や高校のワンゲル部の新歓ハイクにゃちょうどいいんじゃないですか、
軽くワイルドなフィールドで。
実際そんな危険でも無いし。
強いて言えば一人で入ったの危険だけど。
経験者がリードしてれば、どってことない楽しい風光明媚な散策路ですよ。

でもね、「海岸遊歩道」って名付けは無いわ。
これ新婚旅行で大島来たのが迂闊に入り込んだら離縁問題になりますよ。
今時新婚旅行に大島行く自体が離縁問題ですからいいようなもんの。
軽はずみに入り込むとほんと死活問題です。
たまたま飲み物とか持ってましたからあれですけど、
当然道中に自販機とか一切ありません。
街灯もありませんから、午後遅めに入って日が暮れちゃうと絶望的です。
野犬や野猿やその他の何かに喰われるね。


でね、「笠松」から遊歩道から脱出して少し行った先の「泉津」ってとこにバス停あって、
もう既に一本バスやり過ごしててまだ20分ほど時間あったから
14:00くらいだったから。
バス停前の「武田商店」でコロッケとアメリカンドッグと缶ビール買ってね、
それ齧りながらのバス待ちながらの命からがらをゆるゆる振り返ろうと思ってたらね、
バス来たの。
大島バス、運行前倒ししすぎ。

岡田行きのバスなんで、終点岡田港まで。
予約してた宿入って、
その宿の息子ってのが御神火温泉行くからってんで一緒に連れてってもらって、
帰って晩御飯頂いて、この日はおしまい。

あ、御神火温泉行く途中、サービスということで2013年伊豆大島土砂災害の現場にも連れてってもらいました。
まだまだ惨状の爪痕深く残ってました。
ってかあれだけ大規模広範囲だと、ちょっとやそっとで復旧できないわ、ありゃ。
カメラ持ってってなかったんですけど、写真ならこことかにたくさんあります。


初日だけでこれかよ。
ま、内容は無いんだけど、今回もだらだら長いなあ。
どこだって港の猫って、どうして目つき悪いんだ?




火曜日, 2月 03, 2015

伊豆大島に行ってきた件 1/4 今大島に行くべき理由

あんこ猫
ふと思い立って大島に行ってきました。大島は近くて便利です。軽はずみに行けます。
金曜の15時頃に思い立って、その晩にはもう船に乗ってましたから。
そこで言います、
「大島いいぞ。行くなら今だ。」


今、大島に行くべき理由は大きく3つ、
1.安い
2.空いてるわりに催しはいっぱい
3.暖かい

以上で本論は終わりです。
さあ皆さん伊豆大島へ行きましょう。



さて手短に用件が済んだところで心置きなくだらだらと太字多用で。

1.「安い」ですけど、ほんとに今安いんです。
平成25年台風第26号による土石流被害復興支援みたいな名目で、観光客誘致の宿泊費や交通費の補助が出てます。
ただでさえオフシーズンで宿代等々が若干安いところに、最大一人当たり11,000円くらい出てます。
聞き捨てならない大金です。

具体的にはまず宿代の補助が一人一泊当り3,000円出ます(上限2泊まで)。
なんと子供にも同額出ます。
一棟15,000円のコテージ5人家族で借りたらどうなんですかね、
2泊タダですかね、ほんとですかね。

補助の貰い方は簡単です。
事前申し込みもできるのかもしれませんが、ぼくは現地入ってから手続きしました。
思いつきで行っても余裕間に合います。
滞在中の空いた時間にでも元町港の乗船場(元町バスターミナル)横にある大島観光協会行って、申し込み用紙にちゃちゃっと名前やら住所やら書いて、現住所証明できる身分証明書みたいの示せば「東京都宿泊割引券」て3,000円分の券を人数×宿泊日数分くれます。
都民じゃなくても貰えるみたいです。
都民であっても島内居住者は貰えないみたいです。
モグリじゃない限り、島内すべての宿泊施設で使えるようです。
詳しくはここにpdfでリストあります
宿代の精算時にそれを出すだけで3,000円×人数×泊数さっ引きです。
一応3月30日宿泊分までのキャンペーンですが、交付補助金の総額が決まってるそうなので定数に達したら早期終了もあるようです。

そして交通費にも補助が出てます
東海汽船の場合片道1,500円、航空機利用の場合片道2,500円出てるようです。
ぼくは往復とも東海汽船さるびあ丸2等で行ったので、行きは3,300円でした。
帰りは何故か3,180円でした。行き週末で帰り平日だったからなのかな。
今こんなの出てるの大島だけですよ、新島や三宅島は通常料金なんですから。
行くなら今でしょ。

ちなみにパッケージツアーやネット予約・決済とかだと宿泊補助は受けられません。
なぜなら今出てるツアー料金は補助金折込済みだからです。
じゃらんとか楽天トラベルとかご利用の際はご留意ください。
いずれにしても伊豆大島、只今大変お得になっています。
ウソかもしれないんで正確な情報はこちらのpdfなどでご確認ください。

ね、ここまでで既に往復3,000円~5,000円、一泊当り3,000円、ほぼ無条件で出てるでしょ。

更に、2泊すると4,000円分の旅行券が貰えたらしいです。
抽選とかじゃなく条件満たした応募者全員みたいです。太っ腹です。
行く前うすうす気づいていたんですけど、よく見てなくて、帰ってから見てみたら手遅れでした。
滞在中、毎日1回以上Facebookにレポート入れなきゃいけなかったらしいです。
多摩×島info「島しょレポート」



2.「空いてるわりに催しはいっぱい」ですが、ただいま「第60回 椿まつり」絶賛開催中です。
1月25日(日)~3月22日(日)までです、ってずいぶん長い祭りだな。
ぼくはたまたまメイン会場のアトラクションステージを見てしまいました。
踊るベテランのアンコさんたち
会期中、週末を中心に、マラソン大会、釣大会、「椿の女王コンテスト」、写真コンクール等々催し目白押し、
いよいよ今週末(2月6日)より夜まつりも始まります。
詳しい催し日程については大島観光協会のサイトでも見てください。
こんなのありました
このチラシ、ほぼ同じ内容なのに何故かレイアウトのまったく違う2種類あんですよ。
詳しくは現地でご確認ください。

また椿まつりに合わせて1/25~4/5までスタンプラリーもやってます。
ぼくはスタンプ5つ集めて深層海塩飴もらいました。

なのに今のところ各所すいてるんです。
移動のバスも通学時間に当らなければガラガラ。終点まで貸切状態なんてこともありました。
各施設の見学でも、団体にかち合わなければ学芸員の説明マンツーマン状態。
火山博物館や三原山山頂のジオパークも貸切でした。
大島公園の動物園(入園無料)でも60種350頭のキャストたちがあなただけをお待ちしています。

なんでそんな空いてんのかってと、たぶんどうせ大島ったってまだ寒いだろ、って思われてるんでしょうね。
そこで3.暖かいですよ。
観測の数字だけ見ると大手町より3~5℃程度高い、たかが知れてると思うでしょうが、
これが結構違う、と思います。同日同時刻に両方いたわけじゃないんで。
暖流ってのはすごいですね、帰りの船でも城ヶ島かわして東京湾外湾入ったとたんに冷え込みました。
朝のうちは帽子と手袋して歩いてましたけど、お昼近くにはもう不要、 暑すぎず寒すぎず、日中の散歩にちょうどいいくらいでした。

ゴルフなんかにもちょうどいいんじゃないですかね。
大島ゴルフクラブは道具も貸してるので手ぶらで行って思いつきでゴルフ行けたりします。

もちろん釣りもできます。
そこいらじゅうで貸し竿ありますから、その辺の磯やら岸壁でいつでもできます。
事前に頼んどけば乗り合いや仕立ても当然あります。
今の時期沖ではキンメ、磯でメジナ、岸壁からヤリイカなんかが釣れるそうです。
釣った魚どうすんでしょうね。

椿はそこいらじゅうで咲いてます。
11月から3月頃まで、特にピークとか満開時期とかなくだらだらと咲いてるそうです。


ま、とにかく暖かくて催しや見どころがいっぱいあって空いてて安い。
そして近い。
いずれ行くつもりなら今行っちゃうのがいいですよ、気に入ったらまたすぐ行けるんだし。


明日以降、行ってなにしてたか、島内、往還道中でのちょっとしたTipsなんか
だらだら書くつもりです、きっと。



土曜日, 1月 10, 2015

「地球の自転速度は徐々に遅くなっている」という誤解

今年、世界標準時における6月30日23時59分59秒のあとに 23時59分60秒を挿入する、
いわゆる「うるう秒」の実施が決定しました。
日本時間では7月1日に“8時59分60秒”が挿入されることになります。

「なんだ、またかよ」
「うるう秒って挿入ばかりで削除操作されたことないよな」
「地球の自転速度がだんだん落ちてってる証拠」
「だんだん一日が長くなってくのかー」
「そのうち自転止まるかもね」

それたぶん誤解です。

さっき小学生新聞の記者さんもこうつぶやいてました。
https://twitter.com/tomo_asagaku/status/553791244569022465
百年間で一日あたり二ミリ秒(千分の二秒)のペースで遅くなります。


わかりやすく簡略化して表現したんでしょうが、
なんか "2ms/d/100y" みたいなのもムズムズきます。
誤解を招きやすい表現です。
「この百年で… …遅くなりました。」と書くべきでしょう。
ここんとこを国立天文台ではこう説明しています。
19世紀の約100年間の地球の自転による1日の長さの平均が24時間に等しくなるように定められましたが、1990年頃には、地球は24時間より約2ミリ秒(1ミリ秒は1秒の1000分の1)長くかかって1回転しています。1回転にかかる時間が100年間で2ミリ秒長くなっていることになりますので、もしもこの割合がこれからもずっと続くと考えると、5万年で1秒、1億8千万年で1時間長くなることになります。このことはつまり、1億8千万年後には、1日の長さが25時間になってしまうということを意味しています。(国立天文台 よくある質問 「1日の長さは変化しているの?」)  
このままでは一日の長さはどんどん長くなっていくんじゃないの?
どんどんマイナス加速度ついて今の一日86400秒が百年後には87000秒くらいになって、
そのうち自転止まんじゃないの? しまいに逆回転し始めたりして、お日様西から昇るの?

西から昇りません。止まりません。たぶん。


この節は読み飛ばしてかまいません。
1967年に「1秒とは基底状態の二つのセシウム133原子の超微細準位の間の遷移に対応する 放射の周期の9,192,631,770倍の継続時間」という定義が決まりました。
よく見かけますね、さっぱり意味わかんなくっても大丈夫です。
でその精密な時間を元に1820年からの観測結果など遡って分析した結果、1967年までの147年間に自転一回転にかかる時間は0.002秒ほど長くなっていた、ということが判ってきました。
この精密な1秒の定義をコヨミにも繰り込もうというのは最初からの目論見でもあったので、
1970年に国際原子時(TAI: Temps Atomique International)を導入する時にも
「将来的にTAIと暦表時(ET: Ephemeris Time)にズレが出たらETに合わせるようにTAIの方で1秒出し入れすればいんじゃね?」ってことで成り行き任せの見切り発車でスタートしました。
運用・観測の結果さっそく1972年には最初のうるう秒が実施されます。
この年の観測で天文学的一日(ET)は、TAIでいうところの 86400.003秒あったのです。



このままどんどん地球の自転は遅くなっていくんじゃないのか、という議論があったのは確かです、
40年以上前の当時。
やれ大気の摩擦が、やれ潮汐が、やれ相対論的効果の過小評価が、等々。
いや科学的議論というか世間的話題だったんですけど。
時間やコヨミ決めた科学者さんたちは、そもそもETとTAIには差異があるだろうさってのは織り込み済みだったわけで。
通俗的科学風読み物の世界ではしょっちゅう扱われ、その世界では通説のような振る舞いを見せていました。

「なに、その72年の第一回うるう秒から今日まで25回、すべて挿入だったじゃないか」
「そうだそうだ、一度たりとも秒の削除は無かったぞ」
「地球の自転速度が年々落ちてる何よりの証左だ」


ここに一日で2秒ススむ時計があったとします。
毎月一度は1分戻してやります。
そうしないと実際の時間のズレはだんだん溜まり、5年後には1時間もススんでることになります。
でもとっても正確な誤差を持つ時計なので10年経っても20年経っても一日に2秒ススみました。
時計の針の回転速度が年々加速してったわけでもないので、相変わらず月に1分戻されます。
この時計、もしだんだんススみが落ちてきたらどうなるでしょう?
30年後、一日に1秒のススみになっていたら、二カ月に1分戻してやればいいことになります。
でも戻すだけでススめる必要はまだ無いでしょう。

実際の1972年に最初のうるう秒を挿入してからの実施回数を10年ごとに見てみます。
1972-81年まで、11回挿入
1982-91年まで、 6回挿入
1992-01年まで、 6回挿入
2002-11年まで、 2回挿入
2012年に1回、今年は3年ぶりの挿入実施です。
だんだん回数は減っているのです。
ざっくり言うと70年代に比べて自転速度は早まっているのです!


先に引用した国立天文台のQ&Aもあの後こう続きます。
しかし、この割合でずっと地球の自転が遅くなり続けるのかどうかはわかりません。現に、2003年現在、地球の自転を観測すると、地球は24時間より約1ミリ秒長くかかって1回転しています。1990年のころと比べると、地球の自転速度は、むしろやや速くなっているのです。


緑の線が ET-TAI, 天文学的1日マイナスTAIの86400秒
上の図は実際の一日の長さとTAI86400秒との差(グレー)、その年平均(緑)、その差の累積(赤)、うるう秒を挿入したタイミング(赤ツブ)です。

非常にフラクタルといいますか、この上がったり下がったりしてる緑の線も今後長期的な波がどうなるのかは判りかねますが、とりあえずこの半世紀くらいの間では増減しながらTAIに近づきつつあります。
72年頃をピークに15年ほど減り(自転は早まり)、6年ほど増え(遅くなり)、10年ほど減り、3年ほど増え、なんだか横ばいになり…
だんだん借りを返してるようです。


さて、このうるう秒ですが、時間や暦を扱うそれぞれの立場で是非が異なります。

 天文学者: 天体の動きを正確に記述するには0.5秒以上の誤差は許せぬ
 軍事・宇宙開発: 飛ばしちゃった宇宙探査機とかGPSの調整とか面倒くせえよ
 物理学者: 静止座標系における時間の長さは絶対不変じゃ

とかなんとか、それぞれの立ち位置、力関係で国ごとにも賛否はわかれます。
米国やその科学的同盟国である日本あたりは
「どーせそのうちTAIに近いあたりに収束すんだろからほっといてもよくね?」
といったところでしょうか。
なんにせよとりあえず今年の実施は決定しました。


ついでにいうと4年に一度うるう日を入れ続けてるからって、
公転周期が落ちてるわけじゃないんです。
最初っからそうゆうもんなんです。
一年の日数なんて公転周期を自転周期で割っただけなんですから半端出て当たり前なんです。


とにかくそうゆうことです。
地球の自転速度は心配しなくちゃならないほど落ちてませんし、
一日の長さも伸びてませんから、寝坊の言い訳には使えません。
当日1時間目の授業が1秒長くなるだけです。


日曜日, 12月 21, 2014

伝河原崎藤九郎譚



文化文政期に人気を誇った歌舞伎役者のご存知河原崎藤九郎、
「○○屋の御曹司」とかの箔も無く、一介の野良部屋子の出でありながら、
大変な労苦や研鑽を積んで見事大看板に成り果せた。

その大成功を見た実兄の藤四郎、羨んで妬んで
「ナニ弟の藤九郎に出来るもの、俺ならもっとヤッて見せるわ」
とばかりに梨園に潜り込むも、坊ちゃん育ち、
苦労知らずで付け焼刃の芋大根、
弟の七光りで役は貰えるものの大向こうには大顰蹙。

賢弟愚兄の見本とばかりの藤四郎・藤九郎兄弟の逸話が語り継がれるうちに
楽屋言葉で引っくり返ったのが「素人・玄人」の語源です、
ってウソ思いついたんだけど、どっかの辞典で採用してくんないかなぁ。

金曜日, 10月 03, 2014

歩きに秋田に行った話 6/6

スタルヒンの墓参り (8月13日分)

秋田シリーズ堂々の完結篇、長かったな~、
今日もまだまだ長いけど。
1エントリに写真70枚くらいあるらしいですよ。ちょっとしたブラクラ。パケ殺し。


今日は十文字から雄物川町まで歩きます。
11日の道中は、ろくに歩道も無いとこにクルマの通行が多くてとにかく辟易しましたが、
今日はたぶんルート的にクルマ少ないんじゃないかと期待してます。
歩道あるとこも少ないだろうけど。

出立は9時半でした
このあと郵便局行って要らないもの送ったりしてたから、実際の出発はもう少しあと。
いちおう今日も「丸竹食堂」の前通ってみましたけど、店開ける気ゼロ。
十文字3日泊まって結局十文字中華そば食べれずじまい。

なんかいきなりいい感じの建ってますね
富澤公民會館

なんだろう、これって思って20秒くらいみつめてました
「ととのいましたー ふるさとの恵み」

なんか奥の方にまたすっごい球場みたいの見えますよ
Field of dreams ですか

「死亡獣蓄保冷施設」
そんなのあるんですねぇ
歩くこと約1時間、浅舞公園ってとこに着きました。
立派な土俵

立派な土俵の向こうに立派な球場を遠望
すごい相撲場持ってますね、人の気配まるで無いですけど。
遠くに見える球場もちょっと行ってみようかなとも思いましたが、よしました。
近くに見えて遠いんですよ、あーゆうもんは。
平鹿野球場、両翼100m、中堅122m、収容客数約10,000人ですって。
すごいなー、この辺歩いてる人もいないけど。
ま、国体用に作ったってんですから大いに結構です、僻む気ありません。

相撲場の方は十文字にもあったらしいです。
でも横手市のサイトにはこっちの平鹿相撲場が県内随一って書いてあるからそうなんでしょう。

この公園で巡業できるよね。
近くに屋外ステージもあったから「お楽しみ歌くらべ」もできるよ。
キャンプサイトに宿舎作れるし、山稽古もし放題。

この公園
昭和48年から昭和55年 第一期 事業費1億3900万円 「あやめ園」「和風庭園」整備
昭和56年から昭和59年 第二期 事業費1億3900万円 池と滝、園路、休憩施設を整備
平成2年から平成4年 第三期 過疎活性化対策事業費3億1500万円 「あやめ園」滝を整備
ですって。
そろそろ僻みましょうか、さいわい誰もいないし。


なんかおもしろ看板立ってますよ。
直進↑ 忠義な猫の碑

☞ 忠義な猫の碑
お寺の鐘楼みたいな東屋の中で小学生がゲームやってたんで聞きました。

「そこの木の陰のです」って。

これか!
碑文 ってか立て札文
平鹿郡浅舞村(現横手市平鹿町浅舞)の伊勢多右衛門(1833~1914年)は慈善家として知られた。凶作などの時、困窮した民衆を救うため感恩講を組織し、倉庫に米を備蓄した。また人々に憩いの場を提供するため私財を投じて浅舞公園の工事にかかった。だが野ねずみが大量に発生し、倉庫の米を食いあさり、公園の樹木や側溝、堤などまで破損させた。多右衛門は深く憂いた。すると多右衛門が飼っているメス猫が、主人の願いをくんでねずみを退治した。1907年(明治40年)2月15日、猫は13歳で亡くなるまで、日夜ねずみ退治に明け暮れた。こうして民衆の命を守る感恩講の米は守られ、浅舞公園も完成した。多右衛門は、世にまれな、この忠義な猫の功績を後世に末永く伝えたくて、ここに碑を建立したのだった。
                平成23年 5月20日 寄稿 : 小学校教諭 梁瀬 均
ほーそーですか。
市では動画も製作してるみたいですね、あるんだか無いんだか再生始まらないけど。

猫がネズミ捕ってたってだけの話じゃんよ。
アレだ、大館生まれの犬が東京行って忠犬ってもてはやされて像の前に人集まってるって、
口惜しいからこっちは忠猫で人集めてやれ、って。
集まっちゃいませんが。

こりゃ集まらんわ
なかなか立派な神社です。
お参りしときました。八幡様だそうです。

浅舞八幡神社


浅舞市街入りましたがカラー節約

ありました!
新発売 忠義な猫の招福猫サブレー

立派な切妻物件あったんで撮ったんですけど
一軒おいた隣、「元祖 長まんじゅう」って看板が

よくよく見ると、その三軒先にも「長まんじゅう」
浅舞ってか平鹿の名物だそうですよ、長まんじゅう。


浅舞には酒蔵2軒あるって聞いたんで、
ちょっと行ってみようかな、試飲してあれだったら買って帰ろうかなとか、
地図見て行きやすそうな「浅舞酒造」っての行ってみたら、こんな感じ。
浅舞酒造
ダメだこりゃって思ったら、こっち側は裏だったんですって、後でわかった。失敬。

このへんで11時半くらい、そろそろなんか食べとこうかな、店屋も開いたろうし、
この先ほとんど町らしい町無さそうだし、また食いっぱぐれるといけないし、
って探したんですけどどこもやってない水曜日の11時半。

「ふじた」 やってません
分かれ道に来ました。
新平川バス待合所
羽後交通のバス停もあります。
この辺のお地蔵さんって、みんな律儀に6体セットですね。

左:蛭野、右:大雄・高口 ってなってるので、ぼくは左に進みます。


この辺から左手の田んぼから、鳥が飛び立っちゃ行く手に降りるんですよ、たぶんアオサギ。
で歩いてくとまた飛び立つ。
逃げるんなら戻ればいいのに。それとも道案内ですか、導かれてるんですか、ぼくは。

でそっち方面の先の山のそのまた先、雲の下にでっかい山が見える。
たぶん出羽富士こと鳥海山。
ちゃんと写せた写真ないんでアレですけど、なんかいーなぁと。
山の向こうにもまだ山があるんだ、いつか行ってみてやる、とか、
昔の人は思ったんでしょう。ぼくは思いませんけど。

奥さん、それたぶんサギです

なんかキュートな養豚場の看板


でね、突然このへんから道ばたに石碑が乱立してるです。
「耕心養国 秋田県知事 佐々木喜久治」


逆光でなんだかわかんないですけど
たぶん「五穀豊穣」かと

「天時雨澤 秋田県知事 佐々木喜久治」

どのくらい乱立してるかってとですね、
下の写真、左の木のとこが「五穀豊穣」、右の電柱の間が「天時雨澤」
その前の「耕心養国」から5分も無いようなとこに向かい合ってます。
横手市平鹿町浅舞字大樋とかのあたりです。

 左が「五穀豊穣」、右のが「天時雨澤」 

歩いて10分もしないうちに3連発。
誰も通ってないようなとこに。

なんか気になってググると、この先々代かなんかの知事 佐々木喜久治って人、
そこいらじゅうに石碑残してるみたいです。
盆地の農地だけじゃなく山の方のダムとかにも。
よかったですね、死んじゃっても方々に名前残せて。


遠目で「ビバ!花畑」って書いてあんのかと思ったら
「ヒルノ花畑」でした

幾つ目でしたっけ、床屋の廃墟。
床屋廃墟@蛭野
物流革命で地方の零細、壊滅してますもんね。
きっとこの辺の人はAmazonでアタマ刈るようになりましたかね。

分かれ道の家の玄関先に いきなり墓場

地蔵堂
ほんときっちり六地蔵そろえるよなー

おや、また地蔵堂ですか

たぶん大中嶋から上中野の間だったんじゃないかと思います。
松の木陰にまた地蔵堂、と思ったらなんか様子が違う。

わら人形立ってるし

夫婦っぽいですね
なんだかよくわかんないけど、写真撮っといたんです。
で、後述の「雄物川郷土資料館」のお姉さんにこれ見せて聞いたら、

「あーそれカシマサマですねー」 って。

詳細はたぶん後述。


また道ばたに墓
なんで道ばたに墓立てるの? 石碑建てるの?
ここなんか神社の鳥居前じゃん。


とかとか思いながらひと気の無い道を歩いてると、沿道から視線の気配が。

なんかいる

飛び出しぼうやだー
ってかオマエずるくね?
やっぱ道ばた、なんか突然建ってるし。

「菊池金八郎」だそうです
「菊池金八郎」、なんか岩手の亀ヶ森村々長に同名の人いますね。
その人でしょうか。
よく見ると、脳天から口端にかけてヒビ入ってます。
大槻ケンジの元祖でしょうか。


ふと空を見上げたら、雲の形になんとなくデジャヴゥ。
いかん、ピントが無限遠までいかない
カメラ叩いたら治ったけど、今度は陸が写ってなかった
なんだこれは。
見上げるかんじの角度とかインパクトとか、そうだアレだ。


ほぼ雄物川町にはいりました。
入って最初の建物は沼館保育園でした。
ぼくは会塚という集落方向からテクテク歩いてきたので、こっちから入りましたが、
普通雄物川町には別の方面から入ります。

後から知ったのですが、この沼館保育園を昭和19年に創設したのは
当時の崇念寺住職の高橋義雄という人で、設立時は現在地ではなく崇念寺境内にありました。
この人は明治の終わりに洋画家を目指してヨーロッパを目指し出立、
行きは日本人の嫁を連れて行ったはずが帰りはなぜかロシア人の嫁を連れて帰ってきた人です。
そのロシア人嫁との間に産まれた息子は現在の崇念寺の住職をしています。
娘は後に神田ニコライ堂で大柄なロシア人と出会い結婚しました。
たぶん後述。

今、目の前に見えてる気がする田んぼは遺跡なの?

木戸五郎兵衛村入り口
田んぼを抜けて辿り着いたのは、なぜか木戸五郎兵衛村の裏でした。
明治-大正期の民家・農家を4,5軒ほど移築保存してある公園なんですが、
こーゆうのは外面だけ見ててもしょうがないんだ。中に入れないと意味無い。
だってどうかするとその辺の集落に同時期の建物が現役で残ってるんだし。
中まで入れるようにするとなると入場料収入だけでは維持管理できないんだろうけど、
屋外保存だけだってカネかかるんだし。
そもそも町外れの県道バイパス沿いに唐突に建てたって誰も来ないし。
それ以前に雄物川町自体、観光客なんてほぼ来ないんじゃない。


いよいよ町に入りました。
雄物川町沼館というところです。
後三年の役の合戦もあった古戦場です。
ちなみに近くにはJR東「後三年」の駅もあります。ほんの12kmほど東に。
横手市ですらない、仙北郡美郷町です。華王錦の産地です。



ご利益いっぱいうれしいな

またなんかわかんない史跡が出てきました。


市川團之丞の墓所、だそうです。
「鎌輪ぬ」の七代目團十郎の門下で「岡本新内」(岡本派新内とは別らしい)を創始した人、
みたいです。


さてこの辺で13時半頃、そろそろなんか食べなきゃいけません。
今日も結局朝からなんにも食べてません。
町に入ってすぐの食堂、やってません。
お盆だから仕方無いです。
おでん屋あったけどやってません。その後5時頃開いて焼鳥焼いてましたが。
お寿司屋、もうこれでいいや、盆地の奥の山辺の街の寿司、案外いいかも、
やってませんでした。
そのすし屋の脇から出てきたオバちゃんに聞いたら
「あら、じゃあ薬局の隣のタキザワ食堂行ってごらんなさい。ここら開いてるとこ他には無いから。」
ってんで行ったら薬局2軒もあったけど食堂見当たりません。
開いてる方の薬局に入って聞いたら、
「あ、そこ。隣。やってるかなぁ、さっきまではやってたけど。」
薬局と薬局の間の店、 言われてみれば食堂のように見えましたけど、もちろん終わってました。
8月13日(水)14時前の話。




もういい。いったん食事は諦める。
本日の目的地といえば目的地、スタルヒンの墓に向かいます、って滝沢食堂から2分で到着。

崇念寺の入り口
「スタルヒンの墓」ってバナー立ってます

お寺入るなり迷うことなく発見

「栄光の名投手 ヴィクトル・スタルヒンの墓」
1916-1957
「栄光の名投手」って言いますが、ぼくの中ではどっちかってと「悲劇の名投手」、
あるいは「歴史と二国間の関係に翻弄されたアレ」ってな位置付けです。


なんか綺麗ごとばかり書いてありますが、たいへんアレな生涯だったと思います。

ヴィクトル・スタルヒンは1916年、エカテリンブルクの北100km余のニージニ・タギル生まれです。
翌年いきなりロシア革命勃発。
親族に帝室付武官がいたが故に一家はボリシェヴィキに迫害され、東へ東へと落ち延びます。
大陸からはみ出しサハリンへ、ついには北海道旭川まで至り、
ここで一家がつかの間平安の地を得たのが1925年のこと。
なにぶんほんの20年ほど前に日本はロシアを負かしましたから敗戦国の一家です。
それでも当時の日本、北海道は度量があった。
非公式亡命で無国籍だったヴィクトル少年をなにも言わずに小学校・中学校と受け入れました。
でも敗戦国から亡命してきた子、学校ではイジられキャラだったそうです。
それでもいつもニコニコ受け流し、みんなの後ろを嬉しそうについていく子だったと。

ざっくり琴欧洲イメージしてもらえればいいかと。ぼくはそうしてます。

そしてその間両親はロシアパンを焼いて売ったりして生計を営みました。
ヴィクトル少年も授業が終わればすぐに売れ残りのパンを持って近所を売り歩きました。
街中を回り終えると、同級生らがいる河川敷に回ります。
同級生たちは野球にこうじています。
ヴィクトルはルールもわからず、それでもニコニコ見ていました。
同級生たちはお腹が空くとヴィクトルくんちのパンを買って齧ります。
そのうち、「お前、ガタイいいんだから、ちょっと打ってみろ、投げてみろ」となります。
たぶんね、たぶんだけど、クリチコ兄弟とか、ヒョードルとか、大鵬父とか、ヴィクトル古賀とか、
そんなコサックの血が流れてたんじゃないかと、たぶん。
いきなり途轍もない身体能力を炸裂しちゃったわけです。
それからルール習って基礎練習して、旧制中学入る頃にはいっぱしの野球選手だったと。

後年ですが留萌で野球覚えて旭川に移った北の富士をイメージ、しなくていいです。

ところで両親の商売はそのうち軌道に乗って、一軒のミルクホールを構えます。
たしか常磐公園近くのあのロータリーの近く、ずいぶん以前に跡地の銘版を見た気がします。
支店みたいなカフェーも増やしてたんじゃなかったかな。
そこで大事件が起こった、と。 ほんとに起きたのかでっち上げだったのか、
今となっては誰にもわかりませんが。
ヴィクトルの父、コンスタンチン・スタルヒンが従業員を殺した、と。
ロクな裁判も無いまま、無国籍人の父は獄門につきます。
残ったスタルヒン母子は、どうかするとボリシェビキ待ち受けるソヴィエト連邦に強制送還です。
当時日米野球で連戦連敗の苦杯を舐めていた中央球界の、
警察官僚上りの正力松太郎らによる嵌め手であったとも言います。
職業野球からの誘いを断り続け、旧制旭川中学でトモダチと一緒に甲子園に行き、
早稲田への進学を夢見ていたヴィクトル少年の人生の舵はここで大きく切り替わりました。

「そつぎょうまで プロには ぜったい いかない☆ みんなで コーシエンに いこ☆」

その約束を守れず、誰にも告げず、スタルヒン母子は人目を忍んで夜汽車の席に着きました。
着の身着のまま夜逃げ同然、ロクに荷物もなく、
ただ膝の上に握り締めた友達から貰った木彫りの熊に、ボタボタとヴィクトルの涙が落ちました。

そして日米野球日本チームに帯同、
そのまま大日本東京野球倶楽部(2年後の東京巨人軍)に入団、
その後の活躍は輝かしい碑銘の通りです。

戦時中に敵性国人名から「須田博」への強制改名、軽井沢への隔離収容など、
強引な引き抜きの割りに巨人軍からの庇護は冷ややかだったようです。
巨人軍への忠誠なんか無かったんでしょう。
ただその巨人軍入団直後の監督、藤本定義には良くしてもらい恩義を感じていたようです。
戦後再開したプロ野球でもパシフィック、太陽ロビンス、金星スターズと藤本に着いてきます。
その頃も登板のたび、ベンチには必ず例の「木彫りの熊」を携えてきていたと。

そして1957年のオフ、おりしも東京都内で行われた旧制旭川中学OB会の当日に、
その会場に向かうまさにその時に「謎の死」を遂げます。

旭川時代のヴィクトル少年
没後、荼毘に付したお骨は生前ほとんど縁の無い雄物川町の
ヨメの実家であるここ崇念寺に弔われた、と。

はぁ~良かった、雄物川町の話に戻ってこれた。

このヨメの出自と馴れ初め、その父である先代崇念寺住職高橋義雄氏の波乱の人生なんかについては、やってるとキリがないんで割愛。


さて、墓前に来てみたものの、供える線香もございません、店やってねんだから。
で、ひと気の無い本堂脇のインタホン鳴らして人呼び出して聞いたらジジイ出てきて
「あー、お線香なら本堂にあるの持ってってくださいね」
って言われちゃって、仕方ないから本堂上がって一束もらって、
うーん、こーゆうの相場判んないんだよなー。
ウチの墓参り行く時、100円とか書いてあるとこ二束で千円とか五千円とか置くもんなー、
とか悩みながら置いたのが200円。

ヴィクトルとその夫人ターニャ久仁恵スタルヒンの墓碑銘
建立した娘のナターシャさんは現在美容コンサルかなんかしてます

お線香をあげ、帰ろうとしたところ、さっきのジジイに呼び止められました。
ジジイの正体は、ヴィクトルのヨメの弟である現御住職の高橋大我様でありました。
いろいろ資料を頂き、お話を伺いました。
去年ロシアから撮影チームがやってきて、スタルヒンの伝記映画が製作されているそうです。
そろそろ完成して今年中には日本でも公開されるかも、と。
スタルヒンの愛娘ナターシャさんがその辺コーディネートしてるそうです。
そんな話の中、
「ところで例の"木彫りの熊"は、今どこかにあるんでしょうか?」
と訊いたところ、
「さぁ~、聞いたことありませんねぇ」 だって。
撤収。
本堂の左の突き当たりね
街に戻りますが、することありません。
バスの時間まで2時間以上あるみたいだし。(後で気付いたけど快速バスがもっと前にあった)
ってか何でもいいです、何か食べたいです。


また床屋の廃墟だよ

「女ズン」ってなに?
こっちじゃそうゆう何かがあんの?

佐々運酒店、開いてた、助かった
外見新らし目だけど中は古い店
なんかないのかって街の地図見たら、デイリーヤマザキあんじゃん!ストリートビューにも載ってる
おにぎりでもサンドイッチでもいいや、なんかあるでしょ、助かったー
けど廃墟でした。


食いっぱぐれたままトボトボと雄物川町郷土資料館とやら入って時間つぶし。
市の紹介文では
雄物川郷土資料館は、県指定の玉類をはじめ、歴史・考古・美術・民俗・自然の各分野にわたって展示を行っている資料館であり、横手市内の資料館施設の中心施設に位置づけられています。
ってなってますけど、またとりとめも節操も無い市民の物置みたいですね。
「各分野にわたって」って物は言い様ですね。

ところが驚いた、奥入って展示眺めるうち、こりゃ大変だぞ、と。

火焔土器
レプリカとかじゃなく実物

火焔土器、部分ならゴロゴロある

遮光器土偶も部分なら現物がある

遮光器土偶、
部分だけど、むしろ両足揃いは珍品かも

石鏃、土産物屋みたいにある
この写真、開架展示してるうちのほんの一部

石匙、石箆もいくらでもある
さらっと岩偶も

このへんってか東北一帯たしかかに縄文遺跡ゴロゴロあるんだ。
で平安期末の戦乱の舞台になった以降はコレといって何事も無く田畑だったんで、
掘ればいくらでも歴史が重層になって出てくる。
特にこのエリアは後三年の役の古戦場だったんで、いろんなもんが出てくる。
とはいえ出過ぎ、並べ過ぎ。


入館料100円だったし、もーこの時点で元は取ってた。
でもまだ終わらない。
横庄線の遺物とかもろもろあったんだけど飛ばす。

浅舞八幡様のご加護かスタルヒン供養の御利益か、
ここで若瀬川登場。

若瀬川栄蔵(1903-1990)の化粧まわし他
この資料館から5kmほど南の雄物川町西野出身の若瀬川栄藏の遺品数々。
Wikipediaに書いてないようだから補足しとくけど、この人も本名は佐藤さん。
先年の桐山部屋の閉鎖で絶えた「○瀬川」の始祖。
ちょっと嘘。その前にいた清瀬川敬之助の手引きで角力入りしたんだから。
清瀬川が旧伊勢ヶ濱部屋を興して以降、
照國、清國、幡瀬川、と横手湯沢のいわゆる秋田県南部伊勢ヶ濱勢の台頭があった。
その一時代を担ったのが、この初代若瀬川。
「清瀬川」とか「若瀬川」って川は無いんだよな、たぶん。
「皆瀬川」とか「成瀬川」って川はあるよ、この辺。
みんなまとまって「雄物川」になる元の川。
あーあと「瀬川」って苗字はやたら目立つ。

とにかく忘れてた。ここで見るまで「秋田の○瀬川」の件。

前の写真のケース、裏に明荷とか稽古廻しとかあんだけど
隙間に首突っ込まないと見えない展示

化粧廻し着用の写真だ
「秋田縣有志」贈なんだな

「二十四代式守伊之助」の銘が添えられた御幣
同じケースに、土俵祭や部屋の稽古場にあるような御幣も入ってた。
謂われも箱書きもなく、ただ「大和谷長右衛門氏寄贈」とだけあったんで、よくわからないけど、
二十四代伊之助は旧伊勢ヶ濱一門の朝日山部屋の人、
こないだまでいた正直(まさなお)の師匠だから、なんかその辺の繋がりかしら。



さて、別室が民俗系というか、農具民具関係のガラクタ集めた部屋があって、
そこで居酒屋の船盛りに使うような舟形の上に無造作に一対の藁人形が置いてあって、
ん?これさっき見たぞ、って思いましたよ。
で、券売兼もぎり兼案内兼監視兼学芸員みたいな、
要するに館内唯一の職員みたいなお姉さんにさっき撮った写真見せて訊きました。

「あーこれカシマサマですね」
「集落の入り口に置くんですよ。災厄や疫病が入り込まないように」

あとからジワジワきました。
「そうか、カシマサマ」なのか、と。

ぼくが道中見かけたカシマサマは30cmかそこらのかわいらしい夫婦でした。
大きいのは大きいらしいです。4~5mもあるとか。往年の「大魔神」みたいに猛々しいお姿で。

でも立ってるだけなんですよね。
強制力をもって異者を阻止したり排除したりするわけじゃない。
入りたければ入ってもいいけど、何も置かず何も取らずに出て行ってくれ、的な。
なんとなくこの数日感じてた秋田人の気概というかなんか。
ぼくはこれを「こころのカシマサマ」と名付け、この後は心に留めてじんわり楽しみました。

ほっといてくれていいから。
押し売り要らないから。
要るものあったら自分たちで獲得してくるから。
ちゃんとやってるから大丈夫。

なんか秋田の人たちのよく掲げる「自主・自立、共働・共助」の精神を涵養している原点というか。
秋田を秋田たらしめ、秋田の魅力を醸すのは、この精神性ではないかと。
これからも秋田の人たちには末永く「こころのカシマサマ」を大切にして頂きたい、
と思いました。いやほんとに。



まだバスの時間までたっぷりあったので空腹がなんとかならんかと町の人に聞いたら、
マックスバリューがあるというじゃないですか。先に教えてくれよ。
行けばきっと弁当・惣菜なんかしらあるだろうと駆け込みました。
入るなり、レジから駐車場へ続々と、寿司やら刺盛りやらオードブルやらカートに山盛りしたお客さんが出てきます、よしっ。
ところが弁当・惣菜売場は臨時編成で、本日はすべて予約販売だそうです。
お盆に集まる親族を迎える支度で街中てんてこまいみたいです。
なんとかヤマザキのカレーパンとトップバリュの麦茶売ってもらえました。

思えば秋田入って最初の食事もラッキーのピザと唐揚げでした。



その頃、17時近くになってましたけど、
それまでクルマばかりで歩いている人なんかほとんど見なかった雄物川の町に、
やたらと歩行者が、それも集団で現れだしました。
みんな手に手に水桶や花束を持っています。
家名の入った提灯持った人もいます。
どうやら一通り集まったので揃ってお墓参りタイムのようです。
ひとりぽつねんとカレーパン齧りながらバスを待つほんの10分ほどの間にも、
何組もの一族が通って行きました。

横手駅行きのバス着たので乗りました。またしても乗客はぼく一人です。

安全鉄則 まんづ止まれ
そういや横手駅に向かうバスの車窓からも1mくらいのカシマサマ見ました。
運転手さんに聞いたら、
「まだまだ大きいのもありますよー」
「え、この道筋にありますか?」
「いやー、この路線には今ので終わり」


その間にも乗客は乗ってきたと思えばすぐに降り、道中のほとんどはぼく一人でした。
そりゃそーだ
こんな朝1本、夕に2本のバスなんて誰が乗るもんか
面白いんで運転中の運転士にみだりに話しかけてみました。
道路運送法第二十八条の1違反です。

「またずいぶんゾロゾロと墓参りが歩いてますねえ、みんなこの時間行くんですか?」
「うーん、集落によっても違うんじゃないかな、ウチは昼に済ませたなあ」
「こんなに人が道歩いてることってあるんですか?」
「うーん、一年で一番運転気を使う日かもしれませんねえ」

横手駅に近づいてからは、同じ道を別系統のバスも通るんでしょう、いくらか乗ってきました。


横手駅到着。
予約してた駅前のホテルにチェックイン。
なんだこのホテルは。半分廃墟。
入り口の軽食ラウンジは営業してない。
フロントは呼ばないと人が出てこない。
エレベーターは1基を残し停止。
部屋のエアコンはオンとオフしかない。
Wi-Fi完備とかって使えるのはフロント前のどっかから拾ってきたような応接セットの場所のみ。
その他もろもろ。


シャワー浴びて外に出ました。
横手駅周辺ぐるっと一回りしたけど、ほとんど店やってません。
バスターミナルと一体化したユニオンという複合商業施設があるわけですが、
その中の秋田銀行と北都銀行のATMがあっておカネ下ろせた。
これは助かった。でも日本円使える店が無い。
ユニオン内も上部階はほとんど空き店舗のようですが、
1階にはアックスとかいうスーパーが入ってました。
なんかあるかと入店。19時前ですが蛍の光が鳴ってました。
こりゃまた秋田最後の晩餐は駅のNEWDAYSですか、と思ったところで、
七兵衛という店が開いてました。
他に店が無いからか、たいそうな混みっぷりでしたが、
こういうときは一人の強み、カウンターになんとか入り込めました。

売りはいろいろあったようですが、
その中からとりあえず「比内地鶏の焼鳥盛り合わせ」と
「当店手作りの えご」というものを頼んでみました。

これがその「えご」
干した海藻を磨り下ろして戻して作ったコンニャクのようなものの刺身。
海藻の風味が利いてて美味しかったです。


後ろの小上りに10人くらいの団体がいたんですが、
二十、三十代の男女ほとんどにオジサンが一人。
地元の話をしてるようで、みんな標準語。
なんかのついでに訊いてみたら、地元高校の部活のOB会だそうです。
道理で、と納得するものの、
「ほんと、皆さんきれいに標準語ですね。方言は出ないんですか?」って聞いたら、
「最初だけですよー、お酒回ってきたらバンバン出ますよーw」
なんて言ってましたが、ぼくが帰る頃まで全員きっちり標準語でした。

この店は横手焼きそばでも大変有名な店だったようです。
カウンター越しに客と店主らしき人の話を聞くともなく聞いてたんですが、

「近頃は横手やきそば名乗る店もずいぶん増えてきたけどねー、決まりごとってもんがねー…」
「うちは古いから。二軒目だから」

とか色々語っておりました。

ならばと思い、シメは本場の名店で横手やきそば食べようかと思いましたが、
隣に運ばれてきた横手やきそば見たら、なんかベチャっとしたかんじで、
おまけに半熟みたいな目玉焼き乗ってんの。ぼくタマゴ嫌いなんだよ。
で、ふとカウンターの上見たら、「十文字中華そば」ってありました。
十文字に3晩泊まって結局食べられなかったあれ。
決まりです、注文しました。

「ウチのはね、横手で唯一ホンモノの十文字中華だから、」

とかよく意味の通らない自慢してましたから、ホンモノなんでしょう。
これも美味しかったです。念願かなってがっついたから写真撮ってないや。
横手でこれなら、十文字でもいくつか食べ比べたかったです。


駅にあったポスター
書体といい色使いといい迷いなく、なんでこんなかっこいいんだ

翌朝早くに横手を発ち、とっとと東京に帰ったんですが (嘘。宇都宮に寄り道した)、
この5日間の結論としてですね、

招かれてるとか実家があるとかじゃなけりゃ、お盆前後秋田には決して近づくな

ということです。
生死に関わる大事なことです。
お盆や正月以外の時期に、きっとまた行きたいな、と思いました。



この写真、なんだっけかなー、思い出せない
「忠義な猫」の 伊勢多右衛門かなー?




木彫りの熊を見るたびに
の名を思い出せ
の名はヴィクトル・スタルヒン