金曜日, 3月 19, 2010

立合いの異常化

春場所序盤を〆る五日目、東西支度部屋に立合いの乱れを咎める通達が貼り出されたそうで。
確かに今場所は初日から、それもTV中継の始まる三段目上位あたりから幕内に至るまで、待った待ったの連続で、不愉快極まりありませんでしたよ。

こんなもん、貼り紙一枚で治るわけないじゃないですか。で東西各一枚貼りましたか、そーですか。
言ったって直せないから乱れてるんでしょ。実効性のないこと言って対処しましたみたいな顔してんじゃありませんよ。年寄連中が無責任に口先だけ飛ばしてたって、生活掛かってる力士はハイそうですかって訳にゃ行きませんよ。
今に始まった話じゃないんだし、上の人間に問題解決能力無いの丸出し。
言われた力士が気の毒ったりゃありゃしない。
無理にでも合わせなきゃ叱られるし、合わせようを部屋で教えてくれる訳じゃなし。
案の定、常習犯の垣添なんか先に両手を付いて待ってたのに、通達のせいでガチガチになってるからもーわかんなくなっちゃって突っ掛けちゃった。
言って無駄な口叩くなら言わない方がマシ。
幕内十両だけで8番でしたか、貼り紙出したせいで逆に増えちゃった。

垣添は以前にもヒドイ目に合ってましたよ。
ちょうど北の湖失権で三重ノ海の武蔵川仮体制が始まった場所でしたかね。
今日から立合いはこーなりましたって習ったこともない立合いをいきなりやらされて、制限時間から二度も三度も待ったがかかった。
これを勝負審判として白房下で見てた無双山の藤島が満場の客前で部屋の弟子である垣添をエラソーに叱り飛ばしましたよ。
垣添は恐縮しまくってその後の取材にも謝り続けてましたけど、人気商売の個人事業主たる関取を公衆の面前でお仕置きって一体どんな神経してんのさ。
稽古でできない事が場所の土俵でできるかーって叱るのが親方の本来。
部屋で稽古場で教えてないこと、客からカネ取って見せてる本番で指導してんじゃありませんよ。

そもそも「正常な立合い」って何さ?
明文化されたものはここ、「日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定」の昭和三十年五月八日施行の「相撲規則」の中の「勝負規定第五条」として
立合いは腰を割り両掌を下ろすを原則とし、制限時間後両掌を下ろした場合は「待った」を認めない。制限時間後、故意に「待った」をした場合は、両者に左の通り制裁金を科す。 
幕内以上 一OO、OOO円 
十枚目 五○、OOO円 
審判長は、故意による「待った」の結論を出した場合は、当日の取組終了後、理事長に報告する。理事長は、審判長の報告に基づき処罰を決定し、即日該当力士に通告する。審判規則(行司)第八条・第十条の「待った」の場合は、適用外とする。(平成三年九月場所改正)
とありますね、 これが第一の根拠。
これに加えて協会お得意の「理事会での申し合わせ」「通達」 という非公式なルールもあるんでしょう。
「両掌を下ろす」とはありますが、「両掌をつく」とは書いてませんね。
実際、北の湖や三重ノ海の時代なんか腰を割りどころか、蹲踞から立ち上がるや中腰のまま拳をちょいと下げそのままぶつかりあってたじゃありませんか。
You Tubeとかにさんざ上がってますよ、その頃の動画。
自分たちでしてなかったこと出来なかったこと、どうして後輩に強制できるの?指導できるの?

まあいーですよ、相撲のあるべき形というのを念頭に今後はこーして行きましょうってのを考えて、それを「申し合わせ」て「通達」して徹底できるんなら。
それが出来ない責任を現役力士だけに押し付けてエラソー風吹かしてられる現体制ってのはなんなの一体。

おまんま懸かってんですから、現役は。
全員が全員じゃないにしても、少しでも早く立って自分有利な形に持ち込みたいって力士がいんのは当然でしょ。
それをここまではセーフ、こっからはアウトって基準を明確にせず、審判や行司によって判断もマチマチってなルール押し付けといて、守れったって守れませんよ、ってか何を守ったらいいんすか、ってなもんでしょ。
乱してるだけじゃないですか、何が「土俵の正常化」なんだか。

例えば競艇なんかはスタート一発1マークをいかに回るかってんで勝負のほとんどはつきます。
あとの2周半なんてのはウィニングランみたいもんです。
一方競馬だとスタートで先行してもそれはペース作りを主導するってだけで、勝負そのものは最終コーナー回るあたりから直線に出て競うのが大体でしょ。
競輪に至ってはスタートなんか一応号砲鳴らして一斉に出ますけどノッソリノッソリ走り出して番手を作り、ジャンが鳴ってラス一周ってとこに勝負の全てを賭けますね。違うの?
で、そこんとこ相撲はどーなのよ、立合いで勝負の半分以上決まるようでいいんですか。
それとも取っ組みあったり突き押しあったりってとこに勝負の重心を持ってくべきでしょか、ってとこから「正常な相撲」ってもんを規定した上でルールや所作を決めて徹底していくことで相撲の醍醐味ってのをチューニングしてくのが年寄連中の仕事でしょうが。
「あるべき相撲の形」ってコンセンサスも無いままに、手段を目的と履き違えて振り回し続けてるから現状のみっともないことになってんでしょ。

北の湖部屋や武蔵川部屋にゃ、体重や腕力活かして立合いの勢いだけに勝負を賭けるような力士いっぱいいますね。
取っ組んでから形を作ったりバランス崩し合ったりして自分の相撲を組み立ててくタイプ、少ないですねえ。
自分とこの所属力士に有利になるようにルールだ所作だって道具振り回してるかのように勘繰られたって仕方ないでしょ。
んでまたそんな時流に乗って立合いだけ磨き続けて大関になる日馬富士みたいのが出てくる。
スポーツ紙や解説者がそこばっか褒めるもんだから、取っ組んでからの相撲はそっちのけで買ってきたサンドバッグ相手にタックル練習する把瑠都みたいのが出てくる。
それはそれでいーんでしょうけどね、そじゃないタイプの力士はワリ食いますよ。減りますよ。
いや確実に減ったじゃありませんか。
なのに今主流は立合いだとばかり師匠連も立合いばっか稽古させる。
四股も摺り足もあったもんじゃない。

これが「土俵の正常化」ですか。
いろんな持ち味の力士がカラフルにバラエティ豊かに揃ってた方が、
面白いと思うんだけどなー

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