水曜日, 7月 24, 2013

大入満員

「日本人横綱がいれば…」「若貴ブームの頃は…」「空前の相撲人気」、
あの頃を振り返ってその活況ぶりの証左として「666日連続満員御礼」を挙げる人いますけど、
それちょっと違いますからね、って話。
記憶と事実が離れていても、そのうち記憶が事実になっちゃうからね。

満員御礼が垂れ続けてたのは、1989年の九州11日目(水)から97年夏場所2日目(月)まで、足掛け46場所、すなわち実に44場所は初日から千秋楽まで丸々大入満員が続いてました。
でもね、これ「若貴ブーム」とか「曙貴時代」ってのとはちょっとズレてますよ。
ま、「若貴ブーム」の翳りと共に客入りは衰退していったって意味では合ってんですが。

どんな時代だったか。

初日から千秋楽までフルに連続満員の場所ってのが始まった90年の初場所。
横綱は千代の富士北勝海大乃国でした。双羽黒はその2年前に辞めちゃった。てかこの初場所の直後にプロレス行きを電撃発表。
六十二代大乃国から3年ぶりの六十三代横綱に旭富士が昇進するのはこの年の名古屋場所後。
初場所の顔触れ、大関は他に北天佑小錦と3人、関脇も寺尾水戸泉琴ヶ梅と3人、小結が両国霧島
他に幕内番付で年寄として協会に残ってる人、高島、入間川、井筒、粂川、春日野、秀ノ山(仮)、高田川、花籠、高崎、鏡山、常盤山、勝ノ浦。
そして若者頭の花ノ国さん

残ってない人の顔触れの方が面白いなぁ、
龍興山はなんとこの初場所直後に急死。二十山部屋、田子ノ浦部屋を創設した北天佑久島海もすでに鬼籍入り、春日山部屋を継承した春日富士はモゴモゴモゴ…、旭道山は後に国会へ、板井もモゴモゴにしとこう。孝乃富士もモゴモゴ、いやジェロム・レバンナにパウンド勝ちして娘リングで抱き上げてた頃は輝いてたぞ、でもその後結局モゴフガ…

「花の三八」の関取経験者、全員が幕内に揃ってたんだなぁ。
あ、北尾もういなかった。

で、この場所十両だった貴花田は翌春場所新入幕、その場所で千代の富士1000勝。
この年の優勝は千代の富士北勝海旭富士旭富士北勝海千代の富士
夏、名古屋と連続優勝した旭富士が昇進して四横綱体制一時復活、そんな年。


時間を戻して前年どんな感じだったか。
そのさらに前年の九州千秋楽結びの一番で大乃国が千代の富士の連勝を53で止めちゃいましたよさぁ明けまして今年はどうなる、ってとこから始まる。どうなるもこうなるも元号が変わっちゃった。あれが昭和最後の一番だったかとしみじみしながら自粛ブームの中ひっそり始まる。

で、北勝海(初)、千代の富士(春)、北勝海(夏)、千代の富士(名)、千代の富士(秋)と優勝、九州場所は大乃国が休場だし、今年は九重勢が賜杯独占かぁ、ってなとこに伏兵あらわる。
「やっぱデカイだけじゃ相撲は無理だわ、結局勢いもここまで、いよいよ大関陥落かぁ」
と囁かれてたカド番大関小錦が初日から土付かず、あれよあれよの快進撃、10日目に慌てて割を崩して当てた大関旭富士も撃破、おぃおぃ高見山みたいなシオらしい外人はともかく、ろくな相撲も取れないクセに態度と図体ばかりでかいのなんか止めちゃってくれよー北天佑!ってのが11日目。

こっから始まったのが666日連続満員御礼。

結果この日は大関北天佑にも止められず。
翌12日目に横綱北勝海がどうにか引きずり転がして援護射撃。両国に不覚を取り1差で追ってた千代の富士が追いつくも、翌13日目の直接対決で吹き飛ばされてまた1差。審判部まさかこんな事になると思ってもみなかったから、残ってた相手が14日目平幕巨砲、千秋楽関脇琴ヶ梅。さっさと片付けて結びを待たずに初優勝。高見山以来の快挙に合衆国大統領ジョージ(父)ブッシュからの祝電、はくれなかったみたいよ。


で、明けて90年は前述の通り。
この年のうちに若貴曙と幕に顔を揃えます。
たしかに「貴ノ花の息子たちが」って入門時から騒がれてましたし、ワイドショーとか女性週刊誌とかでオバサマ人気も盛り上がってました。
でも土俵の中心はやっぱり千代の富士、及びそれに挑みかかる名脇役衆、だったと思いますよ。
大鵬以来に小学生をテレビの前に呼び集めた千代の富士もすでに全盛とは言えぬ衰えが見え、それだけ増して「ウルフスペシャル」の強引さが際立つ、そんな土俵。
そういえば逆鉾寺尾若貴に加えての小城の花小城錦兄弟にも過剰な期待が寄せられてたのもこの頃。


翌91年、「体力の限界っ!」の年ですね。
実質3場所近くにわたる休場明けで迎えた大阪場所、初日に組まれた初対戦の貴花田、思えば親子相手に取ったっての、他に例が無いと思います。以前ずさんに調べたけど少なくとも戦後の関取経験者の中にはいなかった。玉龍あたりやってないかなと思ったけどやってない。土俵で親子どんぶり売ったの千代の富士だけ。のはず。
これに敗れの板井に餞別の白星貰いの貴闘力に振り飛ばされて土俵を飛び出しので、先の一言発令。

でも満員御礼は続く。

翌夏場所には大乃国も引退しちゃって残った横綱が北勝海旭富士って地味どころ。
成績的にもこの年優勝はそれぞれ一場所ずつ。
おまけに
秋場所:北勝海初日より休場、旭富士中日を待たずに休場、
九州場所:旭富士初日より休場、北勝海中日より休場。

こんな横綱いるんだかいないんだかわかんない中、土俵はまさに戦国模様。
初場所の霧島初優勝は大関だからともかく、名古屋場所は琴富士ですよ琴富士
平幕優勝も高見山や栃東(父)みたく幕内上位の実力者ならいざしらず、フタ桁からは蔵前最後の場所での多賀竜以来の大事故。
繰り返しますが琴富士ですよ。
ぼく顔や姿はぼんやりアレしてますけど、取り口持ち味なんて正直さっぱり覚えてないです、
ごめんなさい琴富士

続く秋場所も平幕優勝。
九重勢の優勝まわし合いにアヤつける金星挙げて土俵を引っ掻き回すわ、婚約破棄を破棄しますって他人の人生引っ掻き回すわで絶好調の琴錦に賜杯。

満員御礼は続く。

一年納めの九州場所はケガからの復調(何度目だよ)の大関小錦が優勝と(土俵上に)横綱不在の留守番を果たす。

そういやこのころ霧島って対小錦戦になると勝敗度外視して吊りにいってたよなー。
武蔵丸舞の海貴ニョ浪なんかが入幕して役者が揃ってまいりました、そんな年。


キリないからほどほどにしとくけど、翌92年はついに番付上からも横綱姿消しますよ。
じゃぁ誰か代りになれよ、ったって小錦貴花田若花田水戸泉栃ノ和歌なんてあたりが組んず解れつ星を奪い合いながら昇進争いしてるとこに琴錦安芸乃島なんて邪魔が入る。

まだまだ垂れ続ける満員御礼。


このころ土俵の外ではどんなことになってたか、アノ人を軸に振り返ってみましょう。

今なら持ってるだけでしょっぴかれるとの噂もある「Santa Fe」発表一周年に突然の婚約発表。
翌場所で大関昇進を決めるや、その伝達式当日に集まった報道陣を前に婚約解消とまさかの大発表。あまりのカッコ良さに後にメジャー移籍を決めたダルビッシュがお手本としてあやかったのは衆知のところ。

「ノ」の字を「乃」に改め迎えた94年は、秋、九州と連続全勝優勝で横綱昇進、真価を問われる新横綱の場所も優勝するや乗った調子で場所後には囁かれていた河野景子さんとの交際も胸を張って白状。
「昼もケイコ、夜もケイコ」の名言が捏造・流布されるも蛙の面に小便。
夏場所後に挙式、とこれはいささか慌ただしいのではないかと訝る向きにも、実は押さえていた式場をムダなく活用する切れ者ぶりを発揮したまでのこと。
「できちゃったから?」の声を両者きっぱり否定したからには秋場所後に産まれた長男はたぶんマリア様以来約2000年ぶりの処女懐胎と慶事は続く。
幼な子に吸い取られるようにりえ激速ダイエットを披露。

あー書いてて楽しくなり始めた自分がイヤ。


とにかくね、満員御礼が途切れる97年夏場所ってのは、まだ若貴ブームの真っ只中だったです。
この後まだ一山も二山もあるんですから。
若乃花が横綱昇進したの98年夏場所後、これで「史上初の兄弟横綱誕生」、
一年遅れて武蔵丸が昇進したのが99年の夏場所後、これで「四横綱体制再整備」。

小泉純一郎が「感動したあっ!」なんてやったの01年ですから。

それが00年の九州場所じゃ初日から千秋楽まで一度も満員御礼が出ないって真っ逆さまの凋落ぶり。
これじゃ「角界の不祥事続き」「見放されて客離れ」を言われた今から2、3年前よりヒドイんです。
若乃花は引退してたとは言えども、交代で休み休みとは言えども、まだは残ってた。丸って潮丸じゃないよ、まだ幕下、あせるな。
魁皇千代大海の叩き上げに出島武双山雅山の学生上がりスピード出世の合わせて5大関がクンロク大関言われながら星を奪い合ってた頃です。
貴乃花が丸々一年以上休場して顰蹙買うの、この後のことですよ。

土俵の中は変わらぬ熱戦・混戦が続く中、いったい何があったんですかね。


客入り急凋落さなかの98年、
「花田家の血の秘密」なんて誰が聞いても笑止千万、断固根も葉もないヨタ話を自称整体師に吹き込まれるやあろう事か真に受け、「若乃花のー、相撲にわー、基本が無いと思うんですねー」に始まる一連の洗脳騒動勃発。
負け相撲の帰り際「こん畜生ぉ~! このまま負けてられねぇよ、暴れて暴れて暴れまくってやるよぅ。楽しくやろうぜぇ~」ってオマエは新日二線レスラーかよってな怪言動で大相撲ファンを一人残らず震え上がらせたのもこの頃。



書いててだんだんヒドイ話になってきたのが自分でもよくわかるんでそろそろやめる。
だってヒドイ時代の話なんだもん、ぼくのせいじゃない。
だからって誰のせいにもしたくはない。
誰が見たって誰のせいでも無いでしょ、ですよね。

結論?
そんなもん無いよ。
とにかくそんなかんじでしたよ、ってだけの話。
他意はござらぬ只の御見立。


「よおっ やってるかー?」

今回のエントリーと一切関係ありません
のちの五十四代横綱輪島大士、大関昇進直前のご勇姿







うっへ~、20行ぐらいで済まそうと思った話がこれだよ。

月曜日, 7月 22, 2013

少年講談:桂川力蔵より 「あをたけのちからだすき」のくだり



……花筏と善四郎は立つて行く。雲の戸は、入間川につれられてやつて来た離の瀧見山の部屋。見ると、正面に座蒲團を敷いて、大胡坐をかいてゐる瀧見山大八。年の頃は二十七八、色浅黒く、目のぎよろりとした、鼻の高い、口元のしまつた、青髭のあるりつぱな男。大分酒を飲んだと見えて、目が血走つてをります。

 「瀧見川、これが、かねて話をした雲の戸重右衛門、いま奥州から着いたばかりだ。ちよつとお前のところへ挨拶に出た。同じ部屋だから、仲よくしてやつてくれ。」

 「いや、これは/\――。今関取が着きなすつたと聞いたから、わしの方から挨拶に出ようと思つてゐたところです。――さあ、兄弟子、ずつとこつちへ通つてください。」

いつたが、自分は蒲團の上へ胡坐をかいたまゝです。親方と一しよにはいつて来たのに膝も直さず、正面に坐りこんでゐるとは、ひどい奴と、雲の戸も、むつとしたが、色にも出さず、

 「これは、瀧見山関ではございますか。わしは雲の戸重右衛門といつて、四年前に親方さんから勘當をされ、生れ故郷の奥州白石在へ引込んでをりましたところ、今度格別の思し召しをもって、勘当を許された帰り新参、この後とも、どうかよろしくお願い申します。」

 「いや、申しおくれました。わしは瀧見山大八という相撲。聞けば、あんたは、四年前まで関脇をとっていなすった大したお関取、親方さんの勘当をうけて、生れ故郷の白石在へ戻り、空に困って、馬方をしていなすったそうだが、そういえば、菜っ葉や大根ばかり食っていたせいか、肉は落ち目はくぼみ、その上、色が真っ黒け。それでいて瀧見山を向うに廻して相撲をとろうとは、大した度胸。いや兄弟子の心臓のには感心しました。」

酒が言わせる無礼の雑言。入間川が聞きかねて、

 「これこれ、瀧見山、何を言うのじゃ。雲の戸が丁寧に挨拶をしたら、お前も、これから先を願いますと言うておいたら済むものを、菜っ葉や大根ばかり食っていたの、馬方をしていたのと、余計なことを言うな。」

 「親方さん、とんだことが気に障ってお気の毒だが、馬方をしていたから、馬方相撲と言ったまでのこと。瀧見山大八は天下の力士、馬方相撲に手はつきませんぞ。」

雲の戸は、にっこりして、

 「親方さん、どうか黙っていて下さいまし。いかにも瀧関の言う通り、わしは在所で、食うに困って、馬方をしておりました。だが、まあ、瀧関、こんなものでも、同じ部屋じゃと思って、どうかこれから先、よろしくお願い申します。」

 「あはゝゝゝゝゝ、そう言われると、この大八も、ちっとばかり気の毒なような気もする。馬方関――ではない、昔の関脇雲の戸関、一つ行こうか。」

持っていた盃を、ずいと雲の戸の前へ突き出した。

「有難うございますが、わしは酒のために勘当を受けた身。あれ以来、一生酒をたちましたから――」

 「ふゝん、そうかい。酒でもたって、神仏に願かけでもしてかからなければ、とても、その痩せっぽちの体では、この瀧見山の鉄砲は受けられまいよ。」

瀧見山は雲の戸が下手に出れば出る程、ますます憎まれ口をたたく。けれども雲の戸は、こんな馬鹿者に構っても仕方が無いと思うから、何を言われても相手になりません。

 「雲関、あんたは本当に酒を断ちなすったのか。」

 「はい。」

 「そうじゃあるまい。もともと親方をしくじるほど好きな酒、そう手軽に断てるものでない。ははあ、わかった。食うに困って馬方にまで成り下がったお前さん、米を買う銭さえ無くては酒どころではあるまい。飲みたくても飲めないから仕方なく断ったんだんだろう。瀧見山は天下の力士、酒を飲ましても酒代をくれろとはいわん。はじめて会った兄弟子だから、飲みたい飲みたいと寝言にいうほど焦がれている酒を、只でうんと飲ましてやろうと思ってのことだ。雲関、自分の腹の痛まん酒でも、あんたは飲まんのかい。――そうかい、それならもうすすめまい。――親方、まあ見なさい。貧乏はしたくないもの、雲の戸関の顔は、何となく物欲しそうじゃありませんか。」

 「これ、瀧見山、大がいにしておかんかい。どうもお前は、酒を飲むと、冗談が過ぎていけない。」

入間川も、あまりといえばあまりの雑言に苦りきっている。

 「あはゝゝゝゝ、親方、何もそう難しい顔をしなくってもいいがな。だがまあそんなに言うならわしもこのくらいにしておきましょう。どころで酒を飲まん人に、盃をあげても仕様がない。代りに何か腹へ溜まるような肴をあげよう。――やい熊の川――」

 「へぇ。」

 「その火鉢の中の火箸を持って来い。」

 「へぇ、これでございますか。」

 「そうだ。」

太い鉄の火箸を受け取った瀧見山大八、何をするかと見ていると、左右の手に火箸の両はじを握って、ぎゅっと折り曲げ、今度はそれを力任せに双方に引っ張ったから火箸は中程からぽきりと折れた。

 「雲関は貧乏をしても歯だけは丈夫らしい。これをしゃぶって力を出したらどうじゃな。これは帝釈様の力飴という奴さ。うわっはゝゝゝゝゝ。」

どうだ、俺はこのくらいの力があるぞ。驚いたかと言わんばかり。かたわらにあったお盆の上へ折れた火箸をぽいと放り出し、それを雲の戸の前へ押しやりました。


石井滴水 靑竹の力襷 昭和14 講談社


雲の戸は驚くかと思いのほか、そのお盆をずいと瀧見山の方へ押し返し、

 「どうも瀧関は大した力でございますな。ところで折角じゃがわしは見かけ倒しの虫歯だくさん、このままじゃ齧りづらいから、ついでにもう少し小さくして貰いましょうか。」

 「えっ。」

瀧見山もぎょっとした。長い奴なら折りやすいが、半分になった奴を、また折るには倍以上の力がいる。そこで考えた大八。

 「へぇ、そんなに小さいのが好きなら、自分で勝手に折ってしゃぶればいいじゃないか。」

 「折れというなら折もしますが、せっかくくだすったあんたに折って貰おうとからで――。では、勝手に頂くとしましょうか。」

雲の戸はまたお盆を引き寄せると、まずその一本を取って、真ん中から苦も無くぽきりと二つに折り、更にそれを二つずつに折ったから、一本で四本。あとの一本も同じく四つに折ったから、みんなで八本になった。しかもコドモが杉箸でも折るように無造作に折ってのけたので、さすがの瀧見山もこれにはあっと驚いて、開いた口が塞がらないようです。雲の戸はそのお盆を瀧見山の前へ押しやって、

 「瀧関、お前さんは昔明石志賀之助という日の下開山横綱の締めた、青竹の力襷というのを知っていなさるかい。」

 「うむ、それは――」

故実を知らない瀧見山は返事ができません。

 「知らなければ失礼ながらこの馬方相撲が教えてあげよう。」

すっくと立ち上がった雲の戸は、庭の隅に立てかけてあった五六本の切りたての青竹、いずれも長さ五米ばかりある奴の中から一番太い奴を一本持って来て、それへ横たえ、その前に大胡坐をかいて、あたりを睨め廻しはじめたから、取的どもが不審に思った。

○ 「おい、熊の川、雲関は何をするつもりだろう。」

 「そうさ、あの竹を杖について逃げ出すかな。」

○ 「まさか、そんなこともしやすまい。」

みんな固唾を呑んで見ております。

 「瀧関、雲の戸の力には種も仕掛けも無いんだ。ようく見ておいて貰おうかい。」

左手で竹を押さえ、右手で節の上をちょい/\/\と押すと、七八つあった節が、ぶつり/\とみんな砕けてしまった。同時に立ち上がった雲の戸、着ていた着物をはらりと脱ぐと、痩せたといっても昔の関脇、なか/\立派な体格です。ずゝーっとしごいた青竹を、下腹から背中へかけ廻し、うしろでぎゅっと結んで、

 「瀧関、これが昔大内で、明石志賀之助という日の下開山横綱の元祖が締めた、青竹の力襷、めったには見られんものだ。後学のためようく見ておくがよい。」

どうなることかと片隅の方で見ていた瀧見山の弟子どもも、思わず声をあげて、

○「いよう、日本一。」

 「馬鹿野郎、何が日本一じゃい。」

ぽかーり、大八は拳固で取的の頭をどやしつけた。

 「親方さん、わしは道中の疲れが出たか、急に眠くなりました。あっちで横にならせてもらいます。――滝関、とんだ失礼をした。いずれ土俵で会いましょうぞ。」

雲の戸は瀧見山に一礼して、入間川とともに部屋を出る。あとに大八は飲んだ酒も一ぺんに醒めてしまい、

 「これ、あの竹を一本持って来い。」

○ 「これでございますか。」

 「ようく見ていろ。これは昔大内でな――」

○ 「へぇ、明石志賀之助という日の下開山横綱の元祖が締めた青竹の力襷――」

 「この野郎、覚えやがったな、――それ、こうしてやるのじゃ。」

瀧見山は自分にできるかどうか自信がなかったので、雲の戸の前ではやらなかったが、雲の戸が行ってしまうと、物はためしと青竹を取り寄せ、節のところへ手をかけて、雲の戸のやった通りにしてみたが、もとより一つだって節は砕けません。

 「これはいかん。もそっと節の軟らかいのを持って来い。」

○ 「軟らかいのはありません。」

 「うむーー」

○ 「親方さん、この青竹の力襷には伝授があって、雲の戸関はその伝授を知っていてやったに違いありません。」

 「そうだろう。伝授がなければ手で押したくらいで竹の節が砕けるわけがない。お前、その伝をしらんか。」

○ 「知っております。」

 「それはえらいな。どうするのじゃ。」

○ 「へぇ、節のところを石の上へ載せておいて、掛け矢で力いっぱい叩くので――」

 「馬鹿野郎、それなら伝授なんか知らんでも、誰にだってできるわい。」

ぽかーり。

○ 「あ痛っ。――また御馳走を貰ってしまった。」

さんざん雲の戸をなぶって、面皮を引っ剥いでやろうと思った瀧見山、あべこべに恥をかかされて、ばりばりと歯噛みをなし、

 「うぬ雲の戸、覚えていろ。かなわぬ時は柔術の一手をもって、土俵の上で血へどを吐かしてくれるぞ。」

早くもよからぬ決心をいたしました。

 「やい、熊の川、火焔玉、鬼面山――」

○ 「へい」

いや、大へんな名前ばかりです。

 「お前たち、今日のことを誰にも話すんじゃないぞ。」

○ 「関取が雲関に恥をかかされたことですかい。」

 「余計なことを言うな。恥なんかちっともかかんわい。」

○ 「恥をかかん代わりに頭をかいた。」

 「なに――」

○ 「昔から、恥を恥と思わんものは、恥をかいた試しがない――」

 「馬鹿野郎、だまっていろ。下らんことを言うと、殴りつけるぞ。」

○ 「へい、決して下らんことは申しません。関取が弱いんじゃなくて、雲関が強いんだとだけ申します。」

 「馬鹿ッ。それが下らんことだ。」

ぽかーり。

○ 「あ痛たゝゝゝゝゝ――」

口どめをされると余計しゃべりたくなるのが人情。いつしかこのことが保田中へ知れ渡ったから、そこでもここでも、寄ると触るとこの噂で持ちきりです。

 「どうだい、おい、相撲が乗り込む早々、喧嘩をしたとよ。」

 「どうしてまた喧嘩なんかしたのだ。」

 「どうしてといって、ぜんたい瀧見山という相撲がよくないんだ。弟弟子の癖に兄弟子の雲の戸を前において、鉄の火箸を指先でぽきりと折り、どうだ、俺の力はこんなものだと自慢をしたんだ。」

 「うむ――」

 「すると雲の戸という関取が、そのくらいのことは何でもないと、そばにあった鉄の獅噛の火鉢を両手でぺちゃぺちゃっと潰してしまった。」

 「へーぇ――」

 「すると瀧見山も、そのくらいのことは女子供でもする。一番俺の本当の力を見せてやると、いうなり表へ出て、羅漢寺の釣鐘を提げて来た。」

 「幾人で――」

 「一人でよ。」

 「へーぇ――」

 「提げて来た釣鐘を、座敷の真ん中へちょいと置いて、こんなものをつぶすくらい、わけはないと言いながら、ぺちゃぺちゃっと潰してしまった。」

 「えらいことをするな。」

 「すると、雲の戸が笑って、そのくらいのことは赤子でもする。今度は俺の本当の力を見せてやるといいながら、これも表へ飛び出して、浜辺にあった八千石積の船を差し上げてきた。すると瀧見山が――」

 「おいおい、たいがいにしろ。人が真面目に聞いていりゃ、いい気になって、法螺ばかり吹きやがる。」

 「あはゝゝゝゝゝ、今のは嘘だが、何しろ乗り込む早々喧嘩をするくらいだから、今度の相撲は、いわば遺恨相撲だ。きっと面白かろうぜ。」

 「うむ、そういうわけなら命がけの相撲をとるに違いない。」

昔から、相撲は何かごたごたがあると、却って人気がたつもので、喧嘩の一件があってからというもの、いよいよその評判は大きくなり、やがて初日を開けて見ると、果たして割れ返るような大入。二日、三日、四日と進んで参りましたが、瀧見山大八も、雲の戸重右衛門も、どちらも土つかずの勝ち放し。いよいよ五日目が千秋楽で、東西両大関の顔が合うことになりました。

土曜日, 7月 13, 2013

学生相撲出身力士の系譜(仮)

系譜って程のもんじゃありませんよ。
春場所前に作ってたのに、放置してあった事に気がついた。
いやほんとは自家用覚え書きなんだけど、画像で上げといたら便利かな、
とか整理、ってかその逆?しとこうかと思った次第。
いざ始めてみたら、いろいろ後悔してる次第。


唯一無二の大卒横綱輪島とか理事長にもなったウチダカツヲさんとか元祖早稲田の笠置山とか
やってるとキリないので、協会在職中の世代以降。
それでも140人近くいるんだなー、もとより例によって漏れもあるんだろうけど。

90年入門まで
天ノ山は時津風部屋の人ですね、引退後は立田山襲名して部屋付きでしたが在職中に亡くなられてます。
服部は学生横綱として期待大きかったし相撲も大きかったですけど故障で早々に引退、働きながら筑波大の大学院で勉強しなおします。ジャンボ鶴田みたいですね、こっちが先ですが。その後フランスの日本人学校やらなんやらを経て東海学園大に奉職、今や教授でもちろん相撲部監督でもあります。
なんかどっかの高校で校長先生やってた元力士がいた気がするけど服部じゃなかったかなー?
旭富士は中退して入門しますが、その後通信過程で学び直し、いつの間にか卒業したことになってます。だから厳密には大卒横綱は輪島以外にもいるってことになります。
一ノ矢さんはたぶん初めての国立大卒力士です。たぶんこの人と後述の舛名大だけ。ほんの数年前まで現役最高齢に長らく君臨し続けてましたね。今は高砂部屋のマネージャー。高砂部屋のサイト、トップページの三行日記書いてる人です。

いよぅ、「日大の小林」、「明治の綛田」。この辺から学生時代からのライバルってのが出てきました。今、幕内や十両で春日野vs境川の対戦を見るたびとほき昔に思いを馳せます。同門で、かたや独立、かたや継承の形で部屋を持ち、多くの関取を育て、今なおライバルとして覇を競う、すごいです、素晴らしいです。部屋に大卒力士もおりますが、必ずしも後輩ではなく広くから集まってるとこも人徳手腕です。

智ノ花はご案内の通り、卒業後一旦は教師として教壇に立ったり体育館に立ったりします。が夢諦め切れず後輩の舞の海に触発されて入門します。こうしてみると3学年も違うんですね。教職捨ててってとこが馳浩みたいでもあります。そのうち選挙にでも出ますかね。

亡くなった久嶋啓太は高校横綱三連覇に続いて学生横綱三連覇、化け物です、化け物。
その化け物と泉田純同学年だったんですねぇ。東農大中退して高砂部屋に入門、卒業してたら時津風部屋だったんでしょうか。毎年のようにセンスの無い改名してましたけど、プロレス行ってからもセンスのおかしい改名癖は治らなかったですね。ノアからリストラされてましたけどお元気でしょうか。
やたらプロレス関連の名前が出ますね、無駄に出してるだけですけど。

舞の海は教員としての就職が決まってたのを同級生の成田が急逝して…、以下省略。
あれ、図面から大輝煌抜けてますね、舞の海と同い年、近畿大学で学生横綱も取ってますです。直すの面倒。
で、この大輝煌と大翔鳳、大卒じゃないですけど同い年に剣晃、龍興山、みんな現役中もしくは引退後早々に亡くなっています。やたら死ぬ世代ですね。なんで生きてんだろ、まいnouあsdfghjkl
やっぱグルコサミンって凄いんですね。

この辺の世代までは大卒力士が少なかったらからか、協会残ってる人のほとんどは部屋持ちですね。




97年入門まで
なんか日大出て関取になると部屋持ちになれるかのような夢のような時代ですね。
追手風・木瀬・尾上は日大での奪い合いを未だ続けてますが、近頃尾上が若干脱落気味でしょうか。境川や田子ノ浦は当初より蚊帳の外でした。

朝乃翔は引退後に借株で年寄になって名跡借り換え借り換え綱渡りしますが、栃栄・栃乃花同時引退時の玉突きでなぜか燁司に押し出されて退職しました。近大と日大の力の差でしょうか。その燁司も昨年ついに玉乃洋の引退に押し出されました。拓大つえぇぇって玉乃洋は持ち株ですからねぇ。

「大倭」って書きましたけど「白崎」ですね。先輩栃司の入間川部屋に入門。出世が早くて十両昇進した時はまだ大銀杏が結えなかったんですけど、2場所で陥落。その2場所に名乗ってたのが「大倭」、やっぱり白崎の方が通りがいい。結局そのまま引退してしまったので「関取経験ありながら大銀杏を結ってない力士」になってしまいました。他にもいたなぁそんな人。思い出したら書き足そう。
若孜は学生相撲というより明大中野中での花田光司の同級生って印象の方が強いです。この人もいったんは実業団の強豪に就職してから改めての入門。今は焼肉屋さん手広くやってますね。なんで大卒力士みんな焼肉屋になるんだろ。
玉春日と土佐ノ海は高校時代まで「伊予の松本」「土佐の山本」ってライバル扱いされてたんですが、大学行ってからは「西の山本」「東の尾曾」になっちゃってました。
隆濤こと池森ルイスGo!、一年次で学生横綱。「外国籍」+「大卒」って、この人が最初じゃないでしょうか、これは付出しデビューで十両に上がりましたよ。
巨体の北勝森も学生横綱取って幕下付出しでしたが結局関取に上がれませんでしたね、どこいっちゃったんでしょ。
このへんの世代まではたいてい付出しデビューなら関取になったし、関取になったら部屋持ちになれたもんですが。

大碇は同志社の先輩土佐ノ海のいる伊勢ノ海部屋、栃乃花・栃大揮は明治の先輩のいる春日野部屋へ、ともに先輩はまだ現役中のことですね。
お二方とも今のとこ部屋持ちではないですが、この辺の世代が境目でしょうか。
北勝光はこの時代には比較的珍しく大卒の付出し資格無しで前相撲から取って関取になった力士です。
栃大揮は関取になれませんでしたが、引退後は部屋のマネージャーになってるはずです。
栃の山はつい最近まで土俵に上がってました。四股名に「栃」の冠号が付くのに春日野部屋じゃない、ってとこにキャリアの長さを思っていました。ついに関取には上がれませんでしたが幕内上位として2、3回大銀杏結うとこまで行きました。王湖さんの急逝と北の湖理事長の誘いもあって世話人の口がみつかり引退。

アイドル増健の世代が出てきましたよ。学生横綱になって付出しデビューだったのに関取になれない、ってのが珍しくなくしたハシリです。
燁司は先述の通り引退後は借株でしばらく年寄として残りますが押し出されて退職。
海鵬は引退後借株で残りますが、ご案内の通り谷川襲名間もなく云われ無き八百長の咎を科せられ退職勧告。
出島は部屋こそ持ちませんが出世コース審判部。
日大から3人以上いっぺんに入ると誰かは残れるけど誰かが不幸になるんです、たぶん後述。
東農大から時津風、ってレールに乗って、なんだったか事件のドサクサで現役引退していきなり部屋持ちになったのが時津海。正直もう少し現役で見ていたかったです。
栃乃洋は出島と同学年だけじゃなく同郷のライバルでもあります。

「キタカチ イワヂ」って読むとなんだか勇ましくてゴツいですけど、本名は原田治ってなんだか軟派なイラストレーターみたいな名前ですね。顔も結構スウィート目でした。いっこ上の海鵬さんを慕って八角部屋へ。付出しでしたが苦労して十両まではなんとか這い上がったんですが大成しませんでした。煮え切らない押し相撲という印象です。
武雄山、玉力道も大成とまではいえないあたりですが、なんとか年寄として残っております。
さっき隆濤のとこで「外国籍」+「大卒」って書きましたけど、玉力道って入門時は「外国籍」だったんじゃないかな、「特別永住者」ですが。
あれ、また図面に出羽平が抜けてますよ。中学生横綱でアマ横綱で付出し。埼玉栄→日大の嚆矢だったと思います。

岩木山も実業団、ってか青森大学および傘下の青森山田の相撲部指導要員として一旦は就職してたんですが、相撲仲間の急逝に悩んでるとこ青森空港で似た境遇の舞の海にばったり会って諦め切れない思いの丈を伝えたら背中押されてそそのかされて出羽一門の新興境川部屋紹介されて入門。本人も出世しましたが、なにより今の境川勢、みんな岩木山が胸出して育ったんですよ。額とアゴも出しましたが。大学院休学してたのどうなったんだろ。ってかあそこ大学院お取り潰しになったんじゃなかったっけ。
玉光国、弟の玉乃島と同じく東洋大ですが、ここは敢えて「針ヶ谷相撲クラブ」出身として語りたい。常幸龍もたしか針ヶ谷。今度いつか書く。いつか。引退後、日本橋の赤木屋で証券マンになってたんですけど、赤木屋って先年証券部門廃業しちゃいましたね、残ったの喫茶部門。どうしてるんでしょ。
魁道は今、小川町で焼肉屋さんやってますよ。焼肉屋なんだけどちゃんこ鍋の注文の方が多いとかなんとか。中学生横綱。さっき若孜のとこで書きそびれたんですけど、この人も明中→中央です。なんで明大は付属校の実績ある相撲選手を中大に持ってかれますかね。皇風も早稲田に持ってかれた。
古市ね、まるで鹿児島県島嶼部出身の「島相撲」ような潜り込みが魅力でしたけど、本人の相撲はもちろん、実家は相撲道場でそっからあれやこれやとか、語りたいこと一杯あり過ぎるんで割愛。野球賭博の件でマゲを切っての引退届けが不受理の上、解雇。
追風海と大翔山、こないだ書いたばっかだなー。
追風海はいっこ下の高見盛の高見盛と同じ板柳町出身の日大。埼玉栄→日大で付出し資格持ち。小兵ながら味のある相撲で関脇まで駆け上がった、って言っても誰も覚えてないでしょ。現在は町会議員。
大翔山、この人も埼玉栄→日大、古市と各段優勝決定戦で競い合ってました。大翔大ってふざけた四股名から一転、師匠の大翔山をもらいましたが以後ムニュムニュ。今は部屋のマネージャー。
玉龍馬は日体大って入れましたけど中退です。日体大からの角界入りのハシリじゃないかな。

さぁきました琴光喜、高見盛、濱錦の代。
ね、日大から3人以上入ると不幸が降りかかるの。髙濱が部屋持ちで加藤が部屋付き、田宮が解雇って誰が想像しましたかね。
武州山(なんで津軽もんが武州騙りますかね)は、ご存知の通り、高見盛、若の里と同い年の津軽産。早生まれなんで学年は違いますが、岩木山、安壮富士も同じ1976年うまれです。何があったんでしょうね、76年の津軽。津軽じゃなくて南部になりますが同じ青森の同い年が十文字。面白かったですねぇ、十文字の対津軽勢戦の入れ込みよう。








うわ~、まだまだ続くのかよ。
くたびれた、今日はここまで。




13年入門まで
玉乃島は兄の卒業と同時に中退して入門、
追っかけるように雅山も半年後に中退して入門、2人とも現在部屋付き年寄。
霜鳳は東農大→時津風コースも疑惑に巻き込まれて勧告引退。

さぁここから現役が出てきました華王錦。学生時代玉乃島、玉光国と1年だけ重なってますね。
垣添、剣武(武甲)は日体大からの初の角界入り。初土俵も引退も同場所でした。剣武は本名宮本です。現在活躍中の妙義龍も「日体大の宮本」。

豪風現役片山引退、飛ばしますよ。

この2年は日大勢いませんね。

普天王、引退早かった印象ですが、こうしてみると片山の方が短いんですね、意外。
栃翼、魅力的な小兵でした。十両目前まで何度か行ったんですが、小兵ゆえの膝の故障を抱え先年引退。舞の海と同じ木造高校出身ですが法政でしたか。
この代の学生横綱は高見藤。大学卒業後、県職員として国体に出場してから1年遅れで入門。十両に上がったとたん博打の借金こじらせて破門。

うわーこの代あたりからごっそり残ってますね。
この代の学生横綱は大岩戸。子供の頃相撲を習った鶴岡相撲クラブの指導者が横綱北勝海の付け人を務めた千代洲だった縁で同じ鶴岡相撲クラブ出身の4歳下の北勝国の後を追うように八角部屋へ。
近大同期に杉田。中学横綱も取ってますが体が無かった。第2検査を経て一場所遅れで初土俵。
東洋大から一気に3人、武誠山、木村山、磋牙司、うち武誠山が付出しですが、今日まで十両経験無し。
磋牙司は高校横綱もとりましたが入門は大卒初の第2検査から。
なんとこの3人の中で今のところ最高位は木村山が一番上。
駿馬赤兎って足6本くらいありそうな人、大卒ですがなんと相撲経験無し。おまけに体も無くてこの人も第2検査。なんでまた、って思いますが三段目で頑張ってます。
翔鳳は水口ですね、大卒で弓取した人はじめてじゃないですかね。
嘉風は3年次に全日本で優勝したんですが卒業を優先したため付出し資格を失効、前相撲から取ってスピード出世。
里山は日大の先輩濱ノ島(当時現役)の後を追って三保ヶ関部屋へ。濱ノ島引退後の尾上部屋独立にもついて行きました。
同じ日大の豊真将は病気こじらせて一旦相撲を断念、大学も中退。警備員やらなんやらしながらも相撲への思い断ち切れず同級生が卒業して角界入りするのと同時に入門。
白乃波も日大。なんたら疑惑に巻き込まれて勧告引退。ほらね、日大から3人…
福の花は朝日大から初の角界入り。
時天空は東農大在学中に通信だか2部だかに転部して入門。「外国籍」+「大卒」の二人目。




なんか後でいろいろ書き足しますよ、気が向いたら。