木曜日, 1月 12, 2012

稀勢の里世代

なんかテーブル貼り付けたら壊れちゃったんだか、
句読点の位置とか滅茶苦茶でブラウザによっちゃ面白いことになってんだけど、まあいいか。



新大関稀勢の里と同学年(昭和61年4月~62年3月生まれ)の力士たち、
ずいぶん多いいなあ、と思って数えたら60人近くいるようなので、
その健闘ぶりや低迷ぶりについて。

同い年なので当然多くの力士たちは子供の頃から顔を合わせ切磋琢磨するライバルでした。


小学校時代
6年生の時のわんぱく横綱は勝誠こと福永剛くん。
5年次が豪栄道こと澤井豪太郎くん。

4年次のわんぱく横綱は荒木関賢悟くんといいます。
荒木関くんは角界入りはしませんでしたが、名門金沢市立工業高→東洋大学と進み、
同世代と数々の激闘を繰り広げます。
実業団相撲09年、11年の優勝者でもあります。
ちなみにこの荒木関くんが優勝した4年次で2位だったのはこと東口翔太くんです。
他に北磻磨こと嶋田聖也くんも小学生時代、わんぱく相撲全国大会の常連でした。
野球ばかりやって入門まで相撲経験がないとされていた萩原少年ですが、
相撲を本格的にやってないにもかかわらず地方大会ではサラっと代表権とって、
わんぱく相撲全国大会には3年連続出てたそうです。大器ですね。


中学時代
この世代で中学横綱を取ったのは高知の安芸中学校、栃煌山こと影山雄一郎くんでした。
他に3年連続出場を果たした現北海龍こと阪井卓郎くん、北磻磨も名を売りました。

そういえば先場所のテレビの「新十両紹介」でが出た時、
中学生時代に近畿地方の大会で優勝した時の誇らしげな写真が映ってましたが、
左右に並んだ準優勝選手は奈良の青木くん大阪の澤井くんでしたね。
東口翔太くんは中学卒業後高校には進学せず、実家のお寿司屋さんを手伝ってましたが、
大相撲への夢は諦めず、同期が高卒入門するのと同時期の就職場所で初土俵。
初場所、小学校時代からのライバル澤井くん、影山くんの入門も刺激になったのでしょうか。

鳰の湖こと田中真二くんは中学時代は柔道部だったんでこの辺に名前出ないですけど、
あの石井慧と対戦したこともあるそうですよ。
北磻磨と共に中卒で北の湖部屋に入門。

稀勢の里を筆頭に中卒入門組、14人も残ってるんですね、たいしたもんです。


高校時代
この世代の高校横綱も大阪の澤井くんでした。
でも国体高校の部で個人優勝したのは東京は明大中野高校の現皇風こと直江俊司くんでした。

それぞれ高校相撲部での活躍も目覚ましい世代でした。
角界入りした主なとこを挙げると、埼玉栄の澤井豪太郎(豪栄道)・宮本泰成(妙義龍)、
明徳義塾の影山 雄一郎(栃煌山)・青木誠(徳勝龍)・畑山勝(土佐颯)・藤本悠介(中退して角界入り)、
山口響の福永剛(勝誠)、栃木矢板の笹沼俊博(春晃)、
金沢市立工業には前述の荒木関と坂口靖幸、
東洋大牛久に中島稔(旭龍皇)、近畿大学附属高の冨嶋祥一(刃力丸)、
青森山田高校の、山本訓史、三本木農高の相坂卓、
南京都高の古賀貴大(天緑)などなど…

2004年の世界ジュニア相撲選手権では、
無差別級で澤井、重量級で影山、中量級で福永が優勝してます。

なんか中学高校時代、我等が稀勢の里こと萩原寛くんの名前が出てきませんね。
それもそのはずで、あの人高校行ってませんから。
中学時代は野球部でしたから。


大学時代
大学まで進んだのは、近畿大学の杉山大輔(宝富士)と青木誠(徳勝龍)、
明大中野から早稲田に進んだ直江(皇風)、埼玉栄から日体大に進んだ宮本(妙義龍)、
金沢市立工から東洋大に進んだ坂口、三本木農高から専修大に進んだ相坂
東農大の佐藤大(加美豊)といったところ。


外国出身力士
なんだか意味わかりませんが、同学年関係無さそうな外国出身力士にも、この世代は多いです。
碧山(ブルガリア)、臥牙丸(グルジア)、魁聖(ブラジル)、荒鷲(モンゴル)、(モンゴル)、
龍帝(中国)、魁心(ブラジル)が同学年です。
早生まれなんで学年違いですが舛東欧も実は61年生まれです。


関西勢
豪栄道(大阪)と (大阪) は子供の頃から交野市の古市道場で一緒でした。
他に大阪には天緑北斗刃力丸天海山
兵庫に妙義龍北磻磨若ノ龍、奈良から徳勝龍受磐

さらに茨城県牛久市出身となっている稀勢の里ですが、
実は産まれは 兵庫県芦屋市で、小学校2年生の時に親の転勤で引っ越すまで関西で育ちました。

ほかに桴海は沖縄石垣島出身ってことになってますが、これは父親の出身地で、
本人は生まれも育ちも大阪ですよ。

何があったんでしょうね、昭和61年の関西は。


その他
蔵前最後の優勝力士多賀竜、現鏡山親方の長男が竜聖
受磐は十両磐石の次男。
千代の眞は入幕果たした千代の国の兄。
でもって藤の海藤の花は被災地宮城県亘理町出身ってことになっちゃいますが、
お父ちゃんアメリカ人、ってか大学までアメリカでレスリングやアメフトやってた
二卵性双生児です。


どうぞお見知りおきの上、お引き立てのほどを。


 
誕生日
部屋
出身
地位
初土俵
73
鳴戸
茨城
西大3
20023
46
境川
大阪
西前2
20051
1022
境川
兵庫
東前5
20095
619
田子ノ浦
ブルガリア
西前7
20095
39
春日野
高知
西前8
20051
223
北の湖
グルジア
西前10
200511
1218
友綱
ブラジル
東前16
20069
1216
北の湖
滋賀
西前16
20023
218
伊勢ヶ濱
青森
東十2
20091
1011
伊勢ノ海
大阪
東十3
20053
822
北の湖
奈良
東十6
20091
923
尾車
東京
東十9
20091
728
北の湖
兵庫
東十13
20023
93
花籠
モンゴル
東下2
200211
527
境川
鹿児島
西下13
20053
69
阿武松
福岡
東下19
20037
45
放駒
モンゴル
東下23
20035
114
貴乃花
東京
東下37
20023
929
錣山
広島
西下38
20051
1030
時津風
宮城
東下41
20095
918
高田川
北海道
西下41
200411
524
北の湖
北海道
西下53
20023
1223
松ヶ根
愛知
東下55
20023
530
阿武松
大阪
西三3
20053
815
阿武松
青森
西三13
20095
1121
追手風
静岡
東三16
20035
716
春日山
栃木
東三19
20053
314
間垣
宮城
東三22
20051
1219
出羽海
宮城
東三25
20099
717
鏡山
東京
西三26
20033
510
三保ヶ関
千葉
東三44
20023
623
九重
三重
西三45
20023
62
二所ノ関
中国
西三49
20043
1219
出羽海
宮城
西三55
20099
414
春日山
愛知
東三91
20023
124
錣山
高知
東三80
20053
617
友綱
ブラジル
西三80
20041
1117
北の湖
熊本
西三82
20023
824
玉ノ井
石川
東三84
20093
323
八角
沖縄
西三94
20053
93
高砂
高知
西三100
20041
1016
高田川
千葉
西二5
200311
318
朝日山
奈良
東二6
20023
109
朝日山
埼玉
西二6
20023
526
伊勢ヶ濱
大阪
東二26
20023
522
大島
茨城
西二29
20051
916
花籠
兵庫
東二36
20035
323
荒汐
東京
西二36
20097
916
佐渡ヶ嶽
千葉
西二41
20023
58
千賀ノ浦
鹿児島
西二61
20073
1230
錣山
大阪
東二51
20053
116
芝田山
群馬
東二56
20085
1017
高田川
大阪
西二66
20035
314
桐山
福岡
東二67
20031
34
鳴戸
青森
西二91
20053
105
千賀ノ浦
鹿児島
西二93
20053

他に引退しちゃいましたけど鯱桜幸の富士北勝富士青風大剛毅中野海佐々木猫又胤丸金龍山らがいました。

抜け落ちてる力士いたらごめんね。

土曜日, 12月 24, 2011

稀勢の里効果?

あぶない、あぶない。
ほんとは相撲のこととはあまり関係ない、もっと大事ななにかの話。

まずはニュースの引用。

稽古総見:2831人の観客を前に熱こもった申し合い (毎日新聞)
…総見には琴奨菊と稀勢の里が大関として初参加。9月の秋場所前の総見の2倍以上にあたる2831人の観客が集まった中、熱のこもった稽古を見せた。

稀勢の里ファイト、琴奨菊も頑張る…稽古総見 (読売新聞)
…稀勢の里、琴奨菊の日本人大関が意欲的に土俵に上がり、9月の秋場所前の倍以上となる2831人の入場者を沸かせた。

観衆はことし最多…日本人大関2人で人気回復の兆し (スポニチ)
…秋場所前は2000年に無料公開が始まって最少の1357人しか集まらなかったが、横審の鶴田委員長は「日本人大関2人が誕生して、ファンを取り戻すことになった」と喜んだ。

稀勢の里、好調!上位陣から8勝5敗 (デイリースポーツ)
…新大関対決に秋場所時の約倍の2831人のファンが沸いた。

初場所の入場切符が好調!そのワケは? (夕刊フジ、の例のアレ、大見信昭)
…9月に行われた前回の稽古総見の入場者は、総見史上最低の1354人。館内には閑古鳥が鳴いていたが、この日は2倍強の2831人。
…この突然の人気アップの源が、新大関の稀勢の里にあるのは間違いない
キリが無いので(ほんとはあるけど)この辺で。
各社こぞって似たようなこと書いてますよ。
やれ稀勢の里人気だ、やれ琴奨菊とのダブル日本人大関効果だ、と。
そうなのかもしれない。
実際そういうこともあるんでしょね。
これは「事実」なんでしょね。
総見に足を運んで取材して、自分の目で耳で見たこと感じたこと書いてんでしょうから。
嘘でもデマでもない「客観的事実」なんでしょね。
確かに稀勢の里、人気でした、歓声上がってました、琴奨菊にもずいぶん声援飛んでましたね。

でもそれで観客倍増ってホントですかね?
増えちゃいけない、って言うわけじゃないです。むしろ慶事ですし。
で、ここにもういくつかの「事実」を並べてみましょう。

新入幕隆の山が人気1番 98キロに大歓声 (日刊スポーツ 9月3日)
…観衆は史上最少の1354人で、従来の記録だった5月技量審査場所での1708人を下回った。

ひんやり秋場所“綱&W大関取り”でも盛り上がらぬワケ (夕刊フジ  またアノ大見信昭)
1週間前の今月3日、公開で行われた横審の稽古総見でも史上最低の1354人しか観客が集まらず、入場券の前売りもいまひとつ。ヒンヤリとした空気が気になる。どうして活気が出てこないのか。

台風12号、高知に上陸 2人死亡、5人不明 (朝日新聞 9月3日)
大型の台風12号は3日午前10時前、高知県に上陸し、徳島県三好市付近をゆっくりと北へ進んだ。
台風12号、鉄道運休相次ぐ 空路も400便欠航 (朝日新聞 9月3日)

<台風12号>死者48人、不明者58人…平成最悪に (毎日新聞 9月7日)
日本を縦断した台風12号による被害は、毎日新聞の集計で6日午後8時現在、 12道県で死者48人、行方不明者58人の計106人に上り
「過去最低」だった前回の総見って、こんなさなかにやってたんですよ。
取材行った人、記事書いた人、
東京だって交通機関ズタズタ、両国だって大雨暴風、
あれ全員そろって忘れちゃったんですかね。
なんか各社のアングルに沿わない「事実」は隠しちゃってんじゃないすか?
今回の観客倍増を伝える新聞は数々ありましたけど、
ほんの2ヶ月前、前回の総見当日がえらい台風だったことを添えて書いたとこありません。
例によってサンケイ=フジの大見先生、「好調!そのワケは」とか「盛り上がらぬワケ」とか、
まさに訳知り顔で毎度語ってらっしゃいますが、そこんとこどうなんでしょう?

おやおやこんな記事もありましたよ。

横審稽古総見 観客はワースト1354人…理事長「大雨予報だから」 (スポニチ 9月3日)
…観客はこれまでの一般公開で最少の1354人。放駒理事長(元大関魁傑)は「大雨になるんじゃないかという予報だったから」と、“不入り”の理由を天気予報に求めた。
取材して、コメント取って、書いといて忘れたフリですか?
理事長がまるで責任転嫁でもしてるかのように書いといて、それっきりですか。
そうですよね、こんなもんですよね。
昨日の総見だって白鵬が申し合いの相手に小結以下しか指名しなかったこととか、
日馬富士や安美錦は顔出しただけで土俵に上がらなかったこととか、
豊真将、豪風、嘉風、若の里… 欠席力士も多かったこととか、
「事実」があっても書きません。

以前の稽古総見でこんなことありました、白鵬と元大鵬の納谷幸喜氏の心温まるエピソード。
十両も下がり、土俵周りには大関までの上位陣も揃い、いよいよ花道より横綱登場。
と、横綱白鵬おもむろに親方衆に並んで車椅子で検分してる納谷氏に歩み寄り、
膝をついて握手を求め熱く言葉を交わす、そこに報道陣殺到、カメラの放列、一斉フラッシュ。
ふーーんと思って見てましたけど、でも帰ってニュースチェックしてたら、
その直前に支度部屋を訪れた納谷氏に新著「横綱大鵬 晩節のかがやき」でしたっけ、
貰って激励を受け丁重に礼言ってたってあるじゃない。
それぞれは書いたり写真載せてたとこあったけど、併せて書いたとこ、当然無い。

ほとんどの大相撲ファン、大相撲嫌いは滅多にテレビや新聞を通した情報以外触れられません。
「事実」の全てを知ることはできません。
そこで報じられてる「事実」だけを材料に大相撲に対する印象・知見を構築するわけです。
力士に対するイメージを構築するわけです。
朝青龍は悪い子だとか白鵬は日本人以上に日本人だとか今度の理事長はあーだとか。
報じられない「事実」は顧みられることはありません。

「客観的事実だけを材料に、惑わされずに粛々と判断」してるつもりでも、
そうじゃなくなってたりすること、結構あります。
あらためて気をつけなくっちゃね、と思いました。


初場所、早く始まらないかなあ。あと16回寝たら始まるみたいだけど。

土曜日, 12月 10, 2011

月の南中高度

あー今日は皆既月食かー。

ということで急遽思い出したんですけど、月の南中高度の話。
これ意外と誤解されてますけど、太陽とは大部違うんです。
誰も興味が無いんだか、何故か知られてない。
なんとなく夜空を見上げて、あら冬なのに月が高い、
なんてうっすら思ってそれっきり忘れてる人も多いと思います。
そんな難しい話じゃないんですけど、
理系の大学入試に出しても、解答できない人は少なくないんじゃないかと。

今日は詳しい説明しません。
図だけ見てって下さい。
2011年の東京における月の南中時の高度です。
ざっくりしたグラフですね、さっきテレビ見ながらこさえましたから。
こっから表をExcelにコピペしてグラフウィザードで吐き出させました。
黄色い丸はもちろん満月です。
太陽の南中高度は1年周期で変化するんですが、
月の場合、27日と3分の1くらいの周期で日々変化してます。
だからこのグラフにも13回くらいピークがあります。
で、満月が一番高く昇るのは冬至に近い時の満月です。80度近い。
逆に夏至に近い時期の満月は一番低い。30度しかない。
南中時の最高高度も最低高度も冬の方がちょっと高い。

ついでに言うと、冬至の満月の南中高度は夏至の太陽の南中高度にほぼ等しい。
夏至近くの満月の南中高度は冬至の太陽の南中高度にほぼ等しい。
すなわち、3080度範囲を
太陽は1年掛けて遷移するのに対し月は4週間周期で遷移します

首が疲れるほど高過ぎず、隣の屋根に隠れるほど低過ぎず、
そんな時期の満月が「中秋の名月」です。

あー思い出したんでさらに蛇足。
グラフの青い線に沿って満月の15日後の点をプロットすると新月の南中高度が示せます。
その点を結んでいくと、
満月の黄色い点を結んだ線を半年遅れで追っかける線が描けます。
これほとんど太陽の南中高度の推移と重なりますね。
そう、新月の南中高度は年間を通して太陽の南中高度にほぼ重なってる
時にはぴったり一致する。
これが日食です。

とにかくそういうことです。
みかんとリンゴとメロン持ってきてくれたら、も少し詳しく説明します。

月曜日, 12月 05, 2011

冬至と師走と不定時法

師走の語源についての話です。
暮れも押し迫ってくると仏事が増えて坊さんも走り回る、とかって俗説ありますが、
仏事・法事が暮れだから特に増えるって話も聞きませんよね。
じゃあなんなんでしょうね、あれ。

さて冬至も近づいてまいりました。
ほんとは旧暦の師走は冬至が過ぎた直後あたりに始まるので、
今は旧暦で言ったらまだ霜月なんですけど。
とにかく旧暦の霜月・師走はたいへん日が短い。
北緯35.7度あたりに位置する東京の場合、
冬至の日の出から日没までの昼の長さは9時間44分しかありません。
残りの14時間16分が夜です。

江戸時代までの日本の時刻は、日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、
(厳密にはそれぞれ約30分遅れ)それぞれを6分割して1刻としてました。
これを不定時法と言います。
西洋では紀元前から日の出から次の日の出までを24等分する定時法がとられてたので、
せっかくの南蛮渡来の時計も日本では使えません。
そこで江戸や長崎の職人さんは、洋時計の技術を分析模倣改造しつつ、
驚異的な技術力をもってして、不定時法対応の和時計を作ってしまいます。
「二挺天賦式」とかいって、それはもうアンティキアラのアレ並みの物凄いのを作ってしまいます。
不定時法だと季節の移ろいによって昼夜の一刻の長さが変わっていくのですが、
そんなのに自動で万年対応するとんでもない代物です。
もう興奮して説明すんのも無理、上野の"かはく"にでも見に行ったらいいと思います。

てなわけで、江戸時代までの時刻ってのは、昼の一刻と夜の一刻は長さが異なった、
それがまた季節によって刻々と変化した、と。
どのくらい異なったかってのを、面倒だから今の「1時間」に例えてみます。
昼の「1時間」は日の出から日没までを12で等分したものですから、
冬至の場合9時間44分÷12で48分40秒です。
冬至の夜の「1時間」は14時間16分÷12ですから71分20秒です。
春分・秋分の「1時間」に比べて、2割近く増減するわけです。

お坊さんのお勤めってのはたいてい夜明け前から日没あたりまでに収まってますよ。
定められた日課のスケジュールのほとんどを、
平均より11分短い「1時間」の刻みの中で進行していかなくっちゃなんない。
起きたらすぐにあっちのお堂こっちのお堂でいつものお経を早口で読んで、
ご飯だって早食い、といってゴハンの炊き上がる時間まで2割減になるわけじゃなし。
午後からは檀家回りが3軒、夕のお勤めまでに帰らなきゃ、
あ、97分おきに鐘つかなきゃ、あわわわー

そりゃ坊主も走るわ

ってあたり、もしくはその近辺が師走の語源なんですよ、思うにきっと。



追記:
ここにとってもいい図がありましたね。
via:ときをまなぼう - こどもセイコー