火曜日, 1月 31, 2012

イガッタ イガッタ

舛東欧のお母ちゃんがですね、

すいませんね、のっけからすこぶる地味な書き出しで。
そりゃぼくも思うんです、も少し華のある話はないのかね、と。
把瑠都の嫁、エレナっての綺麗でしたねー
中入からの2時間程ずっと正座でね、背筋伸ばして凛としてるから、
マス席に活けた一輪の花みたいに映えてましたねえ。
あれ着物の見立てとか着付けとか、いづみの姐御の仕込みですかねえ。
新十両紹介で写真出てた阿夢露のお姉ちゃん、あれも可愛かったですねえ、
お人形さんみたいだったですねえ。
でも今日は舛東欧です。お母ちゃんです。
いいですね、それでは始めます。

ハンガリーにソルノクって町があります。
ブダペストから日本に向かって100kmくらいいったとこ、
ドイツの方からずーっと流れてきたドナウがティサ川と名前を変えて、
さぁ黒海目指してあと一踏ん張りってあたりの河畔の町です。
水運で栄えた古都です。
行ったこたないけどたぶん。

こんな街ですね。

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ここの高校が舞台の話。
どうも2009年が日本-ハンガリー国交140周年だったらしいです。
その辺を中心に前後数年、いろいろな企画があったようで国際交流基金がらみの事業として、
高校に日本語の講座を設けるんなら教師の派遣とか教材費とか支援しますよ、
どっか希望するとこありますか、って呼びかけたら、
ソルノクのティサパルティ高校ってのが手を上げて、
ブダペスト在留の後藤さんって禅宗の坊さんかなんかが講師として行くことになりました。
学校に打ち合わせに行って、いいですね、いいでしょう、じゃあ早速来週からはじめましょう、
とんとん拍子に話がまとまったとこで、
校長先生は言いました。

「イガッタイガッタ」

後藤先生、ハンガリー長くいるけど「イガッタ」の意味がわからない。
で、どういう意味ですかって聞き返すと、
知らないのかね、日本語だよ、と。

どうやらソルノク市は山形の遊佐町と姉妹都市で交流がさかん
校長先生も高校の合唱団を引率して遊佐町に行ったことがあるらしい。
その時に覚えた日本語が「いがった、いがった」だったと。
いーですね、なんかもう目に浮かびますね、状況が。

「タコ飯うめが? ほだがぁ、いがったいがったぁ」
「温泉さぁへぇっだが? ほっかぁ、いがったいがった」
「ワタチタチノコーラスハイカガデシタカ」
「いやぁ、いがったいがったぁ」
「ほしたらおらたちの太鼓はどんだべ?」
「イガッタ イガッター」

なんかもうthat's right も fine thank you も very nice! も you're welcome も
なにもかもひっくるめて、良き事すべては「いがったいがった」ですよ。
日本来てこれ覚えて帰りましたよハンガリーの校長先生は。
で家族との食卓とか会合の席とかで言いふらしちゃいませんかね、得意げに。
「これから私が学習した日本語を諸君にご披露しよう。ンダーイガッタ イガッター!」


ティサパルティ高校の日本語講座ですが、3年間のコースで、
最初こそ30人以上の受講者がいたそうですが、だんだん減っていって…
二年目を迎えるにあたって高校生だけじゃなく市民講座として町の人にも開放しよう、
とかなんとかで募集をかけたら体のでっかいおばちゃんがやってきた、と。
高校生と机並べて熱心に日本語の勉強はじめた。
一年もしてからなんかの拍子に聞けばウチの息子は日本でスモウやってます、と。
そうですワタシは舛東欧の母ですと、
なんでそれまで黙ってたのか意味わかりませんが、ある日突然白状した。


ってな話をですね、以前こちらで拾ってたんです。
だいぶ脚色ありますからね、正確な話を知りたい人はちゃんと元のソースにあたるべきです。


息子のいる国の言葉、学んでみようっていうんですね、親心ですかね。
それにハンガリーだって衛星放送でNHKの大相撲中継見られますしね、
といってもJSTVでやるの上2時間分くらいだから幕下の舛東欧まだ映らないですけど。

舛東欧本人は幕下に昇格した時にご褒美で里帰りが許されまして、
ただし見張りのマスダヤマー付きで。
その時千賀ノ浦親方ともどもティサパルティ高校に顔を出して、
二人で日本のこと、大相撲のこと、
ソルノクの高校生、町の人にいっぱいいっぱい話しましたとさ。

はぁ いがった いがった。

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